85城目  No.96飫肥城(2010年1月9日登城) | 城めぐりん

85城目  No.96飫肥城(2010年1月9日登城)

 飫肥城は、南北朝時代に土持氏が創築したといわれるが不明である。戦国期には長年にわたって、島津氏と伊東氏の抗争の舞台となる。長禄2年(1458)、伊東氏の南下を恐れた島津氏は、志布志から新納忠続を飫肥城に入れた。文明16年(1484)、伊東祐国・祐邑兄弟が飫肥城の攻略を開始、これより島津・伊東両氏の攻防戦は83年の長期に及んだとされる。永禄11年(1568)には、伊東義祐が城を落とし、二男祐兵が城主となるが、天正5年(1577)、長年の抗争に勝利した島津氏の支配下に属した。

 しかしながら、天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定で功のあった伊東祐兵が再び城主となり、以後、明治に至るまで伊東氏が在城した。祐兵は城の改築に着手し、2代祐慶のときにほぼ完成した。

 城は本丸を中心に、松の丸、西の丸、中の丸、今城、中の城などで構成されていた。明治6年(1873)に廃城となり、すべての建物が取り壊された。昭和53年(1978)に大手門が、翌年には松尾の丸が復元された。


 前日うちに宮崎市へ入り、翌朝レンタカーで向かう。観光駐車場に車を停めて登城開始。駐車場を出て、大手門通りを北へ歩いていく。


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 大手門前には空堀がめぐらされている。


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 大手門は、明治初年に取り壊されたものを、昭和53年(1978)に、樹齢100年を超す飫肥杉を使用して復元された。二階建ての木造渡櫓で、工事中に正徳3年(1713)銘の碑文が発見され、改築年が確認されたという。


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 大手門をくぐると枡形となっている。


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 枡形の奥の広い石段を登る。


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 石段を登って右の方へ進む。


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 この広い場所は犬馬場と呼ばれる場所。大手門から松尾の丸に通じる順路となっている。


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 隅櫓跡に建つ飫肥城の鐘。享保18年(1733)から時報や軍用に鳴らされてきた古鐘。


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 犬馬場をUターンし、中の丸虎口の石段を上って、その上に建つ飫肥城歴史資料館へ行く。藩主伊東家や重臣の家に伝来した飫肥藩時代の貴重な歴史資料などが展示されている。

 ここで、歴史資料館を含め6箇所の施設の共通入館券と城下の店で飫肥天や厚焼き玉子などの商品と交換できる引換券5枚が付いた「食べあるき・町あるきMAP」を1000円で購入。


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 歴史資料館を出て北へ進む。右手の本丸跡は飫肥小学校が建っている。そのまま進み石段を登っていく。


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 石段を登ったところが旧本丸跡。本丸は築城以来、寛文2年(1662)、延宝8年(1680)、貞享元年(1686)の3度にわたる地震で崩落し、元禄6年(1693)、5代藩主祐実のときに、現在の飫肥小学校の用地内に移されたという。


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 旧本丸跡の枡形虎口。


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 旧本丸跡には美しい飫肥杉が林立している。


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 復元された旧本丸北門。入母屋造り、本瓦葺きの薬医門。


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 旧本丸跡から戻り、石段を登って西側にある松尾の丸へ向かう。松尾の丸は、元々天守のなかった飫肥城のなかで、旧本丸と並んで重要な曲輪。


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 松尾の丸には、時代考証のうえ、昭和54年(1979)に、飫肥杉を用材として江戸時代の藩主の御殿が復元された。江戸時代初期の書院造りの御殿で、御座の間、茶室、御寝所、湯殿、台所、御蔵などからなっている。


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 建物の中へ入る。御座の間は、藩主が重臣や来客と対面する公務のための主室。


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 湯殿は、総檜造りのこけら葺きで、豊臣秀吉が聚楽第に造り、後に西本願寺の飛雲閣に移築されたという国宝の湯殿を再現したものだという。


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 松尾の丸を出て歴史資料館の西を通り大手門の方へ戻る。


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 大手門を出て東の方へ進み、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている武家屋敷が並ぶ横馬場通りを歩く。


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 横馬場通りを東へ歩き、旧伊東伝左衛門家のところを左へ曲がり、一本北の道を西へ入ったところに、旧藩校・振徳堂が建っている。


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 振徳堂は、天保2年(1831)に藩主伊東祐相が飫肥藩の藩校として設立した建物で、敷地内に長屋門と主屋が保存されている。明治期に2度の外相を務め、近代日本外交の礎を築いた小村寿太郎らを輩出した。


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 もう一度、大手門のところへ戻り、大手門通りの西にある豫章館へ行く。豫章館は、旧藩主伊東祐帰と父の祐相が、明治2年(1869)に城内から移り住んだ屋敷。入口には薬医門を構え、敷地内には主屋や御数寄屋、雑舎、蔵が配されていた。南面一帯は武学流の枯山水式庭園となっている。


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 次に豫章館の向かい側にある小村記念館へ入館し展示を見学。その後、「食べあるき・町あるきMAP」の引換券を使って、城下で厚焼き玉子や飫肥天、団子などをいただき、駐車場へ戻る。



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