この小説はフィクションです、実在とは関係ありません。
「大 君」 9
「あんたが相手してくれるらしいけど、何者や?」
龍蔵を睨みつける。
「ミナミの龍蔵いいますんや。
いつも居てるから、毎日でも飲みに来たら宜しいがな」
「あんたエエ人みたいやな、酒を注いだげるわ」
打ち解けたようや。
「なんやお銀の話によると、漢詩を肴に飲みたいと困らせたらしいですがな。
漢詩に詳しいんですんか?」
佐久衛門の顔をうかがう。
「王朝の和歌は、漢詩文と接触することで、美意識を磨いてきたと言うただけや。
こんなん常識や、秋は悲しい季節とする悲秋観、
夕暮れ時の寂寥(せきりょう)感なんかが典型的なものや。
人間騒がしい世間に愛想(あいそ)を尽(つ)かすと煩い都会を離れて、
自然と暮らす生活に焦がれをいだく人々が目だってくるんや。
良暹(りょうせん)法師もその一人や」
「こらワシにも理解できん話やな、漢詩なんかを教える大学の教授でもしてましたんか?」
龍蔵が伺いをたてた。
「大学の教授? 漢詩なんて誰でも知ってる常識やがな」
常識と言われた龍蔵が酒を注いでやった。
「髭も立派やし、一人で飲み歩くようには見えんけど、今日は何か有りましたんか?」
「別に何にもあらへん、『大原やまだ炭窯もならはねばわが宿のみぞ煙絶えたる』
この詩は、良暹法師が喧騒を嫌うて洛北の大原に隠棲(いんせい)したころの歌やが、
つくずく読み返してたんや、わび住まいを希求した立派な屋敷より、
雨漏りがする屋根の隙間から、
月の光が差し込んでくる粗末な茅屋(ぼうおく)を愛したんや。
そんなことを考えながら歩いてたら、いつの間にかこの店に入ってたんや」
学識のある佐久衛門に首をかしげた。
ーつづくー