人の命について(無責任論) | 伊丹のおくりびと

伊丹のおくりびと

伊丹市の幸せ創造企業 速水葬祭二代目創業者 速水英城です。
色んな所で様々な人々に支えられご縁を頂き毎日を過ごしています。
感謝を込めて綴ります。




今日は伊丹まちなか映像祭でした

ぽちさん「まちかど」じゃないですよ(笑)

おはようございます、速水です。



企画を立ち上げ、準備を頑張られた皆さんは

本当、凄いと思います。




話は変わりますが、

先ほど読売テレビで「震災復興シリーズ」が流れていました。

「三鉄の復興」。

それによって助けられる人の暮らし。

労働基準法なんてそこにはない。

そんな鉄道マンが利他の為に自分を犠牲にして

頑張った成果です。

凄いです。




残念ながらその話とは離れますが




人が人としてその地で暮らして来たのに




田中角栄さんが

地域格差を無くす為に

なんとか改造論を提唱して

日本全国をまんべんなくならそうとした。




それはすばらしい!!




新潟(我が故郷)も東京も

大阪も四国も九州も、

同じ水準で市民生活を送れる様に!!




すごい!






言われいた。



んですが、

それって

本当に幸せですか?




伊丹に暮らす僕は



東京に比べても

大阪に比べても




ビジネスチャンスも情報量も

うんと少ない所で暮らしています。




そう

新聞が言う所の「地域格差」。



「悪」とされていますが

それは本当に「悪」なんでしょうか?




もっと言うと

「無医村」「限界集落」



もともと

そこは不便を不便とも思わず

不便極まりなくても、

そこにしか無い素晴らしい環境で

そこにしか育たない文化を育みながら

「僻地」「田舎」として成立していたのに。




暮らしていた人々は

「少々不便でも、ここが最高!」と

支え合いながら暮らしていたのに。




もっと言うと、

普通に暮らしていて、病気になって

治らない病気だったら死ぬ。

あるいは

生まれて来た赤ちゃんが弱くて命を落とす。



普通にそうして暮らして来た。



「「「だからこそ」」」

生かされている命が尊くありがたい。

と思える事ができたと思うんです。




またまた

話は変わりますが

今度の大震災。




「何もかも奪われた。」と言います。

ライフラインも人の命も。




しかし、

全てが奪われたわけではない。



それは

マスコミは取り上げてくれませんが




取り上げても「弊害」としてしか

取り上げてくれませんが。



そこにある「コミュニティー」



日本語で言うと

「地縁、人縁」



生き残った人達が

せっかく生き残ったんだからと

与えられた命に感謝し、前を向うとする姿勢。

多過ぎる悲しみの上に存在する「自分の命」




亡くなって行った知人友人、身内の

「思いの」為にも

めちゃめちゃでも、何にも無くても

前を向く心。




それは




日本人が




忘れていた




経済の発展の為に




置き去りにして来た




大切な




 「 心 」 



ではないでしょうか?



新聞が言う

「何もかも無くなった」

というのは

貨幣価値に換算できる

物的な物ですよね?



命は別として




家、船、身ぐるみ、通帳、印鑑。



そんな物が無いと暮らせなくしたのは

市場経済至上主義で進めて来た日本です。



どうでしょう。。。




ほんとに大切な物は何ですか?

おばあちゃん、、




「お葬式屋さん」という

逝く人を「思う」送る人と日常的に

対峙しているからかもしれませんが




「生きているのが当たり前」の

今の常識に違和感を感じます。




大好きな先輩の言葉に

「生きているだけで まる儲け」

と言う言葉が有ります。




ほんとそうなんだとおもいます。




で、

せっかく死なずに

生きられているなら




それだけでOK!!




僕たちは阪神淡路大震災を生き延びた。



いま、

東日本大震災から命を永らえた人もいる。



少しだけ言わせて下さい。



地震が無くても

津波が無くても

交通事故や自殺や




毎年、

毎日、

毎時

毎分。

誰かが確実に死んで居られるんです。




生き続けられている事が奇跡なんです。



そして、

日本人の死亡率は




100%なんです、




100%




確実に死なないといけないんです。



求めようが求めざろうがです。




そして、

この記事を読まれている皆さんは

残念ながらこの世に




死亡率100%の、この娑婆に生まれて来たんです。




その命を

「残念ながら」 な 「命」にしない為にも




「生きているだけでまるもうけ」と思える

頂いた命と縁に感謝して



小さな光を繋いで

一歩一歩大切に歩いて欲しいと思います。




偉そうな事言ってすんませんでした。





つい先ほどまで、ご一緒して下さっていた

ホットな先輩や友人とご一緒頂くことができた事がうれしくて

感謝の思いを持って記事にさせて頂きました。