36城目  No.37一乗谷城(2009年4月29日登城) | 城めぐりん

36城目  No.37一乗谷城(2009年4月29日登城)

 一乗谷城は、文明3年(1473)に朝倉孝景が越前守護斯波氏を破り、一乗谷に居館を築いたのに始まる。一乗谷川に沿う山間の平野部を城戸と四方の山城で守り、豪壮華麗な館や庭園を築いた。城下には武家屋敷や寺院、町屋が建ち並び、5代103年間にわたって繁栄したという。

 しかし、天正元年(1573)、朝倉義景が織田信長との戦いに敗れ、城下は火を放たれ灰燼に帰した。

 現在、城下町跡は国の特別史跡に指定され、発掘調査・整備が行われており、町並みが大規模に立体復原されている。

 館の東側尾根の一条城山の頂上付近に築かれた山城部分は、大きな礎石がある千畳敷、土塁をめぐらした観音屋敷、一の丸、二の丸、三の丸などの遺構が尾根に沿って現存し、その周りに空堀、堀切、堅堀なども見られるという。


 今回は麓の居館跡などの見学で、山城部分は次の機会に訪れることとした。

 国道158号線から県道に入り足羽川に沿って進み、JR越美北線の線路を越えて右折する。一乗谷川沿いにすこし走ると、城下への入口の下城戸跡がある。谷が最も狭い地点に土塁を築いて城門とされ、山裾には巨石を積んだ枡形の城戸口が見られる。


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 復原町並の管理棟のところの駐車場に車を停め、まずは復原町並を見学することにする。約200mにわたって、塀に囲まれた重臣の屋敷が並び、計画的に造られた道路を挟んで、武家屋敷や町屋が形成されていた様子が立体的に再現されている。発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま使い、出土した遺物に基づいて、屋内も柱や壁、土間や板の間、引き戸、開き戸などの細部まで復原されている。


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 町並立体復原地区の北側入口のガイダンス施設には、武家屋敷群のジオラマも展示されている。


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 復原町並を出て、一乗谷川を渡って、朝倉館跡の方へ向う。


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 朝倉館跡は5代義景の住んだ館の跡で、三方は土塁と濠で囲まれ、常御殿、主殿、会所、茶室、花壇のほか、台所、厩、蔵などが整然と配されている。

 館跡の正面、濠に面して建つ唐門は義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の山門で、豊臣秀吉が寄進したものと伝えられており、朝倉家の家紋のほか、豊臣家の家紋も刻まれている。


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 館跡の東南隅には朝倉義景公墓所がある。


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 そこから山道を登って湯殿跡庭園へ向う。ここからは館跡全体を見下ろすことができる。


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 湯殿跡庭園は、一乗谷で最も古い庭園とされる池泉式庭園で、荒々しい石組みが林立した迫力ある庭。


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 次に諏訪館跡へ向う。諏訪館は、5代義景の側室・小少将の館。


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 諏訪館跡庭園は遺跡の中で最も規模の大きい回遊式林泉庭園で、上下2段からなり、上段には滝石組みと湧泉石組みを備え、下段の滝添石は4m余りの巨石である。


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 そこから遊歩道を歩いて上城戸跡へ向う。上城戸は城下への南側の入口で、堀と土塁が残る。


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 その後、駐車場へ戻り、車で福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館へ行く。



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