岡山県笠岡諸島の風景と廃校休校巡り⓶(2022/11/05) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、前編に続き笠岡諸島の風景と廃校休校巡りですが、

今回は上図の白石島を訪れました。

笠岡諸島の説明や前編の北木島の記事は⇒ こちらへ

 

白石島の詳細地図

人口:387人 2022年(令和4年)9月時点

白石島(しらいしじま)は笠岡港から直線距離で南へ12km、

航路では約16kmにある有人島です。

周囲約10kmの笠岡諸島で2番目に大きい島です。

笠岡諸島の中では例外的に平地が多く、島の中央部の平地は

もともと入江だったものが江戸時代に干拓事業として
埋め立てられたためです。

古来有名な風光明媚の地であり、1943年(昭和18年)には

国の名勝の指定を受けています。

 

白石島へは笠岡港(住吉港)から旅客船を利用しました。

旅客船は、伏越港からは出ていませんので注意して下さい。

小型の定期船「つむぎ」が波止場に横付けされています。

 

各島を周る旅客船は三洋汽船が運営しています。

新造船で外観も綺麗です。

高速船なのでフェリーのように甲板やデッキに出ることは

出来ませんが、笠岡港から約20分で白石島に着いてしまいます。。

 

白石島の家並みが見えてきました。

 

郷愁を感じる歓迎看板

 

波止場に下りて進むと、白石島を象徴する石碑が建っています。

 

モノクロ写真は、白石島に継承される「白石踊り」です。

1976年(昭和51年)には国の無形民俗文化財に指定されました。

白石踊りは、1184年の源平水島合戦の戦死者の霊を弔うために

始まったと伝えられており、江戸中期に完成し、以来島民の回向、

盆踊りとして定着し今日に継承されています。
全国的にも非常に珍しい盆踊りで白石踊見学、体験ツアーも

行われ多くの観光客が訪れます。

 

瀬戸内海国立公園の石碑

 

波止場から反時計回りに散策してみます。

 

弁天島

潮位の低くなる干潮時には、歩いて渡ることもできるそうです。

 

白石海水浴場

延長500mの砂浜が続く、岡山県三大海水浴場のひとつです。

 

 

夏場は多くの海水浴客で賑わうそうですが、オフシーズンでは

人影も無く寂しい佇まいです。

BBQコンロが放置してありました。。

 

旅館、民宿、海の家が海水浴場に沿って軒を連ねています。

当日は、季節外れで閑散としていました。

シーカヤックやウインドサーフィンなどマリンスポーツも

体験できるそうです。

 

さらに歩を進め、展望台の案内を見て山側へ登っていきます。

 

トレッキングコースが整備されていて歩きやすい道となっています。

 

穏やかな瀬戸内海に心身ともに癒されます。。

 

紅葉した樹木と多島美

 

「はと岩」

巨岩に手足をかける窪みがあります。

 

展望台

 

入江は白石港です。

左端に弁天島、海水浴場が見えますね。。

 

内陸の家並み

 

ズームアップしてみると、中央の山裾に白石小中学校が見えます。

 

開龍寺は、806年弘法大師空海上人が開山されたと云われて

います。

 

参道を進みます。

 

立派な山門です。

 

開龍寺の境内案内図

付近の山全体が広大な境内となっています。

 

本堂

源平合戦のとき、戦死者を弔うために寺が建立され、その後

1625年福山城主、水野勝成公が祈願所として再建し、開龍寺と

名付けました。

 

不動岩

奥の院の手前にある巨岩です。

岩の窪みに額を当てて心の中でお願い事を三度唱えて下さい。

 

奥の院

巨石の中に大師堂、手前に弘法大師空海上人像が建っています。

弘法大師が806年(大同元年)に唐の国から帰国する際に

白石島に立ち寄り、37日間の修行を行ったと伝えられています。

 

山の中腹にエキゾチックな塔が目を引きます。

 

白亜の塔は、「仏舎利塔」と呼ばれ、開龍寺の境内にあります。
日本で初めてのタイ式仏舎利塔(お釈迦様の遺骨を納めるとされる仏塔)で、

1968年(昭和43)年にタイから住職たちが来島し、仏舎利と

1200年前の釈迦如来像一体が開龍寺に奉納されたのだそうです。

1970年(昭和45年)11月に建立、高さは24mあります。

 

佛足石と幸福の鐘

佛足石はお釈迦様の足裏を表し、古来より多くの人に拝まれて

来たそうです。

幸福の鐘三つは、3回鳴らすことで幸福を呼び寄せることが

出来るそうです。

 

山を下りて、さきほど展望台で見た小中学校に向かいます。

畑の畦道を直線的に進みます。

 

群生したセイタカアワダチソウ

 

丘の上に校舎が見えてきました。

 

手前に幼稚園、奥に中学校です。

幼稚園は休園中ですが、住民組織により託児所を設立し

(旧幼稚園を利用)2022年から3歳児2名が通園しているようです。

 

3棟並んだ真ん中が小学校です。

 

正面玄関

 

校章

 

校庭の様子

休校になったばかりですが、綺麗に整備されています。

 

遊ばれなくなった遊具

 

ウルトラマンの石像

指人形のおもちゃみたいですが、綺麗に加工しています。

奥にバルタン星人も見えます。

 

校訓碑

校 歌
一、

吹けよ潮風 緑の島は
仲よし ぼくたち わたしらの
夢わく里だ ふるさとだ
ああ あの雲に 青空に
希望ふくらむ 白石小学校

 

白石小学校(2019年休校)

1901年(明治34年)創立
1987年(昭和62年)全校児童65名
2012年(平成24年)全校児童17名
2018年(平成30年)全校児童3名

白石島の過疎化による人口減は、児童数の推移にも表れています。

立派な校舎は、再開の日を待ち続けています。

 

中学校舎は2階建てと3階建て校舎が重なり合っています。

 

校舎の近景

 

校訓碑

 

校歌碑

一、

内海の潮の流れのあうところ

吉備の山脈遠くみる

自然を庭のまなびやに

つどうわれらに幸多し

ああ われらの 白石中学校

 

白石中学校(2022年休校)

校歌に歌われるように、白石島は、笠岡諸島の中央に位置し、

東の水島灘と西の備後灘の潮境になっているのみならず、
瀬戸内海全体を東西に分ける位置にあります。

1949年(昭和24年)に白石島村立白石中学校として開校。
1987年(昭和62年)全校生徒41名
2020年(令和2年)全校生徒5名
2022年(令和4年)3月末 最後の1名が卒業し休校となる。

バドミントン部は全国的な強豪校として知られ、

1976年~1980年の5年間、女子団体は岡山県で5連覇の

偉業を成し遂げ、1980年には女子団体は全国3位の

成績を残したのことです。

離島でも少数精鋭で成し遂げた栄光ですね。。

小学校も中学校も休校となり、国の無形民俗文化財に

指定された古来より継承される「白石踊り」の担い手が

いなくなってしまうかもしれませんね。。

最後の卒業生が述べた答辞です。

「私は他の人よりも少しだけ大変だったかもしれない。

しかし、他の人よりたくさんの幸せを感じることができた。」