岡山県笠岡諸島の風景と廃校休校巡り⓵(2022/11/04) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

笠岡諸島は、瀬戸内海中部にある諸島で、全島が岡山県笠岡市に

属しています。

笠岡諸島は、大小31の島々からなっています。
その内の高島、白石島、北木島、真鍋島、大飛島、小飛島、

六島の7島が有人島で、島民の数は約750人から100人足らずまで、
基幹産業も石材業から漁業・観光業など、それぞれに特色が

ある島が連なっています。
瀬戸内の多くの諸島は橋で結ばれている中、橋を一切有さず

純粋に「離島」の風土を残す笠岡諸島には独特の歴史、文化が

残っています。

 

今回は、笠岡諸島で最大の島、北木島を訪れました。

 

北木島の詳細地図

人口:633人(2022年7月31日時点)

島の北側に金風呂(かなふろ)と豊浦、東側に大浦の港があり、

港の周辺には集落が形成されています。

北木島は、花崗岩の産出と加工で栄え、岡山県産「北木石」は、

香川県産「庵治石(あじいし)」、愛媛県産「大島石」と並び、
瀬戸内の三大銘石の産地として称されました。
近年は、お笑い芸人「千鳥」の大悟さんの出身地として脚光を

浴びるようになりました。

 

笠岡の伏越(ふしごえ)港7:15発のフェリー、瀬戸内観光汽船

(金風呂丸)が波止場に着きました。

早速、小生はバイクに乗って搬入します。

北木島へのアクセスは、他に笠岡フェリー(大福丸)や笠岡市の

運営する旅客船(普通・高速)が運航しており、待ち時間に

さほど困ることはありません。

フェリーの詳細は⇒ こちらへ

旅客船の詳細は⇒ こちらへ

※旅客船は笠岡の住吉港から出港し、北木島の東側の大浦港に

(一部は楠港を経由)着きます。フェリーと発着港が異なりますので

注意してください。

 

豊浦港の様子

フェリーは伏越港を出ると、白石島を経由し北木島の豊浦港、

そして金風呂港の順に運航します。

 

ガソリンスタンドの奥の倉庫に赤い丸と黒い鳥の壁画が

目立ちますが、中央部に「ようこそ北木島へ」とあります。

後で調べたところ、2021年2月11日~2月14日に「島を奏でるツアー」

という芸術と音楽の祭典が当地で開催されました。

イベントには、岡山県出身の中西圭三さんのほか・中村耕一さん・

三宅伸治さんらが参加、大いに盛り上がったそうです。

倉庫の壁画は、イベントに先立ち、画家・イラストレーター・

絵本作家のMAYA MAXXさんが、地元のボランティアの人たちと

5日間かけて一緒に制作したアート【奏でる鳥を描こう】です。

赤い丸は石を表していて、鳥は天から降りてきて

島のみんなを守る大きな鳥をイメージしているとのこと。
 

隣の「K's LABO」は、北木島にある観光複合施設です。

「ストーンミュージアム」では、日本有数の石材産地・

北木島の歴史や文化、魅力を発信しています。
カフェ、レンタサイクル、マリンレジャーレンタル等も

利用できます。

 

「K's LABO」のエントランス

花崗岩でできた恐竜が迎えてくれます。

 

豊浦港では下船せずに次の金風呂港まで乗ります。

 

金風呂丸の全景1

車両や乗客の乗降が終わるとすぐに、ハッチを閉じて波止場を

離れていきます。

ゆっくり撮影している時間はありませんでした。。

 

金風呂丸の全景2

 

ちなみに、こちらは笠岡(伏越港)と北木島(豊浦港、金風呂港)を

往復する笠岡フェリー大福丸です。

斬新な外観ですが、2019年9月より就航している新造船

「第弐拾八大福丸」です。

 

8:15 金風呂港に着きました。

笠岡伏越港を出航してから所要1時間です。

 

金風呂港に着いたら目の前に小学校が建っています。

石造りの塀に大理石の表札です。

 

ブルーやグリーンのタイルのモザイクが目を引きますが、

何を表しているのか不明です。。

 

沿道から撮った校舎

鉄筋3階建ての現役校舎です。

 

校庭側から撮った校舎

現役校なので、敷地の外から撮りました。

 

校舎の近景

ベランダに学校標語が掲げてあります。

「がんばる 北木っ子 にこにこ笑顔で元気にあいさつ」

 

校庭の遊具

二宮尊徳像

 

学校標語を刻んだ石碑

 

校門の掲示板

 

北木小学校(現役)

金風呂港に面した学校です。

沿革をみると、

1873年(明治6年)3月 北木小学校創立
1882年(明治15年) 豊金小学校 創立
1890年(明治23年) 北木小学校と豊金小学校を合併
1904年(明治37年) 豊浦尋常高等小学校金風呂分教場創立(北木西小学校)
1947年(昭和22年) 北木小学校金風呂分校と改称
1972年(昭和47年) 鉄筋3階建西校舎竣工
1981年(昭和56年) 鉄筋3階建東校舎竣工
2001年(平成13年) 4月1日 北木小学校、豊浦分校、北木西小学校が統合し、

           笠岡市立北木小学校となる。校舎は旧北木西小学校舎を転用。

近年、島外への転出と出生率の低下によって過疎化が急激に進行しています。

現存校舎は鉄筋3階建ての立派な校舎(1981年築)ですが、

2022年(令和4年)度の全校児童は5名(男子3名、女子2名)と

厳しい状況が続いています。。

 

金風呂地区から時計回りに北部~東側~南部へ進むコースを

採ります。

平屋の民家のような建物に解説板がありました。

 

「光劇場」という映画館

石材業が活気を呈した、1950年(昭和25年)~1967年(昭和42年)頃まで

島内にあった4つの映画館のうちの1つです。

当時の設備や映写機を残してあるようですが、当日は休館していました。

解説板が無ければ、そのまま通過するところでした。。

 

メインの県道295号から脇道に入ると、石切り場跡が

あちこちに見られます。

 

馬越丁場湖を英語で刻んだ石材

中西圭三さんの名もありました。

上の石材に付いている等間隔の線は、石を切り出した痕跡です。

奥に進むと。

 

丁場湖

丁場湖とは、採石湖跡のことで、かつて採石していた丁場が操業停止し,

そこに雨水が溜まって湖のような景観となったものです。

山水画のような神秘的な光景ですが、断崖に囲まれた深緑の

湖面は、とてつもない冷たさを感じました。

 

丁場湖のステージ

湖面に浮かべたステージを舞台にライブやショー等のイベントが

行われたようです。

当日は人の気配も無く静まり返っていました。

 

※石切りの渓谷展望台は昼の時間帯のみ見学可能のため

時間調整後にやって来ました。

付近には日本遺産を呼びかける幟が出ています。

日本遺産とは、文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて

文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として認定し、

地域活性化を目指す取組です。
北木島は「石の島」として2020年に認定されました。

 

作業場に来ました。

鶴田石材さんとは、事前にこちらで待ち合わせ後、係りの方が、

石切りの渓谷展望台まで案内していただけます。

 

創業1892年(明治25年)

明治時代より続く唯一の採石場

 

丁場を背景に腕を組んでいる男性は、大悟さんのお父様です。

お父様は、石の加工に携わっておられたそうです。

 

岩石採取標識(鶴田石材株式会社)

現在も北木島で採石をしているのは2社だけだそうです。

 

石切りの渓谷展望台ゲート

係りの方に鉄格子の錠前を開けてもらって中に入ります。

 

切り立つ断崖は壮観な眺めです。

1892年(明治25年)から掘り続けた丁場は、高さ60mに

及びます。

切り出した石は、古くは大坂城の石垣、近代では日本銀行本店、

東京駅丸の内本屋などの重要文化財に使用されました。

 

明治期は手作業で採掘していたそうです。

花崗岩の特性により、垂直(縦)にしか掘り進められないそうです。

 

雨水が溜まって丁場湖となっています。

断崖は湖底から約100m、水深は40mもあります。

展望台から落下したら一溜りもありませんね。。

 

【石切りの渓谷展望台】
・場所:岡山県笠岡市北木島町8703
・見学時間:毎日12:00~13:00(年末年始を除く)
・料金:大人1,000円、子ども500円
・予約:不要(直接現地までお越しください)
・アクセス:JR山陽本線 笠岡駅から徒歩15分、

伏越港フェリー乗り場から北木島ゆきフェリーで約1時間、金風呂港下船、徒歩10分。
※お問い合わせ:0120-68-2120(鶴田石材株式会社 本社採石場)

 

さらに進むと、丁場湖の解説板や幟が立っていました。

 

解説板の隣に小さな石柱

「北木の桂林(今岡丁場跡)」とあります。

進んでいくと。。

丁場湖

今岡石材の採石場跡ですが、先ほど見た丁場湖と大きな違いは

ありません。

 

この風景が中国の桂林に似ている事から、北木島の桂林と

呼ばれています。

 

さて県道295号に戻り海岸沿いに進みます。

桂林の次はベニスですか。。

 

イタリアの水都、ベニスを思わせる風景から、

北木のベニスと呼ばれています。

イタリア人が見たら何と言うでしょうか。。

 

引き続き県道を進み、豊浦地区に入ります。

北木島郵便局の手前、沿道右手に、空色の木造校舎らしき

建物が目に入りました。

 

建物側面の玄関

モダンな玄関ポーチです。

表札は、公会堂とありました。

現在も使用されているようですが、校舎ではありませんでした。

 

玄関前の石碑

訳すと、

「住み着きて慣れしと言ふも 険しきを女働く

島の生業」

島で働く女性の暮らしは決して楽ではなかったようですね。。

 

校庭から撮った公会堂

1934年(昭和9年)築です。

 

公会堂の隣のピンクの建物は幼稚園です。

 

遊具は残っていますが、園児らの気配はありません。

 

幼稚園の銘板も残っていますが、現在は閉園となり、

NPOのかさおか島づくり海社が入っています。

 

公会堂の手前の白い壁の建物がありますが、集会所です。

 

集会所

かつてこの場所に北木小学校豊浦分校がありましたが、

解体後に集会所が新築されています。

 

集会所の名前は、「豊浦ふれあい会館」です。

 

校庭の様子

 

奥に銅像や石碑が並んでいます。

 

二宮尊徳像

 

聡明な顔立ちですね。。

 

1968年(昭和43年)に制定された校訓

「敬いあう

助けあう

励みあう」

 

分校跡碑

北木小学校豊浦分校(2001年閉校)

沿革をみると、

1882年(明治15年)豊金小学校創立
1903年(明治36年)豊浦尋常小学校として独立
1913年(大正2年)北木尋常高等小学校豊浦分教場と改称
1947年(昭和22年)北木小学校豊浦分校と改称

1987年(昭和62年)全校児童45名
2001年(平成13年)3月(新)北木小学校に統合に伴い閉校
最後の児童7名

校舎は解体され、集会所が新築されています。

校舎の隅に二宮尊徳像、分校跡碑、校訓碑が残っています。

 

豊浦港近くに、北木石で製作されたモニュメントが

並んでいます。
 

時計塔

台座には「北木島ふるさとカルタ」が刻まれています。

 

メビウスの輪

正式名称は「空間のメヴィウス円環180°ひねり」。

1989年8月に行われた石彫シンポジウムで、「メビウスの輪」を

題材にした石の抽象作品で知られる彫刻家牛尾啓三氏によって、

1か月もの時間をかけて制作されたものだそうです。
真近くで見ると、大きなドーナツのようでした。

 

北木島の東側にある楠(くすのき)地区にも分校跡があります。

入口付近に錆びたジャングルジムが残っています。

 

奥には、赤い屋根の平屋の建物がL字型に建っています。

 

校庭の山側には立派な長屋門が見えます。

 

平屋の建物の近景

 

分校舎かと思いましたが、解体後に新築されたのでしょう。

楠集会所となっていました。

 

分校跡の痕跡を探します。

枯草に埋もれそうな錆びたシーソー

 

校舎寄附人の石碑

校舎の建設にあたり寄付した8人の氏名、寄付額が刻まれています。

日付は1903年(明治36年)4月吉日となっています。

 

分校跡碑

北木小学校楠分校(1982年閉校)

沿革をみると、

1885年(明治18年)北木小楠分校創立
1892年(明治25年)楠分校場と改称
1903年(明治36年)楠尋常小学校として独立
1913年(大正2年)北木尋常高等小学校楠文教場と改称
1937年(昭和12年)楠校舎として1.・2年複式を設ける
1947年(昭和22年)北木小学校楠分校と改称
1982年(昭和57年)楠分校廃止 本校へ統合


県道を南下し、北木島南部の大浦地区に入ります。

近年休校となった北木中学校です。

 

沿道から撮影

 

北木石の校門に表札がそのまま残っています。

休校ということで、取り外すことをせず、そのままに

してあるのです。

 

校舎の全景

北木島で唯一の中学校でした。

鉄筋4階建ての大きな校舎、石材産業が盛んな頃は

それなりに生徒が学んでいたことでしょう。。

 

正面玄関横に、こんもりと茂るソテツ

南国情緒が漂います。

 

北木島で産出される花崗岩「北木石」の採石や加工に使用された

用具が構内に展示してあります。

北木島の石工用具は、国登録有形民俗文化財に指定されています。

 

空いた教室を利用して「北木石記念堂」が設けられています。

ふるさとの誇り「北木石」に関する資料を展示し、北木石の

採掘と共に発展してきた北木島町を支える石材業について

理解を深めると共に、ふるさとを語る力量を高め国際化社会に

生きる人格形成の一助とする目的で創立50周年事業として

1996年(平成8年)11月24日に開館しました。

中学校が休校となった現在は、こちらも休館しているようです。。

 

校庭の向かい側に体育館

 

校庭の様子

 

天高く聳え立つヤシの木はシンボルツリーだったのでしょうか。

往時から生徒らを見守っていたことでしょう。

 

荒れた校庭に残る遊具

 

枯草に隠れそうな北木石のモニュメント

地元の風景を描いた生徒作品

メビウスの輪が象徴的に描かれています。

 

開校20周年の校歌碑

地元の石材会社によって寄贈されたものです。

1967年(昭和42年)10月建立

半世紀以上経過しても劣化しない、北木石の記念碑ですね。。

 

北木中学校(2020年休校)

創立は1947年(昭和22年)と長い歴史はありません。

離島の小規模校ですが、須磨学園中学校(神戸市)や笠岡諸島の

他の島の中学校等他校と積極的に交流を求め、イベントの際は
島ぐるみで準備し、盛大に開催され楽しい思い出となったようです。
また石を切り出す際に唄われていた「石切唄」は大人から小学生まで

歌い継がれており、文化祭などのイベントでも披露されていたそうです。

一方で、石材産業の衰退や若者の人口流出、少子高齢化は止まらず、

1987年(昭和62年)の全校生徒は153名いましたが、ついに休校と

なってしまいました。

最後の生徒は3名でした。現在休校中ですが、再開の目途は立って

いないようです。

出身校であるお笑い芸人、千鳥の大悟さんも残念な思いでしょうね。。

 

大浦港付近に近代的な校舎が建っています。

 

立派な表札が今も残っています。

2001年統合・移転になるまで使用されていた旧校舎です。

 

屋根の形やデザインも洒落ています、重厚な建造物です。

 

校舎の全景1

20年ほど経過していますが、現役と変わらない外観です。

 

校舎の全景2

金風呂港で見た現役校舎より斬新で風格がありますね。。

 

正面玄関

旧校舎は、「石切りの杜」という施設となっています。

伝統ある石材産業や、豊かな自然を活かした学習及び交流を

目的とした、自然活動体験のための社会教育施設です。

 

校舎の一部は公民館として使用されています。

 

他にも診療所として使用されています。

 

校庭の様子1

海に面した広大な校庭です。

 

等間隔に並んだヤシの木

南国ムードを醸し出しています。。

 

手洗い場にしては、シンクやテーブル等もありますので、

増築したBBQ施設なのでしょう。。

 

屋根が壊れた百葉箱

 

石造りの日時計

 

小振りな二宮尊徳像

 

顔は大人びていました。。

 

校訓を刻んだ銘板

豊浦分校跡にもありましたね。

1992年(平成4年)度の卒業記念制作品

流し雛は、大浦の海岸で、旧暦3月3日の満潮時、

紙雛を乗せた小舟を海に流す伝統行事のことです。

約300年前から行われていたそうです。

雛を送るのは女の人で、この雛に悩みや病気を託し、

また家族の安全や子供の健やかな成長を願って、浜辺から

海へと流すのだそうです。

 

北木の海

子供らが慣れ親しんだ海の生物が、カラフルに描かれています。

かつて笠岡市で生息していた天然記念物、カブトガニも

泳いでいますね。。

1994年(平成6年)度の卒業記念制作品です。

 

校歌碑

一、

潮かおる

水島なだの朝風も

学びのまどに そよぎいり

希望のかなた 見つめつつ

すこやかに 力はぐくむ

ああ わが北木小学校

 

旧北木小学校(2001年統合・移転により閉校)

金風呂地区に移転になる2001年(平成13年)3月まで

使用されていた校舎です。

石材産業が隆盛を極めていた頃は、従事者の子弟らが

多く学んでいたことでしょう。

1873年(明治6年)3月 北木小学校創立

1987年(昭和62年)全校児童96名
2001年(平成13年)3月 豊浦分校、北木西小学校と統合し

(新)北木小学校としてスタート。

最後の児童は34名でした。

現在は校舎を改修し、笠岡市北木島宿泊研修所、北木島診療所、

北木公民館として活用されています。

 


さらに南下していくと道路は狭くなり、集落も疎らになります。

そして、今まで見たことのない砂浜が広がっていました。

夏は海水浴客で賑わうのでしょう。。

当日は、季節外れで人影もありませんでした。

 

北木島南部の海原

 

透明度も高く綺麗な海でした。。

 

大悟さんの生家は島の南部の外れの集落にあります。

防波堤の先は海です。

 

正面の平屋の建物ですが。。

庭の案内板をみると。。

 

「新型コロナウィルス感染防止の為、

訪問の自粛を御願いします。」

残念ですが、引き返すことにしました。。