高知県大月町の風景と廃校休校巡り(2016/05/02) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

大月町(おおつきちょう)は、高知県の南西部にある町です。

南に太平洋を望み、黒潮洗うダイナミックな海岸線、

西は比較的静穏な豊後水道に面した町で、約7割を山林が占めています。

温暖な気候風土に恵まれ、漁業と農業が盛んですが、海岸部は、
足摺宇和海国立公園に指定されており、自然美を求めて多くの観光客が

訪れる町になっています。

北部に隣接する宿毛市内に前泊した翌朝、国道321号を南下し大月町へと向かいます。

途中、大月町に入る手前でいかにも廃校らしき校舎を見かけたので

立ち寄りました。

ベランダの外壁等かなり黒ずんでいて年季を感じます。

 

開校90周年記念碑

百周年記念碑が一般的ですが、ちょっと珍しいですね。。。

 

沿革をみると、百周年式典も催されていますね。

ということは、百周年記念碑もどこかにあったのかな。

 

地元の自然美を謳った校歌

 

校庭の奥にプールが。

壁の標語は劣化していますが辛うじて判読できる状態です。

 

こちらは、小プールか飼育用の大きな水槽でしょうか?

児童の描いた絵は、希望に満ち溢れていますが、

卒業記念に製作したものでしょうかね?

 

校舎の遠景

雨や湿気の多い場所のためか、コンクリートが経年劣化して

黒く変色し美しい外観ではありません。

 

栄喜(さかき)小学校(2011年閉校)

体育館は、比較的新しく感じました。

宿毛湾の懐の深くに位置し、山林に囲まれた場所にひっそりと

建っています。

閉校になってから思ったほど歳月は経っていませんが、

外観は数十年前に閉校になったように見えました。

1991年度の在校児童は57名でした。

 

宿毛湾沿いの家屋と石積みの段々畑

沿道からは、海岸に向かって落ちていくように見えます。

 

海岸を見下ろす県道3576号を西へ進むと、高台に往時の門柱が

残っていました。

 

芝生の奥に静かに佇む木造校舎があります。

薄いピンクの板張り、木枠の窓の味わい深い校舎です。

 

校庭から穏やかな内海を臨む。

 

正面玄関の両脇にフェニックスが並び南国の雰囲気が漂っています。

 

表札は、「自遊学校」とありますが、

体験型の宿泊施設として利用されています。

 

校舎の廊下を覗いたところです。

奥は物置のように雑然としています。

 

竜ヶ迫(たつがさこ)小学校(1971年閉校)

竜ヶ迫は宿毛湾を臨む、大月半島の北部に位置する小さな漁村集落です。

交通の不便な僻地に位置していますが、往時は100名を超す児童がいたそうです。

 

竜ヶ迫集落から帰りに足を止めて撮ったものです。

南国に相応しい鮮やかな色彩の花が咲いていました。

花火のように咲き乱れた姿が目を引きます。

キャッツテールを大きくしたような花ですが、無学のため

名前は分かりません。

 

こちらは、アオムラサキが羽を広げたように美しく

鮮やかな紫の花ですが、名前は分かりません。

 

宿毛湾に浮かぶ雲雀小島

ラクダのコブのような岩の上に松が群生していますね。

 

遠浅の内海では、淡いエメラルドブルーが白い砂浜に映えますね。。

 

同じ僻地でも、竜ヶ迫が海岸沿いの漁村集落ならば、

内陸に入った芳ノ澤は、農村集落です。

 

黒いビニールで温めた土壌の畝に、葉タバコが背を伸ばしています。

今では、限られた地域しか見られなくなった風景です。

 

路線バス(高知西南交通)の停留所もありますが、人影もなく長閑な場所です。

このバス停からさらに山側に進むと、次の廃校校舎が見えてきます。

 

入口付近は、大木の枝や雑草に覆われてはっきりと建物が見えません。

 

近づいてみると、木造平屋建て校舎が横たわっていました。

中央にしっかりとした造りの玄関ポーチが見えます。

奥の白い建物は、講堂です。

 

椰子の木が2本、青空に向かって伸びていますが、往時からこのように

高く突き出ていたのでしょうか?

 

反対側から撮った校舎の近景

 

板張りの校舎に堅固な玄関が不相応に感じますが、

玄関は増築されたものと思われます。

 

雑草に覆われた校庭の主は、校舎以上に存在感がありました。

 

開校百周年記念碑

 

廊下には窓側と教室側に段差が設けてありますが、下段で土足から上履きに

履き替えて教室に上がっていたのでしょうか。。。

教室で使っていた椅子や教材等が散乱しており、

長らく手入れもされなかったようです。

天井は板を繋いで湾曲した構造になっており、トンネルのようです。

 

反対側から撮った廊下

 

1986年に撮影した航空写真

 

大月町の音楽祭での成果を讃える賞状(昭和54年:1979年)

 

手書きの教育スローガン

 

雑然とした室内に往時の各種賞状が掛っています。

 

卓球台と取り外して放置された大きな丸時計

 

画鋲で留めた教材ポスター類と細長い黒板

 

床に転がっている太鼓は、運動会などの鼓笛隊として

使用していたものでしょう。

 

教材用の大きなソロバンもありました。

 

芳の沢小学校(1983年閉校)

寄棟屋根の平屋建て木造校舎に堅固な玄関ポーチが

印象的です。

2本の突き出た椰子の木が南国の雰囲気を感じさせます。

今後も天空に向かって伸び続けるのでしょう。

 

国道321号に戻り、大月町役場を過ぎて南下します。

途中から県道352号を進むと春藤(はるどう)集落に入ります。

往時の門柱に表札が残っています。

 

平屋の校舎は改築され、別の目的に使用されています。

 

老人福祉施設になっていました。

 

春藤(はるどう)小学校(1991年閉校)

往時の面影はなく、学校跡記念碑らしきものも見当たりませんでした。

山間の集落にありますが、郷愁を感じることもなく後にしました。

閉校時の児童は8名でした。

 

小才角(こさいつの)は大月町南端に位置し、

土佐清水市に隣接する小さな漁村集落です。

集落から小才角川に沿って少し上がった学校の入口には、

カラフルに描かれた魚が泳いでいます。

 

塀の傍に開校百周年記念碑が。

でっかい石ですね。。

 

草むらの向こうに、山を背に建つ黄色い壁の校舎が見えます。

 

近付くと周囲から伸びたツタが外壁の色を変えつつあります。

数十年後は黄色が緑になるかもしれませんね。

 

壁の表札もそのうち見えなくなりそうです。

 

斜めから撮った方が立体感が出て違った表情に見えますね。

ちょっとシャープな感じかな。

 

久しく遊ばれなくなった遊具

 

小才角(こさいつの)小学校(2001年閉校)

小才角川の上流、集落の外れの荒地にひっそり佇むモルタル校舎です。

モダンな外観ですが、手入れもされず放置されており雑草や灌木の天国と

なっています。

1991年度の在校児童は16名でしたので、

建物の規模から考えて使用しない教室もあったのではないかと

思われます。