全米日系人博物館 キクムラ館長に会う | hideinu日記

全米日系人博物館 キクムラ館長に会う


今日、ある会合で、
アメリカ・ロサンゼルスにある
『全米日系人博物館』 の館長、アケミ・キクムラ・ヤノ氏にお会いした。

キクムラ館長は、もちろん日系アメリカ人。

広島出身の祖父母は1900年に渡米し、
農業で成功をおさめたのだという。

その後、祖父母は日本に帰国したが、
アメリカに残った祖父母の子ども(キクムラ館長の母)は、
現地で日系人の男性と結婚する。

しかし、1939年に勃発した第二次世界大戦のため、
アメリカ市民でありながらもアーカンソー州の移民収容へと、
家族全員収容されてしまったのだという。

収容されている子どもを、遠く日本から案じる祖父母の気持ち、
また、収容所の中で、敵国となった日本に住む両親を案じる娘の気持ちは、
いかばかりだったろうか。

終戦後は解放されたが、キクムラ氏の父母は
そのままアーカンソー州に残って農業を営み、
戦後生まれの末っ子であるキクムラ氏を含む10人の子どもたちを育て上げた。

キクムラ氏の父母だけでなく、戦後アメリカで生き抜いた多くの日系人たちは、
「良きアメリカ市民として生きよう」との思いから、
収容所生活の辛い記憶を、ほとんど子どもたちに話すことはなかったという。

そのためキクムラ氏自身も、大学生になって日系人の歴史に関する書物を
読むまでは、父母の歩んだ道のりなど全く知らなかったそうである。

それ以後、キクムラ氏は移民の歴史を学び、祖父母の故郷である広島も訪れて、
自身のルーツを深く見つめるようになった。

印象的だったのは、会合に参加していたある方が、
「広島を訪れて原爆の悲惨さを知ったとき、どんな気持ちがしましたか?」
と質問したときのキクムラ氏の表情だ。

キクムラ氏は、努めて冷静に
「核兵器は使用すべきではないと思います。
それは自分の親族が被害にあったからという理由だけでなく、
人間として当たり前の感情です」
と語っていたが、その目にはうっすら涙が浮かんでいたように見えた。

いわば“育ての親”であるアメリカと、“産みの親”である日本が、
傷つけあった歴史を直視することは、
キクムラ氏だけでなく、多くの日系人にとってとても辛いことだろう。

日本人の血を受け継ぐ“日系人”は、アメリカだけでなく、カナダ、ブラジル、
ペルー、フィリピンなど多数の国で活躍している。

そういった人たちが板挟みになるような辛い歴史が、
もう二度と繰り返されないといいな。

私自身、父が戦後アメリカに移住して15年ほど生活していたので、
どうも気になってしょうがない。

私も来年あたり、父の足跡をたどる旅にでも出てみようかしら……。


それにしても、60代とは思えないほど美しいキクムラ館長。
美容の秘訣も聞けば良かった。


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