良い時代になって、流行りと言われるものはもちろん、古典の数々も、誰かがネットにアップしてくれている。

徒然草もあった。

全243段(プラス序段)、長短はあるが、一行だけの短いものもけっこう多い。
中でも最短と言われているのが127段。

改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり。

という20文字である。

目的を明快にしないで、雰囲気でやる改革など、百害あって一利なし、というわけだ。

衆院の選挙制度、改まらないのは、「改めて益なき」というふうに思っている人が多いからだろう。どう改めるのか、その提案も聞かない。

革命的に改めることを提案する。

 ◇

衆議院の小選挙区制は、弊害だらけだ。

一票の格差、死票の多さ、人物ではなく政党で選ばざるを得ないこと。
そのくせ、政党の次から次にできてはこわれること、子どもの積み木遊びのようだ。

比例代表並立制など、ますますわかりにくくしただけ。
惜敗率で復活当選やら、本人も予想していなかった当選者やら、これがまあ国政選挙なのかと思うばかりだ。

中選挙区に戻すのもいいが、選挙区と定数があるかぎり、一票の格差・恣意的な地域割りの問題はつきまとう。
自分の政治生命がかかる問題で、国会議員に公正な判断などできはしないだろう。

原点に戻って、イチから選挙制度を考えるに、
昔、参議院でやっていた「全国区」がいい。
役割交代。地域代表など、参議院に任せてしまえ。

一人で票を集めすぎる(ほしいのは人數だから)という弊害から、個人ではなく政党による比例代表制ということになっている。
だが、日本の政党など現実には、総理大臣になりたい親分と、その子分との「〇〇一家」にすぎない。
親分が、「余れば票を子分にくれてやる」でいいのではないか。

そして、得票数の比較上位、定員までが当選、ではなく、得票の「絶対数」で当落を判定すればいいのだ。
日本の有権者数1億ちょっとだから、候補者が1000人として、平均10万票。これだけ取れば当選だ。わかりやすい。国民の厳粛な信託がこれだけあるのだ。誰も当選者に文句は言わないだろう。

首相になる人を含む、全候補者が対象だ。入れたい人がいない、などと言わせない。投票率もきっと上がる。

とはいえ、現実には投票率80%90%とはいかないだろう。
数学の分布論理的にも、平均点の取れる者は少ない。調べてはいないが、2年前の総選挙で10万票とれた候補者は、数えるほどなのではないか。

定員なしとはいえ、衆議院議員が100人を切るようでは困る。300人に達するまでは、9万票、8万票と当選ラインを下げて、「補欠当選」を出すようにせねばなるまい。

そして、10万票よりも多くとったものは、他の候補者を指名して、当選ラインに達するまで、余った票を回せるものとする。
公明正大な「子分づくり、派閥づくり」である。みな遠慮せずに票集めに走ればいい。日本で誰が一番票を集められるか、政治的な力があるか、一目瞭然である。これが民意というものである。

そして、当選したもののうち、政策を同じくするものが組織するのが「政党」である。
多数派の領袖が首相となること、まことに自然なのである。


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