江戸時代の観相家・水野南北は、幼い頃に両親を亡くし、鍛冶屋を営んでいた叔父に引き取られるなどして、複雑な家庭環境で育った為か、性格は荒み、十歳で飲酒を始め、喧嘩に明け暮れる日々を送る不良少年でした。

十八歳で獄中生活を経験する中、南北は人相について興味深い事実を発見しました。それは、罪人と普通に生活を送る人との明かな人相の違いです。

これを機に、南北は観相学の極意をを独学で体得しました。

髪結い床の弟子として三年の間客の人相を研究し、風呂屋の手伝いで三年間全身の相を、さらに火葬場で三年、死人の骨格や体格を調べ、人の運命について研鑽を重ねました。

しかし、良い相である人が不幸だったり、悪相の人が以外に幸せだったりする事実が、長い間南北を苦しめるが、南北五十歳の時、その疑問に終止符を打つべく、神秘的体験をしました。

伊勢神宮に度々参詣していた南北が、五十鈴川で二十一日間の断食と水ごりの行を行った際、外宮に於いて「人の運は食にあり」との声なき声を聞くのです。

思い返せば南北自身も、暴飲暴食を改めて、一年もの間、麦と大豆だけの食事を実践したところ、余命一年と言われた剣難の相が消えてしまった事実から、ついに南北は「節食開運説」を唱え、自らの観相学を完成させたのです。

南北は「運が悪く難儀ばかりしているが、神に祈れば運が開くでしょうか」という質問に対して「真心を込めて祈らなければ、神は感知してくれない。真心を込めて祈るとは、自分の命を神に献じることである。そして食は、自分の命を養う基本である。これを神に献じるということは、自分の命を献じるのと同じことである。どうするかというと、いつもご飯を三膳食べる人なら、二膳だけにしておいて、一膳を神に献じる。といっても本当に一膳分を神棚なら神棚にお供えする必要はなく、心の中で念じればよい。自分が祈りを捧げたい神仏を思い浮かべて、その神仏に向かって『三膳の食のうち一膳を捧げ奉ります』て言う。そうして自分で二膳を食べると、その一膳は神仏が受け取ってくれる。そうすれば、どんな願いごとでも叶えられる。小さい願いごとなら一年で、普通の願いごとなら三年、そして大望は十年で叶うのである」と答えたそうです。

日月神示『冬の巻』の「補帖」にはこうあります。

「病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆己れからぢゃ、と申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなるということないのぢゃ。迷いが迷い生むぞ。もともと病いも不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神が喜びぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与えられるぞ。仕事いのちと仕えまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気をつけよ。いくさ起こるのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。一椀をとってまず神に供えよ。親に捧げよ。子に捧げよ。腹八分の二分は捧げよ。食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神にささげずにむさぶる(貪る)からメグリ(悪因縁)
積むのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申しているが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あずけられているのであるぞ。人民に与えられているものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあろうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。そんなことくらいで、病治ったり、運ひらけるくらいなら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われた盲、聾と申すものぞ。理屈捨てよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になっているぞ。ツキモノ(憑依霊)がたらふく食べていることに気
づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。まず百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年続けたら開運間違いなし。病もなくなって嬉し嬉しとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。六月九日、ひつくの神」

南北の「節食開運説」と「日月神示『冬の巻』」との奇妙な一致は、やはり神様からの御神勅だったと結論付けるのが自然だと思いますが、さて、皆さんはどう思われますか?