昨夜のNHK歴史秘話ヒストリア「黒田官兵衛 VS 石田三成」を視聴しました。
大河ドラマ「軍師官兵衛」と比較して、やや真実を追求した感があり、正直ほっとしました(笑) その主な理由とは、石田三成の扱いでした。
天下人である太閤豊臣秀吉の晩年の悪政(関白秀次粛清・朝鮮出兵等)を具体化する側近官僚として、三成が汚れ役を自ら買って出たという見方は、私としても充分にうなずけるものだったからです。
豊臣秀次との不仲、黒田官兵衛との不仲という説は、そのほとんどが、徳川家が実権を握っていた江戸時代に創作されたものでした。
特に朝鮮出兵における武断派と文治派の諍いについては、三成に近い小西行長は和平派、官兵衛に近い加藤清正は好戦派という、従来言われてきた組分けは間違えであり、参加した大名すべてが厭戦気分だったのです。根本の原因は、秀吉の中央集権路線(大名自治の無力化)の実務を担った三成の立場と、豊臣秀長・千利休・徳川家康らが支持してきた地方分権路線(諸大名の自治尊重)の流れを継いでいた官兵衛ら武断派武将たちの立場の違いです。三成は内心はともかく、役割としてそういう立場にならざるを得なかっただけであり、真実の姿は「秀吉 VS 武断派大名」だったのです。
以下に以前投稿した三成の苦悩についての記事をリンクしておきますので、ご興味のある方はお楽しみいただければ幸いでございます。