この度公式トップブロガーとして

ブログを書かせて頂く事になりました!

田中秀臣(たなかひでとみ)です。

 

経済学者ですが、日本や世界の経済問題についてここで書くのではなく(たまに書くかもしれませんが)、アイドル、アイドルの経済分析、さまざまな文化現象について書いていこうと思っています。

 

これからよろしくお願いします。

 

ちなみにtwitterはここ


またネットでは、主に経済の話題を中心に、iRONNANewsweek日本版、Biz Journalなどにも積極的に寄稿していますので、そちらもご覧いただければ幸いです。

 

経済に特化したブログは以下になります(といってもこちらのブログが開始する前はかなりアイドルや文化的な話題を書いています)。

Economic Lovers Live

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/

 

日本には様々なアイドルさんたちがいて、日本の文化の基礎のひとつを作っていると思います。主に女性アイドル中心ですが、いままでもSMAP、嵐などの男性アイドルグループについても雑誌なネット媒体などで論じてきました。こちらでも女性、男性問わずに書いていくつもりです。

 

ところで、いま日本のアイドルで最も関心のある女性アイドルグループは、欅坂46です。彼女たちについて経済学的な観点から書いてみました。ご参照ください。

 

 

欅坂46の経済学(その1)

 

“欅坂46”―このアイドルグループの存在をご存じの読者の方々も多いだろう。作詞家の秋元康がプロデュースする、いわゆる「坂シリーズ」のひとつである。といっても坂シリーズには、欅坂46以外に、の姉にあたる乃木坂46が存在するだけだが。やはり秋元が生み出した国民的アイドルAKB48で成功した運営手法が、この欅坂46でも十分に発揮されている。

 

 

 

 

 欅坂46は、2015年8月21日に結成された、21名の10代を中心にした女性アイドルグループだ。特に2016年にデビューシングル「サイレントマジョリティー」を出してから、“反逆のアイドル”として一躍注目を浴びることになる。いままで出したCDシングルは三枚だけ。まだ結成二年にみたないが、その活躍は現在の芸能界の中でも特に期待されているものだ。

 

 どこが“反逆のアイドル”と言われる所以なのだろうか? 例えば、2016年年末の紅白歌合戦を見ながら、評論家の速水健朗は以下のようにツイッターに書いている。

 

「欅坂、これは全体主義批判の歌詞の曲を全体主義風味の衣装とダンスで表現しているんでしょう。」

 

デビュー曲の「サイレントマジョリティー」の歌詞は、確かに全体に取り込まれることに対する「反逆」のメッセージに満ちている。

 

<人が溢れた交差点をどこへ行く? 似たような服を着て似たような表情で>

 

この歌詞にも表れているように、欅坂46の衣装は全員が軍服を連想させるような、かっちりした学生服だ。同曲のミュージックビデオ(MV)での彼女たちの表情も硬く無表情に近い。ところがよくみると、そのダンスは個々人の胸の躍動を強調しているものだ。つまり全体の中でも自由に脈打つ「個」としての自分。大人の思い通りにはならない、という全体に抗らう感情を、ダンス指導を行っているTAHAHIROが的確に表現している。そしていままで発売されたすべての楽曲で中心的イメージを形成する平手友梨奈(デビュー当時は14歳)の毎回のMVのラストでみせる、一種の<個>としての達成感とでもいえる神秘的な笑み。これらが欅坂46の「物語性」を織りなす核だといっていい。

 

AKB48に代表されるように、現代のアイドルは「物語消費」に大きく依存する。未完成な状態から少しずつ“完成”を目指して、アイドルとファンがあたかも共通の「物語」を共有することで、強く結ばれる。このアイデンティティと化したアイドルへの消費的態度こそ、今日の日本のアイドル文化の強靱な経済的基盤を形成している。

 

AKB48グループの場合は、この物語消費が「こころ」が生み出すものであることを巧みに利用している。我々は物的な財を消費するときには、金銭面での出費を大きく払わなければいけないケースがほとんどだ。だが、今日の日本のアイドルたちを消費するということは、あまり金銭がかからない。

 

専門的にいえば限界費用がゼロに近いということだ。限界費用というのは、何かあるものを追加的に一単位消費することに生じる費用のことである。例えばCDを一枚ごとに買えば、当然に一枚ごとに金銭的出費が生じる。だが、「こころ」の消費はそれとは事情が異なる。心の中でどんな消費を行っても(時間という根源的なコストを無視すれば)ただであり、自分が何を思っていてもそれで他者に料金を払う必要はない。

 

この「こころの消費」は物語消費と、インターネットの利用などを通じて、日本のアイドルへの消費活動の中で強く結びついている。AKB48グループの多くは、Google+やツイッター、ブログなどで日々あるいは24時間発信している。また最近ではshowroomという動画サービスなどでも自宅から放送し、そのプライバシー(もちろん視聴者向けの)を商品化している。これらのものがすべて事実上無料で提供されていて(フリー経済ともいう)、さらにこれらをきっかけにファンのこころの中でどのようにアイドルの物語が形成されているかのコストはもちろんただである。

 

このように消費者からみればアイドルを享受するコストが過度に低く、また「会いにいけるアイドル」という形で、ファンとアイドルがさらに強く心の消費の形態として結びつくことが可能になっている。

 

AKB48グループは、この「会いにいけるアイドル」というコンセプトを、専用劇場や握手会などの開催で、ファンに直接対面する機会をもうけて強化してきた。しかし専用劇場をもつことには経済的な問題点が発生している。

 

いわゆる「コスト病」とよばれる現象である。これは専用劇場を維持している演劇、音楽、そしてもちろんAKB48などのアイドルに共通して発生する問題だ。例えば、劇場自体は固定費用でしかない。どんどん製品の生産数(その劇場での興業回数)が増加していけば、当初の固定費用は無視できるほど(売り出している商品価格に反映される割合が)低下していく。

 

だが、他方で、AKB48メンバーの人気がでてくると、今度は彼女たちの出演料が高騰してくる。そのため当初は安価だった入場料が上昇していき、観客を失うきっかけになったりする。AKB48の場合では、テレビなどのより収入の多い媒体への出演を優先させるので、劇場公演の維持が難しくなってもいる。

 

これは「機会費用」という発想である。機会費用とは、ある人が何かを選択したときに、それによって断念されるものの経済価値を意味している。例えば、私たちは大学や高校に進学することによって、同じ時間働くときに生ずる年収などを断念していることになる。この断念した年収などが、このケースでは機会費用になる。AKB48では劇場に出演することの機会費用が高すぎるのだ。

 

この「コスト病」について、欅坂46の経済学は「反逆」的だ。なぜなら彼女たちは専用劇場を持っていない。その活躍の場は、主にテレビのレギュラー番組であり、また雑誌などの媒体である。他方で、握手会の開催は定期的なペースで開催している。握手会も一定の「コスト病」(出演者がテレビなどの仕事をいれられないという意味での費用)を生み出す。だが、現時点では、その開催も巧みに抑制されているようだ。実はこの“ノウハウ”は、先行する乃木坂46の運営手法を参考にしてさらに洗練化している。

 

つまり欅坂46は、物語消費という現代アイドルの特性をフルに生かし、また他方でAKB48の教訓をも取り入れた進化形なのである。

欅坂46のアイドル経済としての従来にはない「反逆」の仕組みについては、また機会を改めて論じたい。