83城目  No.66津和野城(2009年12月23日登城) | 城めぐりん

83城目  No.66津和野城(2009年12月23日登城)

 津和野城の築城は、弘安5年(1282)、元寇警備のため、石見の国に入った吉見頼行によるものと伝えられる。吉見氏は、弘治元年(1555)、厳島合戦後、毛利氏に従い、14代広長は関ヶ原の戦いに出陣したが敗北し、主家とともに萩に移った。

 その後、慶長6年(1601)に坂崎出羽守成正が入封し、吉見氏の城を大改修し、近世山城として完成させ、三層の天守を築いたという。しかし、成正は元和2年(1616)、本多忠刻に嫁ぐ千姫の強奪計画が発覚したとして、自害させられる。替わって元和3年(1617)に亀井正矩が入封し、以降、亀井氏が明治まで続いた。

 標高367mの霊亀山の最高所に本丸を築き、本丸から一段低いところの天守台を中心に、北に二の丸、太鼓丸、出丸を構え、南に人質曲輪、南と西へ三の丸が張り出す形となっている。天守は貞享3年(1686)に落雷で焼失し、その後再建されることはなかったという。城下に2基の櫓が現存する。


 夜行高速バスで早朝に山口へ到着。そこからJR山口線の普通列車に乗って津和野駅で下車。駅から歩いて向かう。寒波が襲った前週までのような雪は降っていないが、この日は残念ながら雨。

 山陰の小京都・津和野の街並みを南へ歩いていく。殿町通りには多胡家老門が残っている。多胡家は亀井氏11代にわたって家老職を務め、藩財政に大きく貢献した家柄とのこと。


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 ここから、日本五大稲荷神社の一つに数えられるという太鼓谷稲荷神社の方へ向かう。朱塗りの鳥居のトンネルをくぐって登っていく。


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 神社の駐車場の脇にある登口から城跡を目指す。津和野城跡までは観光リフトで登ることができるが、12月から2月の冬場、リフトは運休中。まあ、リフトが動いていても下から歩いて登るつもりだったのでいいのだが、雨の中の登山は厳しいものがある。

 登り始めて20分ほどで出丸跡の下へ到着。


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 出丸は、吉見氏に替わって入城した坂崎出羽守成正が、津和野城改築のときに築いたもので、築城の指揮を弟で家老の浮田織部がとったことから、別名・織部丸ともいわれている。

 出丸跡へと登る。


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 本城を守るための戦略上、防塁としての役割は欠かせず、鉄砲に頼る実践的な戦術が進み、この場所を強化する必要があったという。


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 門を入ると右に番所があり、石垣に沿って塀がめぐらされていたという。


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 出丸跡から本城の方へ歩いていく。途中に建つ津和野城址の石碑。


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 そこから進むこと10分とかからず、二の丸跡の石垣が見えてくる。


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 そのまま進んでいくと東門跡。亀井氏の代には大手門となっていたところ。修復工事中で仮歩道が付けられていた。


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 本丸方面の石垣を見ながら登っていく。


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 天守台跡の石垣。通常、天守台は城内で一番高いところに築かれることが多いと思われるが、津和野城では、本丸より一段下がったところに築かれていた。


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 天守台跡の石垣の前から西へ進むと、馬立跡と台所跡へと至る。


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 この場所は、本丸西側の三の丸にあたる。馬立は乗馬をつなぎとめておくところ。右の方は三段櫓の最上部の建物へつながっていたという。


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 馬立跡の奥が台所跡となっており、石列による排水の機能が見て取れるという。


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 台所跡のさらに奥には海老櫓があり、搦手に直面する望楼であった。


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 もう一度、天守台跡の前まで戻る。南へ向かうと右手にあるのが西櫓門跡。


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 そのまま天守台跡の石垣の周りを進んでいく。


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 天守台跡へと上がる。かつては三重の天守があったが、貞享3年(1686)に落雷で焼失後は再建されなかったという。


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 天守台跡から太鼓丸跡の方へ進む。


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 太鼓丸跡へ出る。


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 太鼓丸跡から最高所である本丸(三十間台)跡を見る。


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 三十間台跡へと向かう。


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 虎口の石段を登って三十間台へ上る。


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 三十間台跡とそれに連なる太鼓丸跡からは、山と山に囲まれた津和野の街並みを眺めることができる。


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 三十間台跡から南側の三の丸跡方面を眺める。


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 三十間台跡を下り、本丸跡から先ほど眺めた南側の三の丸跡へ下りていく。


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 振り返って本丸跡の方を見る。


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 本丸跡の南に突き出た石垣は、人質櫓台の石垣。本丸周辺には、この人質櫓以外に、多聞櫓(三十間長屋)、鉄門櫓、太鼓丸櫓など多くの建物が建っていたが、天守と同じく、落雷でことごとく焼けてしまい、再建されることはなかったという。


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 三の丸跡を南へ歩いていく。


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 南門跡。


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 山頂部の散策を終え、もう一度、東門跡のところへ戻る。行きとは道を変え、帰りは大手道から下山する。


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 大手道の中ほどには、運搬途中の城壁用の石が転がっていた。石を担いでこの道を登るのは、さぞかし大変であったことだろう。


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 大手道を下りて登山口を左へ進むと、二重の物見櫓が現存している。このときは、残念ながら修復工事中で、シートで覆われていた。物見櫓は、藩主が祭礼等の催しものを見物した櫓とのこと。


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 物見櫓の裏の広場は、嘉楽園と呼ばれる藩主亀井家の藩邸があった場所。


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 さらに進むと、もう一つの現存櫓である馬場先櫓が建っている。藩邸は嘉永6年(1854)の大火で焼失した後、安政3年(1856)に再建されているので、隣接する位置にあるこの櫓もそのころの再建と考えられているが、正式な記録がなく判然としないとのこと。


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 この後、西周旧居や森鴎外旧宅・森鴎外記念館、葛飾北斎美術館などを見学しながら、街並みを散策し、萩へ向かうバスに乗るため、津和野駅前へ戻る。



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