34城目  No.49小谷城(2009年4月4日登城) | 城めぐりん

34城目  No.49小谷城(2009年4月4日登城)

 小谷城は、大永年間(1521~28)に戦国大名・浅井亮政が築いたとされ、亮政、久政、長政三代の居城であった。永禄10年(1567)、長政は織田信長の妹・お市を娶り、勢力の拡大をはかったが、元亀元年(1570)、信長が越前の朝倉義景を攻めた際に、長政は朝倉陣営に与したため、以後、信長と敵対関係となる。信長は姉川で朝倉・浅井連合軍を破った後も、小谷城攻略をあきらめず、天正元年(1573)、大軍に包囲され四面楚歌となり、羽柴秀吉らの部隊に攻められ、小谷城は落城。久政、長政父子は自刃した。このとき助け出されたお市の方とその娘の三姉妹は、信長の弟・信包のいた伊勢上野城、その後、安濃津城で保護されていたという。

 落城後、浅井氏の旧領を与えられた羽柴秀吉が入城するが、山城をきらい長浜に新たな城を築いて移ったため、小谷城は廃城となった。建物の大半は、長浜城築城の資材として利用されたという。


 本当なら下から歩いて登城すべきところであるが、ズルをして金吾丸跡下のところまで車で登ることにする。伊部口駐車場のところから林道を登っていくと、まず右手、大手道の横に出丸跡がある。大手口付近や清水谷を含めた城下や北国往還を監視したところ。上下二段の曲輪と土塁からなる。


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 さらに登っていくと眺望が開けた望笙峠があり、そこから数分で金吾丸跡の下に到着。車で登れるのはここまで。車を停め歩いていくと正面に城跡案内看板がある。そこから左の方へ登っていくと金吾丸跡。


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 大永5年(1525)に六角高頼が小谷城を攻めたとき、朝倉金吾教景が援軍に来てここに陣を布いたといわれることから金吾丸と名付けられたという。


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 もう一度案内板のところへ戻り、城の奥へと進んで行く。すぐにある平坦なところが番所跡。主郭の入口にあたり、城内への出入りを厳重にチェックする重要な場所。


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 さらに進んだ場所が御茶屋跡。名前の風雅さとは裏腹に、軍事施設であったという。

 その次にあるのが御馬屋跡。この背後にあるのが馬洗池である。名前からみると、ここで馬を洗ったというふうにみられるが、それよりは、城内の飲料水確保の溜井であったという説が有力なようである。


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 馬洗池から少し登るとあるのが首据石。天文2年(1533)、今井左衛門尉秀信を神照寺で殺害し、首をここにさらしたと伝わる。


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 首据石の先で道が二手に分かれ、右の方へ進んで行くとあるのが赤尾屋敷跡である。浅井氏の重臣・赤尾氏の屋敷跡といわれ、浅井長政が自刃した場所と伝わる。


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 もう一度首据石のところまで戻る。御馬屋跡の上にある平坦な場所が桜馬場跡。ここからの眺望がよく、南東方向に姉川合戦場跡が望める。


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 桜馬場跡には、浅井氏と家臣の供養等が建つ。その供養塔の横にあるのが、左右に石垣を築き、中央に数段の石段を設けた黒金門跡。城の主郭を守る門である。


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 黒金門跡を通ると大広間跡。城内で一番広い曲輪で千畳敷とも呼ばれた。ここは最も大きく重要な建物があったところで、建物跡が検出されているという。


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 大広間跡の北の一段高くなっているところが本丸跡で、鐘ヶ丸とも呼ばれた。大広間跡側には石垣が築かれている。


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 鐘ヶ丸跡は櫓があったところで、この櫓は天守ともいい、彦根城の西の丸三重櫓には元小谷城天守の伝承があるという。

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 本丸跡の北は大堀切跡となっている。その北にある曲輪が中丸跡。3段からなっており、それぞれの曲輪に横矢を設けられているという。


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 中丸跡の清水谷側にある曲輪は御局屋敷跡。城中における女房たちの居住したところだという。御馬屋跡からの帯曲輪に続いている。


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 中丸跡の一角に刀洗池と称される小さな池がある。中丸跡からさらに一段上がったところが、京極高清父子が住む屋敷があったと伝わる京極丸跡。大広間に次ぐ広さの曲輪だという。


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 京極丸跡のさらに北にあるのが、落城のとき浅井久政が自刃したところといわれる小丸跡。左右2段の曲輪からなっている。


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 そしてさらに登ったところ、小谷城主要部の最高所に位置するのが山王丸跡である。この山王丸跡の東面には大石垣と称される往時の石垣が遺存している、


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 山王丸は小谷城の詰めの丸で、山王権現が祀られていたという。4段からなり、前面に馬出しを設けているという。


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 ここからさらに北側に続く山道を下って六坊へ行き、そこから大嶽を目指すつもりであったが、雨が降ってきたので断念し、下山することにした。


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 車へ戻って林道を下り、清水谷の入口にある小谷城戦国歴史資料館へ行く。資料館前の広場には、模擬大手門が建てられている。


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 右手の方へは追手道が続いている。清水谷から出丸跡裏を経て、番所跡へと通じている。


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 小谷城戦国歴史資料館見学後、旧浅井町にある浅井歴史民俗資料館(お市の里)へも行く。



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