1992年5月22日。
大津市内で日本初の爆破によるビルの解体が行われました。
国道161号線沿いにあった、通称『幽霊ビル』と呼ばれていた木の岡レイクサイドビルの爆破解体です。
このビルは、1970年の大阪万博の来客を当て込んで1968年にリゾートホテルとして建設されたものですが、資金難で建設が中断してしまいました。
その後老人ホームやリゾートマンションにするために複数の会社が買い取ったりしましたがどれもぱっとせず、荒廃が進むにつれ暴走族の溜り場となり、果ては心霊スポット噂され「幽霊ビル」と呼ばれるようになったようです。
最終的にココにリゾート施設を建設するために買い取った会社が、ビルを爆破解体することを決め話題になりました。

当時のBBC(琵琶湖放送だよ!)のドキュメントがYouTubeに上がっていました↓


親の話では当日俺も親と一緒に解体現場を見に行っていたそうですが、何せ4歳ぐらいだったので全く覚えていません(w
この解体の後リゾート施設を建設する予定だったはずですが、ガレキすら撤去されること無く10年以上放置プレイされることになりました。
俺の幽霊ビルの記憶はここから始まります。
161号線沿いに、工事現場の仮囲いのような銀色の鉄の壁が張り巡らされていて、その中に大量のコンクリの塊と錆び付いた鉄筋がうず高く積み上げられていたと思います。
その光景は小学生ぐらいの時の俺には強い印象があったみたいです。幽霊ビルのあった頃はわからないけど、そのガレキを見て何かしら興味を引かれていたと思います。
それと、バス停近くの鉄の壁に、やたら上手いベティちゃんの落書きが書いてあったはずです(w
大津市民の方覚えてませんか?(w

で、この跡地の現在なんですが、ネット上にもほとんど情報が流れていません。
更地になっている、というところまでが書かれているのを見つけました。
しかし、そもそもの場所すら、動画が上げられるまではあやふやだったようです。

ということで、この幽霊ビルの跡地に行ってきました。

$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地4

JR湖西線比叡山坂本駅から徒歩10~15分。
国道161号線沿いの木の岡(このおか)地区に幽霊ビルはありました。
ちょうどこの写真の左側です。
既に壁は無くなっているのがわかると思います。

しかし、幽霊ビルの跡地は実は…


$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地1

あれ…。

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テニスコートに…

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駐車場まで…

$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地2

看板には、【比叡辻臨水公園】の文字

そうなんです。
幽霊ビル跡地は、公園として整備されていました。

2000年代前半に、幽霊ビルのガレキは全て撤去されいったん本当に更地になった後、
テニスコートと駐車場、小さな広場を持った公園として整備されていたんです。
たまにご老人がゲートボールしたりしていて、至って普通の公園と言った感じです。
北半分は公園、南半分は隣にある化学工場の駐車場として使われています。

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そしてこの駐車場の横にこんなものが建っていました。

$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地6

ビオトープってのは、動植物が、人の手が入らず自然に種を継続できる環境がある場所っていう意味らしいです。
最近全国に散見できるようになりましたが。

入ってみます。

$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地7

入り口から先は砂利を敷いた道が続いていました。

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琵琶湖の方を向いて撮影。鬱蒼とした森が広がっています。
水面は全く見えません。


$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地9

少し先に植樹されたばかりの細い木々と看板がありました。

$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地10
表はこんな感じでビオトープの説明と、観察できる動植物の説明が。
興味を引いたのはこの裏側。
$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地12
この場所の変遷が航空写真入りで紹介されていました。
これは非常にありがたい(w
順に見ていきます。

$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地13
1961年(昭和36年)
この足洗川の流れているところが、今いる所です。
辺りに何もありません(w この周りは全て水田です。
国土地理院のサイトで航空写真見た時もこんな感じだったと記憶してます。

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1973年(昭和48年)
「昭和43年にホテルが建設されましたが、廃墟となり人があまり近づかなくなりました。
足洗川が付け替えられ、ビオトープの北側が浅くなり湿地環境が広がりました。」(説明書きより)

はっきりと写ってます幽霊ビル。
昭和43年(1968年)にビルが建てられたこともこれで証明できました。
この時築5年ですが、既に廃墟で人が寄り付かなかったということなんで、相当筋金入りの心霊スポットです(w

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昭和59年(1984年)
写真もカラーになって建物の詳細がよくわかるようになりました。
しかし…動画で崩れたビルと少し形が違う様な気がするんですが…。
動画ではきれいな長方形の形ですが、これを見る限り北側(写真左が北)は湖側に出っ張っています。
爆破前に先に崩したのかな…。よくわかりません。

$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地16
平成12年(2000年)
平成4年にはホテルが撤去され、跡地は草原となっています。
長年にわたり、人が立ち入らなかったため、良好な自然環境が残っていますが…(後略)

そして2000年。この時はまだガレキは撤去されてなかったと思うんですが…。
写真の「ホテル撤去」の文字の下辺りが灰色っぽくなってるんで、これがガレキなのかな?
ちなみに足洗川が国道の下を潜って、S字に曲がっている辺りに公園、「ホテル撤去」の文字の辺りに駐車場とビオトープの道が出来ている感じだと思います。

Google マップでは、公園建設前の様子が写ってました
ってか、初めからこれ見たら良かったじゃん!とか思ったけど(゚ε゚)キニシナイ!!(w


爆破解体の時に、あまりにも近くに家が建っているので危険ということで、地元から猛反発があったみたいです。
だってこれぐらい近いんです。
$比嘉ツアーズ(有)-幽霊ビル跡地5
あの頃から家は増えてるだろうけど、こんなすぐ横に住宅地。そりゃ嫌だよね。

後、木の岡レイクサイドビルが「幽霊ビル」と呼ばれるに至った所以ですが…。
それは先ほどから航空写真に登場している足洗川にちなんでいると言われています。
戦国時代、傷を負って京都から逃げてきた武士たちが、この川で怪我をした足を洗おうとしたところ力尽きそれが何人にも及び川が真っ赤になったという…まあよくある話(w
このビルを解体しようとすると、不思議な現象が起きるとか、つのだじろうが言ってましたな(w
もし本当なら、このビル建てるときに足洗川の流れを付け替えてるし、なんか祟られててもおかしくはない条件付ですけど。

$比嘉ツアーズ(有)
写真は現在の足洗川。
コンクリートの溝みたいな姿に変えられて、テニスコートの下を暗渠で突き抜けています。
果たして幽霊ビルに何が起きていたのか…今は確かめるすべもありません。

幽霊ビルの跡地には、既に何の痕跡も残されていませんでした。
ただ、ビルがそこにあったお陰で貴重な自然環境が残ったことは確かです。
結果オーライというにはちょっとどうかと思いますが、良かったとは思います。

以上が、幽霊ビル跡地の今でした。

2010年10月28日 探索