インドネシア介護士『僕がそばにいますから』 | hideinu日記

インドネシア介護士『僕がそばにいますから』

昨夜、NHKの「ホリデーにっぽん」という番組で、
インドネシア介護士候補生のドキュメンタリー『僕がそばに居ますから』が放映されていた。

登場していたのは、佐賀県の特養老人ホーム「天寿荘」で働く
チェッチェップさん (23歳/男性)と、ヘンリーさん(23歳/男性)。

彼らはともに、日本とインドネシアのEPA(経済連携協定)に基づいて、
昨年の8月に来日した介護士候補生だ。

「天寿荘」に赴任したのは、今年1月。
関東の研修センターで半年間におよぶ日本語研修を受けたのち、
介護現場である「天寿荘」で働きながら、
介護福祉士の資格取得を目指して勉強を続けている。

番組の中では、赴任当初の1月から8月までの約半年間で、
彼らが何に戸惑い、どのように成長したかが描かれていた。

まず、チェチェップさん。
彼が来日した理由は、
「母国インドネシアでは、看護の仕事が見つからなかった」ためだという。

糖尿病を患っている母をインドネシアに残しての来日は「後ろ髪が引かれる思い」であったが、
母はチェチェップさんに、
「私のことは忘れて、日本で仕事に励みなさい」と笑って送り出してくれた。

施設のお年寄りたちが、そんな母の姿とダブり、
チェチェップさんはインタビューの途中、ときおり涙ぐむ。

いっぽうのヘンリーさんは、10人兄弟の長男という大家族。
「幼い兄弟や体の弱い母を助けるために来日した」という。

私もこれまで何人かの介護士・看護師候補生たちにインタビューしたが、
みんな決まって,来日の理由を
「日本の最先端の医療を学びたかったから」と優等生に答えていたが、
やはりチェチェップさんやヘンリーさんのように、
“経済的”な理由で来日している方が多いのが実情かもしれない。

彼らの月収は、日本人と同等の約15万円。

彼らは日々の生活費を切り詰め、その半分以上を母国の家族に送金しているというから、
たとえ試験に不合格となって3年後に帰国したとしても、日本で働くメリットは大きいだろう。


しかし、異国で働くことは、そう簡単ではない。
まず彼らが戸惑ったのは、日本とインドネシアの「介護状況の違い」である。

インドネシアでは、特養老人ホームのような施設はなく、
すべて家族が家で面倒をみる。

そのため、施設への赴任当初は、
「家族がいるのに、なぜ離れてくらしているのか」が理解できず、
「お年寄りがとても淋しそうに見えた」という。

加えて、天寿荘に入居しているお年寄の平均年齢は86歳で、
ほとんどが認知症を患っているが、
いっぽうでインドネシア人の平均寿命は63歳という短命のため、
認知症の方はほとんどいないのだという。

ただでさえ日本語でのコミュニケーションが不十分なところへもってきて、
認知症であるお年寄りとの対話は、並大抵ではないだろう。

そんな、母国インドネシアとは全く異なる介護現場を見て戸惑うふたりだったが、
「お年寄りの“家族”として、できるだけのことをしてあげたい」
と、他の職員が忙しくて手が回らないときにでも、
ひとりひとりのお年寄りと真摯に向き合う姿が印象的だった。

彼らは母国で“介護”を学んでいるため、
スキル的には問題がないが、やはり大きく立ちはだかるのは“言葉の壁”だ。

難しい漢字や、何種類もある日本語の微妙な言い回し、それに加えて“方言”……。
いつもポケットに辞書をしのばせて、逐次チェックをしながら介護にあたる。

赴任直後の1月には、おぼつかない様子だったお年寄りとのコミュニケーションも、
半年たった8月には、しっかり意思疎通ができているようで、
かわいいお婆ちゃんが、イケメンであるヘンリーさんの手を握って離さず、
「痛い、痛い~。ハナシテください」
と、ヘンリーさんが困り果てている場面もあり、なんとも微笑ましかった。


「外国人に介護されたくない」
というお年寄りもいるのではないか……、
と当初は危惧されていたが、お年寄りはいつだって、
「自分の側に寄り添ってくれる人」がいれば、
それで安心なのだ。

遠くにいてなかなか会えない家族より、
いつも側にいて、やさしくほほえみかけてくれる人が欲しい。
それが外国人だろうが、宇宙人だろうが、もはや関係ないような気がする。

彼らのように優秀な人たちに、
ぜひとも介護の現場に残ってほしいと思った。