39城目  No.22八王子城(2009年5月3日登城) | 城めぐりん

39城目  No.22八王子城(2009年5月3日登城)

 八王子城は、北条氏照によって築かれた北条氏最大の支城。氏照の主城の滝山城が丘陵の城であったため、より防御の強い城の必要性から築城されたという。築城の時期ははっきりとしないが、天正12年から15年(1584~87)の間と考えられているという。しかし、まだ築城途中であった天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧により激戦の場となり、前田利家・上杉景勝軍に攻められ、わずか1日で落城した。

 城は、本丸を中心とする要害地区と、麓の居館地区、外郭の防御施設からなる。石垣を多用しているところに、古い時代の山城ニはない特徴があるという。


 JR中央本線の高尾駅北口から西東京バスに乗って霊園前のバス停で下車。そこからゆっくり20分ほど歩くと、八王子城跡管理棟へ到着。


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 管理棟でパンフレットをもらい、まずは山麓部分の御主殿跡の方から散策することにする。

 御主殿へ入る道である古道はきれいに整備されている。途中、堀切には木橋が架かる。


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 敵を防ぐ重要な位置に作られた大手の門跡。昭和63年(1988)の確認調査で、門の礎石や敷石が見つかったのだという。


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 古道を数分歩くと、御主殿跡へ渡るために城山川に架けられた曳橋が見えてくる。古道の復元整備の一貫として架けられたもので、位置は本来とは異なっているとのこと。


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 曳橋を渡って御主殿跡へと向う。御主殿跡へ入る枡形虎口は3度曲がる形となっている。石垣や石段は当時のものをそのまま利用し、できるかぎり忠実な方法で復元されたという。


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 御主殿跡の入口には冠木門が建っている。当時の門をイメージして建てられたもので根拠はない。


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 冠木門をくぐって御主殿跡へ入る。氏照の居館があった曲輪で、東と西を空堀で区画されている。落城後、徳川氏の直轄領、明治以降は国有林であったため、当時のままの状態で保存されていたという。発掘調査で、礎石を使った建物跡、水路の跡や、ベネチアングラスなど約7万点もの遺物が発見された。


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 御主殿跡を出て、曳橋の下を通って、もう一度管理棟のところまで戻る。


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 管理棟のところから、次はいよいよ要害部分へと登ることにする。


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 10分ほど登ると金子丸に到着。ここは金子三郎左衛門家重が守備していたところといわれ、尾根をひな壇状に造成して、敵の侵入を防ぐ工夫がされている。


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 さらに山道を登っていく。途中の見晴らしポイントからは、晴れていれば新宿副都心なども見ることができるというが、あいにくこの日は、かなりもやっていて見えなかった。


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 下から40分弱で八王子神社の下へ到着。石段を上って行く。


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 延喜13年(913)に華厳菩薩妙行が山頂で修行中に牛頭天王と8人の王子が現れた。その因縁で延喜16年(916)に八王子権現を祀ったのだといわれている。


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 八王子神社の南側の曲輪は松木曲輪。中の丸とも二の丸とも呼ばれ、中山勘解由家範が守備していたという。前田利家軍の攻めを防ぎきれなかった。


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 八王子神社の裏からさらに登ると本丸跡に到着。それほど広くはなく、未完成であったためか、段になっているだけで虎口も石垣もない。大きな建物もなかったと考えられている。横地監物吉信が守備していたという。


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 要害部分の見学を終えて下山し、もう一度歩いてバス停へ向かい、バスで高尾駅へ戻る。



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