31城目  No.53二条城(2009年3月20日登城) | 城めぐりん

31城目  No.53二条城(2009年3月20日登城)

 二条城は、慶長8年(1603)、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営。3代将軍家光は、寛永3年(1626)、後水尾天皇の行幸にあたって、本丸御殿と総塗籠の白亜の五重天守を築造した。しかし、寛永11年(1634)の家光の上洛以後、将軍の上洛は途絶えることとなる。

 慶応3年(1867)には、15代将軍徳川慶喜が二の丸御殿大広間で大政奉還を宣言した。


 市営地下鉄東西線の二条城前駅で降り、地上へ出ると目の前に二の丸東南隅櫓が建っている。東大手門の南側に位置する二層構造の櫓で、一層と二層の間に千鳥破風をもつ。伏見城から移築されたといわれる。


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 外堀に沿って北へ歩き、券売所で入場券を買って、東大手門から二の丸へ入る。東大手門は東に開かれた二条城の正門。扉や柱には鉄板を打ちつけた堅固な櫓門。


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 さすがに観光客でいっぱいである。東大手門を入ってすぐ右に建っているのが番所。二条城在番と呼ぶ江戸から派遣された番士の詰所。切妻造りの主屋に大きな庇が突き出た建物。


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 そのまま左の方へ回りこんでいくと、唐門が建っている。二の丸御殿の正門で、切妻造り、檜皮葺きの四脚門。前面と後面の屋根に唐破風をそなえる。軒下には彫刻が施され、飾り金具は桃山文化を代表する豪華な意匠である。


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 唐門をくぐると、正面に国宝の二の丸御殿。武家風書院造の代表的御殿建築。車寄につづいて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が並ぶ。各部屋の障壁画は狩野派によるもの。


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 御殿の中は多くの観光客で大渋滞。流れにまかせながら見学してから外へ出て、二の丸大広間の西、黒書院の南に位置する二の丸庭園を散策。小堀遠州の作庭と伝わる築山泉水庭園で、池の中に蓬莱・鶴・亀の3つの島を置き、4つの橋を架けて西北に滝を落とす。慶長7~8年(1602~03)頃の完成という。


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 庭園を歩き、二の丸から本丸へ向う。二の丸からは内堀に架かる東橋を渡り本丸櫓門を通って本丸へと入る。東橋は昭和初期まで二重廊下橋の形状であったという。


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 本丸は、寛永3年(1626)、3代将軍家光の命により増築されたという。家光が造営した御殿は、天明8年(1788)に大火により焼失。現在建っている本丸御殿は、明治26年(1893)に京都御所内にあった旧桂宮御殿を移築した公家風建築。弘化4年(1847)に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っている貴重なものとのことである。


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 本丸の西南隅には天守台が位置する。寛永元年(1624)に伏見城から移された五層の天守がそびえていたというが、寛延3年(1750)の落雷で焼失した。


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 天守台から本丸御殿を望む。


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 西橋を通って本丸から出る。北の方へ歩いていき、西北土蔵の横を通って進んで行くと北中仕切門がある。招造り、庇付きの門。かつてこの門の北に太鼓櫓があったという。


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 左手に清流園を見ながら東へと進んでしばらくすると、左手奥に北大手門が見える。


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 その後、二の丸土蔵、収蔵庫の横を通って東大手門から外へ出て、地下鉄の駅へ戻る。



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