自分が書いたブログを読み直すと
誤字の多さに驚きます。
おつかれさまです、速水です。
昨夜の報恩講では沢山の良いお話しが聞けました。
そして面白い事に同友会で経営者の勉強をしている時に出て来る事と
同じ事を宗教的にお話し下さっている所も有ったので
端折りながらですがお話しをさせて頂きます。
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そのむかし、ある所に、どこに居ても周囲から喜んでもらえる
もの凄く真面目で働き者な太郎(仮称)さんがいました。
太郎さんはリタイヤ後、とある病院で雑用として従事ながら
年金と病院からの収入で暮らしていました。
真面目な性分もあり、
献身的に病院や患者さんのお世話をこなして来ました。
頑張って頑張って、病院からも患者さん達からも
もの凄く有り難がられていたと言うんですが
ある時、急に解雇通知を受けました。
解雇通知を受けた太郎さんは
こんなに頑張って来た自負と病院の対応に憤慨し、
出入りの業者さんや入院患者さん達に自らの不遇の処置を嘆き
多くの方の共感を得ながら病院の態度に不満を漏らしていました。
解雇の日を待ちながら不満を抱え、
不満を口にしながら暮らしていたある日
通勤の列車の中でよく同席している僧侶にも
病院から受けた解雇通知の話を愚痴を交えて話しました。
太郎さんは共感の言葉を頂けると思っていたんですが
その僧侶からは意外な言葉が返って来ました。
それは
「おめでとう!良かったじゃないか!何を嘆く事が有ろうか。
齢を重ねてきた太郎さんを病院も使い続ける事は出来ないでしょう、
あなたの事を考えてくれての解雇ではないですか?
それより、嘆く前に、病院を批判する前に
今まで永年にわたり医師免許も持っていないあなたを
雇い続けて来てくれた病院に感謝するべきだ。~後略~」
と、そう言われたそうです。
今まで恨みこそすれ感謝の気持ちを持てなかった自分、
そして周囲のみんなが共感してくれていたから
それが当たり前だと思っていたんですが、
真逆の意見を頂いて考えてみたそうです。(真面目ですね)
でも、言われてみたらその通りなんですよね。
雑用として、自分が頑張って来れたのも
そこに居れたからなんです、
雇ってくれていたからなんです。
そこに対する感謝の気持ちを忘れていた自分に気が付いて
後日、院長先生の元へ行きました。
院長先生も勿論苦情を言いに来ると思っていたはずです。
しかし、
院長先生の顔を見た太郎さんの口から出たのが
感謝の言葉だったのには院長先生もビックリされ
その日から解雇の日までの対応も変わったそうです。
解雇通知を受けてからその日まで
病院に対する恨みの心に溢れ
自分自身の不遇さに苦しんで暮らして来たのに
その日以来、恨む心も苦しむ自分も全く無くなり
晴れて円満退職を迎える事ができました。
その後、地元にもどった太郎さんは
今度は村の雑用をこなしながら暮らします。
そうすると村のみんなから
「我が家で面倒を見させてくれ」
と申し出てもらえることになりました。
結局は誰の家の世話にもならず養老院で最期を迎えたそうです。
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苦しんでいた時は全て病院のせいにしてたんですね。
苦しみの原因(苦諦)は自らの中にある事に気付く(集諦)事で
苦しみは無くなり(滅諦)新たな実践(道諦)へと繋がる。
・苦諦・集諦・滅諦・道諦を「四諦」と言って
お釈迦さんがお話しされた「悟りを開く為の道」だそうです。
同友会で学ぶ経営者の姿勢と同じですね。
経営状況が悪いのは不景気のせい、
銀行のせい、働きが悪い社員のせい、
値踏みをして来る元請け会社のせい、、、、
人のせいにしている限り会社は良くならないんです。
経営状況が良いのも悪いのも
社員さんの働きが悪いのも
その全ては経営者の責任なんです。
会社の経営環境や就業環境を良くして行く為には、
経営を通じて社会を良くして行く為には、
まず経営者がそこを自覚する事が必要なんです。
昨日も良いお話しを聞けました。
ご縁に、仏縁に感謝です。
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