21城目  No.42掛川城(2009年2月21日登城) | 城めぐりん

21城目  No.42掛川城(2009年2月21日登城)

 戦国の城を現在見る形の近世城郭へと改築したのは山内一豊。天正18年(1590)に掛川に入り、城の大改修を行うとともに城下町の整備も進められた。慶長元年(1596)には三重の天守も建てられた。一豊の土佐転封後は、多くの譜代大名が交替で入り、延享3年(1746)、太田氏が入封し、明治まで続いた。

 天守は幕末に取り壊されたが、平成6年(1994)に木造で復元された。


 静岡からJR東海道本線の普通列車に乗って掛川駅で下車。駅からも復元された天守が見える。まずは真っ直ぐ天守に向わずに、天守の東南の方、三光稲荷神社の南側に、天守に続いて平成7年(1995)に復元された大手門を見に行く。楼門造りの櫓門で、棟上には鯱瓦が飾られている。実際は、今の位置より50mほど南にあったとのことである。


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 大手門の横には大手門番所が現存している。江戸末期に建てられたもので、城内に出入りする者を監視する役人の詰め所。大手門の復元に伴ってこの場所に移築されたという。


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 そこから川沿いに歩いて天守の方へと向う。高台に三層四階の美しく勇壮な姿が見える。


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 三の丸の広場から階段を登って四足門をくぐって左手の方にある券売所で天守閣と御殿の入館券を購入。


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 券売所の上の方に建っているのが太鼓櫓。城下に時を知らせるための大太鼓が納められていた。昭和29年(1954)に、三の丸から今の位置に移築され現存している。


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 天守への階段を登っていく。


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 冠木門をくぐって天守曲輪へ入る。天守曲輪に霧噴井戸という城を守った伝説の井戸がある。この城を落とそうと徳川家康が今川氏真の立て籠もる城に攻撃を仕掛けた際、井戸から立ち込めた霧が城をすっぽりと覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなったという。


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 天守の中へ入る。木造復元天守の先駆けともいえるもので、史料を元に、古建築の伝統技術により復元された天守は、決して大きなものではないが、なかなか趣のある天守である。天守から二の丸御殿の全景を見下ろすことができる。


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 天守を出て、先ほど見下ろした二の丸御殿へ行く。儀式、公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務を司る役所の3つの機能を合わせ持つ建物で、現存する御殿は、文久元年(1861)に再建されたものとのことで、数少ない御殿建築の遺構として貴重なもの。

 玄関から中へ入って見学。書院造の構造がよくわかる。


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 御殿を見学した後、歩いて駅へと戻った。



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 (再訪時の記録 掛川城その2は こちら