3城目  No.60赤穂城(2009年1月24日登城) | 城めぐりん

3城目  No.60赤穂城(2009年1月24日登城)

 JRの播州赤穂駅から徒歩で向う。非常に寒い日であるが快晴。赤穂といえば、何といっても忠臣蔵。駅へ降りた瞬間から、街は忠臣蔵一色という感じ。


 10分ほど歩くと、再建された三の丸の大手隅櫓が見えてくる。赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ、慶安元年(1648)から寛文元年(1661)まで13年を費やして完成させた城。その縄張は甲州流軍学によってなされたといわれ、本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸は梯郭式になった海岸平城。

 「忠臣蔵」であまりにも有名な、長直の孫・内匠頭長矩の江戸城内での刃傷事件で、浅野家は3代57年で断絶。その後は、永井氏を経て、森氏が城主となり幕末に至る。


 明治になって建物は取り壊された。大手隅櫓は昭和30年(1955)に復元されたもの。


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 枡形となった大手門を入って進んでいくと、左手に城の設計を担当した近藤三郎左衛門正純の子、近藤源八宅跡長屋門があり、一般公開されている。その向いには、代々浅野家に仕えた重臣で、赤穂入封から断絶まで家老として大手門内側の一角に屋敷を構えていた大石内蔵助良雄宅跡長屋門が建っている。


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 さらに進んでいくと、右側が大石神社。三の丸の一部の大石内蔵助、藤井又左衛門の屋敷跡に建立された。祭神は赤穂義士47人及び萱野三平・浅野家三代・森家の先祖七代の武将。境内には義士宝物館があり、義士ゆかりの資料が展示されている。


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 そのまま右の方へと向うと、搦手となる塩屋門跡の遺構があり、枡形石垣がよく残っている。

 そこで引き返し、二の丸へ向う。本丸庭園の整備が完了し、二の丸庭園の整備が進められているところのようである。


 さらにその先へ行くと、本丸である。一の門である櫓門とニの門である高麗門、枡形から構成される本丸門が見事に復元されている。


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 本丸門をくぐって、本丸内部へと入る。中は広大で、きれいに整備され、発掘調査や古図類を基に、御殿の間取りの復元表示がされている。

 南東奥には打込み接ぎの石垣の天守台がそびえているが、当初から天守は築かれなかったという。


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 再び本丸門をくぐって、二の丸へ出て、右の方へ行くと、武家屋敷公園となっている。坂田式右衛門の屋敷があったところに、門と土塀を復元し、部屋の間取り表現が行われている。

 そのまま進んで行くと清水門跡。その門外には米蔵、薬煙場、番所などがあり、米蔵のあった場所は、現在赤穂市立歴史博物館となっており、赤穂義士や赤穂の塩などに関する展示がされている。


 その後、再び徒歩で播州赤穂駅へと戻った。




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