高知県大豊町、本山町の廃校休校巡り(2016/04/30) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、高知県大豊町、本山町の廃校休校巡りですが、

大川村、土佐町と合わせて4町村は、「土佐嶺北(れいほく)地域」と呼ばれ、

県中北部に位置し、四国の真ん中にあたります。
JR線や高速道路も走り、山間部の中では比較的交通の便も良い地域です。

 

大豊町(おおとよちょう)は、高知県長岡郡にある町です。
2013年10月1日時点の老年人口割合は55.0%です。

町域は、平均450メートルの急傾斜で複雑な山岳地帯であり、

平坦地はほとんどなく、耕地は総面積の1.1%に過ぎず、
棚田、傾斜畑で形成されております。

 

本山町(もとやまちょう)は、高知県北部中央にあり、大豊町と同じく

長岡郡に属する町です。
板垣退助の先祖ゆかりの地として知られています。

町域は、早明浦ダムの近辺にあり、四国の水源地にあたるため、
近年は天空の郷とも呼ばれているそうです。

 

大豊町へは、国道32号を南下するルートで入りました。

途中、徳島県の景勝地である、祖谷渓の大歩危・小歩危を通りましたが、

沿道の休憩所から覗くと、多数の鯉のぼりが泳いでいました。

待機中の遊覧船が眼下に見えます。

GWということもあり、多くの観光客が訪れたことでしょう。

 

早朝から心地よい風に乗って泳ぐ姿を見ると、こちらも気分爽快になりました。

 

大豊ICにぶつかると県道5号を北上します。

川口大橋(朱色のアーチ橋)を渡り急勾配の坂道を上ります。

 

こちらは学校に至る階段ですが、登校時は急勾配で大変だった

ことでしょう。

 

立派な門柱と表札が往時のまま残っています。

 

手前にプールがあり、奥に2階建ての木造校舎が見えます。

 

廃校校舎を改装して、現在は「みどりの時計台」という宿泊施設として

再生利用されています。

時計台はどこでしょう?

 

校庭の奥に体育館、屋根の上に時計塔がありました。

 

先ほど見た校舎は、2階部分が別棟とL字型に繋がっています。

 

1階部分には、町天然記念物である大きな房のフジが。。。

校舎に気品を与えています。

 

体育館と校舎を改修した際の記念碑

 

赤銅の二宮尊徳像

早朝から勉学に勤しむ傍らでは、竜馬は休日を楽しんでいる!?

 

川口小学校(2002年閉校)

高知自動車道、大豊ICからほど近い高台あります。

校舎は、ピンクの板張りの洒落た外観です。

近代的な体育館と好対照ですね。

1991年度の在校児童は8名でした。

交通の便は悪くないのですが、過疎地域であり、

当時から少子高齢化が進行していようです。

「みどりの時計台」は、県外から移住された夫婦に

よって運営されているそうです。

 

大豊町から国道439号を吉野川沿いに西に進み、本山町に入ります。

ほどなく、支流の行川に沿って林道を北上します。

途中、三叉路で白髪山登山口の標識がありますが、右側の道を直進

していきます。人影も人家もない淋しい道程です。

 

しばらく走ると、こじんまりとした木造校舎が出現しました。

森林に埋もれんばかりにひっそりとした佇まいです。

教員住宅かと思いましたが後で調べたところ、中学校校舎だった建物です。

 

同じ敷地の片隅に年季の入った学校跡の石碑がありました。

表面に白カビが斑点のように表出し、文字通り白髪交じりの老人のようです。

 

劣化により判読し辛いのですが、昭和46年4月 本山小学校へ統合と

あります。

 

膝の辺りまで生い茂った雑草が蔓延り、長らく人の出入りも

途絶えていたであろう校庭跡。

さきほど見た中学校校舎です。

 

雑草に混じって咲いたピンクのツツジが出迎えてくれました。

 

主な校舎群は、中学校と原っぱ(往時の校庭)を隔てて反対側にあります。

何か近寄り難い雰囲気が感じられました。

しかし、秘境とも言える深山幽谷で、このように数棟の校舎群があったことに

驚きました。

 

窓ガラスが割れて引き戸が半開きのままです。

 

往時の児童らが使用していた手洗場。

コンクリートには苔がむし、ヒビが入っており、長い歳月を感じます。

 

中は意外と綺麗に見えました。

廃校にありがちな落書きや悪戯がないからでしょうか。。。

卓球台や黒板、冷蔵庫等が纏めておいてありましたが、

廃校後も、講堂は地域の集会所として使用されていたのでしょう。

 

昭和43年の器楽コンクールの表彰状。

閉校の3年前ですので、少数精鋭で獲得した栄誉だったことでしょう。

 

卒業記念のレリーフでしょうね。いつ製作したものでしょうか。

偲山の碑とありますが、山と共に生きた村人や子供らの往時の思いが

伝わってくるようです。

 

小学校校舎の壁には、化石のようなに貼り付いたベルが。

 

白髪(しらが)小学校(1971年閉校)

白髪山登山道の途中にありますが、普段は人の通りもない静寂に

包まれた深い山中に残る廃校校舎です。

かつては、白髪山の檜は良質で名高く、営林事業所が置かれ

林業で生計を立てる人々で賑っていたそうです。

産業構造の転換により林業の衰退とともに村人たちは山を下りていき

往時の校舎が抜け殻のように残るのみです。

ここでも時代の流れと故郷を離れていった人たちの無念を感じました。

 

国道439号に戻り、西へ進むと、程なく沿道に木板の案内が目に入りました。

 

敷地の隅に学校跡の石碑が残っていました。

先ほどの白髪小学校と同様に、かなり年季が入っています。

 

昭和41年4月本山小学校へ統合とあります。

1966年ですから、閉校から半世紀も立っているのですね。

 

手前にプール、奥に木造校舎の横顔が見えます。

年代からみると、改築されたようです。

 

平屋ですが、どっしりとした校舎が連なっています。

屋根上の煙抜きが印象的ですね。

 

校庭の縁に並ぶ遊具。

まだ新しいので、閉校から随分経ってか設置されたものですね。

 

木能津(きのうづ)小学校(1966年閉校)

閉校後は改修され「シェアオフィスもとやま」として利用されています。

「シェアオフィス」は、都会を離れてもビジネス可能な場所を提供する施設です。

シェアオフィスは県内に6か所あり、このように廃校を利用したものも多いのです。

豊かな自然環境の中、光インターネット回線を完備して快適に仕事ができる

ようになっているようです。

過疎対策の一つとして素晴らしい試みですね。

大豊ICから車で10分というアクセスの良さも利点となっています。

 

本山町役場を過ぎて、汗見川(あせみかわ)に沿って県道264号を北上します。

汗見川は吉野川の支流です。

エメラルドグリーンの透き通った水面が続きます。

 

春にはマラソン大会、夏には川遊びやキャンプで賑いをみせる汗見川ですが、

当日は静寂の中、穏やかに流れていました。

 

汗見川中流域の沢ケ内地区にさしかかると、少し変わった構造の

建物が見えました。

 

円筒形のエントランスが特徴の木目を活かした外観です。

体育館を改修したものでしょう。

 

こちらも木板の表札で温もりを感じます。

 

奥には3階建ての木造校舎がありましたが、

1階はガレージになっていました。

校舎は往時のものではなく改修されており、

地元の方によって運営されている宿泊施設となっています。

 

入口の小さな庭園は綺麗に手入れされています。

 

教育スローガンが刻まれた学校跡記念碑

 

沢ケ内(そうがうち)小学校(2004年休校、2007年閉校)

沿革は、平成16年4月1日休校で終わっていますが、

3年後には閉校となってしまいました。

1991年度の在校児童は14名でした。

県内屈指の清流、汗見川は往時と変わらず、

透き通った色を保ち続けています。

 

さらに県道264号を北上します。

汗見川に沿って10kmあまり遡ると、沿道の看板が目に入りました。

 

茶褐色のレンガは往時の校門でしょうね。

表札は見当たりません。

 

寄棟作りの平屋校舎が低い位置に立っています。

 

手前には、卒業記念作品のモニュメントが。

 

小中学校一体の校舎だったのでしょう。

 

先ほどの見たものよりもかなり年季の入った門柱は、

苔生していますが、表札が残っていました。

 

奥行きのある軒先には、各教室ごとに下駄箱が見えましたが、

どれも空っぽでした。

 

バーベキューを楽しめる施設が併設されていましたが、

当日は、早い時間だったためか人影もありませんでした。

 

済美(さいみ)小学校(1978年閉校)

汗見川渓谷の上流、冬の瀬地区にあります。
夏には家族連れも多く訪れ、キャンプや水遊びを楽しむそうです。