33城目  No.40山中城(2009年3月21日登城) | 城めぐりん

33城目  No.40山中城(2009年3月21日登城)

 山中城は、小田原城の西方防御のため、後北条氏によって永禄年間(1558~69)に、箱根外輪山から南西に伸びる尾根上に築城されたとされる。天正15年(1587)以降、豊臣秀吉の来襲に備え、急遽岱崎出丸や馬出しの増築、複列障子堀の掘削など、大規模な改修を行った。しかし、天正18年(1590)3月29日、増築が未完成のまま、豊臣軍の総攻撃を受け、わずか半日で落城したという。


 JR東海道線三島駅で列車を降り、駅南口のバスターミナルから、元箱根港行きの沼津登山東海バスに乗る。バスに揺られること30分ほどで山中城址バス停に到着。城址は国道1号線を挟んで左右に広がる。まずは降りたバス停側、本丸跡や西の丸跡等のある方から散策することにした。


 バス停のところの広場から、三の丸堀に沿って進んで行く。三の丸の上には、水の手の一つである田尻の池が今も豊富な水を湛える。溢れた水は三の丸堀に排水していたという。


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 田尻の池のところから、きれいに整備された土塁の間の通路を通って、二の丸跡へと向う。


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 二の丸虎口から二の丸跡へと入る。二の丸跡は広々とした曲輪で、地形が南に向ってかなり傾斜している感じである。西端には櫓台跡がある。


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 櫓台跡の上から、二の丸と元西櫓の間に架かる二の丸橋を望む。


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 二の丸跡の中を東の方へ歩き、本丸西橋を渡って本丸跡へと入る。橋の架かる二の丸跡と本丸跡の間の堀にも畝が見られる。本丸跡は城内最高所にあり、三方を大土塁が囲んでいる。南側下段は兵糧庫と伝承される場所で、建物跡が発見されたという。


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 本丸の北西端の一段高くなったところが天守櫓台跡。


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 天守台跡の横の本丸北橋の木橋を渡ったところが北の丸。最後の攻防の舞台となったところ。


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 本丸のまわりの本丸堀も畝堀になっている。西下がりの地形に合わせて、畝の上部も階段状に西へ下がる形になっている。説明板によると、本丸堀は畝をつくることにより、用水池をも兼ねることができるのだという。


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 北の丸から帯曲輪を通って西の丸跡の方へ向う。西の丸跡の入口には模擬冠木門が建っている。


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 西の丸は山中城の西方防衛の拠点で、城内で最も厳重な構えを見せる。西端には盛土を積み上げた見晴台があり、ここを中心に曲輪の三方をコの字型に土塁を築いている。曲輪全体は東へ傾斜しており、東側にある溜池に、連絡用通路を排水口として雨水等が集められるしくみになっていたということである。


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 そして何と言っても、山中城の見どころのハイライトは、西の丸の周囲に巡らされた障子堀。幅広の堀の内部に掘り残された土手状の堀障子の景観に感動する。


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 西の丸跡外側の帯曲輪からは富士山が望めるはずであったが、残念ながら雲に覆われ、その姿を眺めることはできなかった。


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 西の丸跡からもう一度、到着したバス停のところの広場へ戻り、国道1号線を渡って岱崎出丸側へ行く。


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 岱崎出丸は、箱根旧街道を西側に見下ろす位置にあり、街道に面した側に長大な畝堀が備えられている。秀吉軍の来襲に備え急遽整備が進められたが、整備途中で攻められ未完成であったという。

 山中城は東海道を敷地内に取り込むような縄張となっているが、この旧東海道の石畳の道も、きれいに復原整備されている。


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 もっとじっくり時間をかけて散策したいところであったが、帰りのバスの時間もあったので、やむを得ずもう一度バス停へ戻り、三島駅行きのバスで駅へと戻る。



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 (再訪時の記録 山中城その2は こちら