77城目  No.65月山富田城(2009年10月11日登城) | 城めぐりん

77城目  No.65月山富田城(2009年10月11日登城)

 月山富田城の創築は、平安末期とも鎌倉初期ともいわれるが明らかではないという。史料上の初見は、応永2年(1395)、京極高詮の守護代として富田城に入った尼子持久のころである。持久の子・清貞が家督を相続し、京極氏からの独立を図るが失敗するが、清貞の嫡男・経久は守護から独立し、戦国大名へと成長する。

 尼子氏は、大内氏、陶氏、毛利氏との戦いを繰り返しながら、11ヵ国にもおよぶ広大な領地を獲得する。天文6年(1537)、尼子氏の基礎を築いた経久は孫の晴久に家督を譲る。永禄3年(1560)、晴久頓死により、嫡男・義久が跡を継ぐが、戦闘能力の激減した尼子氏は、山中鹿介らの活躍も及ばず、毛利元就に攻撃され、1年半の籠城の末、永禄9年(1566)、毛利の軍門に降って富田城は落城する。

 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏は城を追われ、代わって堀尾吉晴が入城する。しかし、富田城が領国統治上不便であることから、慶長16年(1611)に本拠を松江城に移した。これにより、420年間難攻不落と謳われた富田城も廃城となった。

 城は、月山の頂上に本丸、二の丸、三の丸を一直線に構え、中腹に山中御殿と称する広大な曲輪が置かれた。


 松江からJR山陰本線で安来駅へ移動。そこからは、安来市が運営するコミュニティバスのイエローバスに乗って向かう予定であったが、駅へ到着後、秋の観光シーズンの土日を中心に、市の観光協会が市内の観光スポットを巡る無料バスを運行しているのを知り、それを利用する。バスの中ではボランティアガイドの方がいろいろ説明してくれる。他の客がみんな足立美術館で下車する中、一人そのまま乗って安来市立歴史資料館でバスを降りる。歴史資料館の見学は後回しにして、先に登城することとする。

 歴史資料館の裏に回ると、月山富田城の模型が設置されている。


城めぐりん-月山富田1



 登城は、3箇所ある登り口のうち、御子守口を選択。しばらく車道を歩き、途中から左へ入って遊歩道を進む。


城めぐりん-月山富田2



 上りきると太鼓壇(千畳平)と呼ばれる広い曲輪に出る。尼子経久の頃、太鼓をつるした建物を建てて時を知らせたり、攻めの太鼓として士気を鼓舞するための太鼓があったところだという。


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 太鼓壇跡には山中鹿介幸盛の銅像が建つ。尼子氏が毛利元就に敗れた後、鹿介は主家の再興を期して孤軍奮闘するもかなわず、天正6年(1578)、壮絶な生涯を終えた。銅像は、没後400年を記念して建立されたもの。


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 太鼓壇からさらに進んだところが奥書院平跡。太鼓壇と山中御殿平の間に位置し、奥書院があったと伝わる。


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 さらに南の方へ進んだところが花の壇跡。本丸への中腹、山中御殿の北西に建てられた侍所で、西の大手道を監視・防御する重要な曲輪であったという。


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 近年の発掘調査によって、建物、門などの遺構が明らかになり、花の壇跡にはその一部が復元されている。

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 花の壇跡からさらに進んで、山中御殿跡の方へ向かうと、多聞櫓跡の石垣が見えてくる。


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 山中御殿は広さ約3000平方メートルにおよぶ広大な曲輪で、発掘調査の結果、巨大な礎石建物が確認されているという。菅谷口、塩谷口、御子守口からの登城路は山中御殿で合流することになる。


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 菅谷口から登ってきたところの虎口。


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 菅谷口の虎口のところの櫓跡と雑用井戸跡。


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 上御殿平。


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 山中御殿跡の南端正面の石段を登って主郭部へ向かうこととする。


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 石段を上ったところから、もう一度、山中御殿跡全景を眺める。左端が大手門跡。


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 山中御殿跡から山頂へは、七曲がりと呼ばれる登城道を登る。

 途中にある山吹井戸。


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 10分ほど登ると、三の丸跡の下へ到着。三の丸は山頂の主郭部の入口にあたる重要な曲輪。


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 三の丸跡西側の石垣。


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 わざと屈折させて攻めにくくしてある三の丸への虎口。ここを登って三の丸跡へ入る。


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 鳥居が建つ三の丸跡。


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 三の丸跡につづく二の丸跡。


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 二の丸跡から旧広瀬町の市街を望む。


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 二の丸跡の石垣。二の丸跡には休憩所の建物が設置されている。


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 二の丸跡から本丸跡へと進む。


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 月山の最高所に位置する本丸跡。行きつめたところにあるので別名甲の丸ともいうとのこと。


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 本丸跡に建つ山中鹿介幸盛記念碑。


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 本丸跡の奥に建つ勝日高守神社。大国主命を祀っており、尼子氏時代、城内の守り神であったという。


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 本丸跡の散策を終え、二の丸跡、三の丸跡へと戻る。七曲がりを下って山中御殿跡へ下り、大手門跡から下山する。御子守口のところの巌倉寺の奥にある、堀尾吉晴の墓と山中鹿介幸盛供養塔にお参りしてから、安来市立歴史資料館へ行き展示を見学。その後、無料バスで安来駅へ戻る。乗客は自分一人だけだったので、ボランティアガイドの方といろいろ話ができた。



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