60城目  No82大洲城(2009年7月31日登城) | 城めぐりん

60城目  No82大洲城(2009年7月31日登城)

 大洲城は肱川左岸に突き出た地蔵ヶ嶽を中心とした平山城。鎌倉時代末期の元弘元年(1331)、宇都宮豊房が築いた地蔵嶽城がはじまりとされる。豊臣秀吉の命により、小早川隆景が伊予平定後、天正15年(1587)に戸田勝隆が入城。文禄4年(1595)には、宇和島城に入った藤堂高虎が、大洲城の縄張りも行い、城代を置いたという。慶長14年(1609)には脇坂安治が城主となり、この頃天守が築かれたという。元和3年(1617)、加藤貞泰が米子から6万石で入封し、以後、加藤氏が明治まで13代にわたって続いた。

 天守は、明治6年(1873)の廃城令後も残っていたが、老朽化により、明治21年(1888)に取り壊された。しかし、平成16年(2004)、大洲市制50周年を記念して、古写真や天守雛型を基に、木造で四重四階の層塔型天守が復元された。その他、4基の櫓が現存する。


 JR予讃線の伊予大洲駅から徒歩で向かう。10分ほど歩くと肱川橋のところへ出る。橋を渡る前に、堤防沿いに進んで肱川の対岸から城を遠望する。ここから眺める姿がまた美しい。


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 もう一度、肱川橋のところまで戻り、橋を渡って市民会館の方へ歩いていく。市民会館のすぐそば、肱川に面した二の丸跡東端に苧綿櫓が建っている。天保14年(1843)に再建されたもので、二層二階、本瓦葺き、入母屋造り。一階に窓付き袴腰の石落しが設けられている。


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 市民会館の敷地を抜け西へ進むと二の丸大手門跡があり、さらに道沿いに進んだ右手の二の丸大手曲輪跡には下台所が建っている。下台所は城内の食料庫としての機能を果たしていたといわれる。


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 二の丸大手曲輪跡から石垣の上に復元天守を眺める。


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 二の丸大手曲輪跡の敷地に沿って進んでいくと、左側が二の丸御殿跡。御殿は、城主が政治を執り行う表御殿と、城主の住まいにあたる奥御殿に分かれており、下の曲輪に表御殿が、上の曲輪には奥御殿が建ち並んでいたという。


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 二の丸御殿跡のところに天守の礎石が展示されている。平成16年(2004)に完成した天守の復元に伴って、平成11年(1999)から天守跡の発掘調査が実施され、その調査により礎石と呼ばれる石が6個発見されたのだという。


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 右手に石垣を見ながら、ゆるやかな坂を登っていく。


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 その先の左手の広場が二の丸西曲輪跡。ここには大洲藩の教育に大きな影響を及ぼした儒学者・中江藤樹の像が建っている。


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 二の丸西曲輪跡の御門番長屋跡。曲輪内の仕切り塀の門に付属する長屋で、門番が詰めていた建物。


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 ここから右に折り返すように本丸の方へ坂を登っていく。左側の本丸の下段が井戸曲輪跡。本丸井戸は直径が約3.8mで、国内最大級の本丸井戸だという。


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 本丸の上段を目指し登っていく。


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 坂を登ったところが暗り門跡。天守に至る最後の関門になり、渡櫓を覆いかぶせた内部の暗闇の中にL字に曲折した石垣と石段が仕掛けられていたという。


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 本丸跡へ出る。復元された天守を中心に台所櫓、多聞櫓、高欄櫓が連立する姿は美しい。天守は四重四階、大壁造りの漆喰塗り仕上げで、黒塗りの下見板張りとの対比がすばらしい。千鳥破風を初層と二層で数を変え、三層には唐破風を設けている。通常は最上階に用いられる花頭窓が二階に付けられているのは珍しい。

 台所櫓は、安政の地震で大破した後、安政6年(1859)に再建されたもので、一階の3分の1が土間になっていて、炊事ができる特徴ある造りとなっていることから、この名があるという。


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 高欄櫓は、二層二階の櫓で、2面に高欄が付設されている。こちらも安政の地震で大破し、万延元年(1860)に再建された。

 天守と台所櫓、高欄櫓を連結する多聞櫓は、天守とともに復元されたものであるが、台所櫓と連結する北多聞櫓は下見板張りであるのに対し、高欄櫓と連結する西多聞櫓は全面漆喰塗となっている。これは、明治期の古写真に倣って忠実に復元を行った結果だという。


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 台所櫓の入口から中へ入る。天守は、江戸時代の天守雛型が現存し、絵図や明治期に撮られた3方向からの古写真も存在し、発掘調査の成果など、豊富な復元根拠を基にして、極めて本物に近い木造での復元が可能であったというのはすばらしいことである。


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 天守内には、大洲城創建当時の様子を想定したジオラマも展示されている。


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 天守から肱川の流れを望む。


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 建物内から外へ出て、本丸跡から坂を下って、もう一度市民会館のところへ戻る。そこからもう一つの現存櫓である三の丸南隅櫓を見に行く。現在は市街地の中となっている県立大洲高校の運動場の北に建つ二層二階、本瓦葺きの櫓。明和3年(1766)の築造。


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 三の丸南隅櫓を見てから、駅へ戻る途中にある大洲市立博物館へ行く。ここには、天守復元に際し貴重な資料となった江戸期の天守雛型が展示されている。大洲藩作事方棟梁の中野家に伝わった天守木組み模型で、内部構造を立体的に知り得る第一級の資料である。


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 この後、駅へ戻る。



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