うさぎストライプ『空想科学』@アトリエ春風舎 | What's Entertainment ?

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映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

2014年12月28日、小竹向原のアトリエ春風舎にてうさぎストライプ公演『空想科学』千穐楽を観た。




作・演出は大池容子、照明は黒太剛亮(黒猿)、照明操作は赤間和夏、音響は角田里枝、当日制作は石川景子(青年団)、宣伝美術・プランディングは西泰宏(うさぎストライプ)、制作・ドラマターグは金澤昭(うさぎストライプ・青年団)、総合プロデューサーは平田オリザ、技術協力は鈴木健介(アゴラ企画)、制作協力は木元太郎(アゴラ企画)、特別協力は鈴木杏理・小川優、主催は(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場。
企画制作はうさぎストライプ、(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場。協力は黒猿、青年団、(有)レトル・Paddy Field。助成は平成26年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業。


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

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何処かの町のラブホテル。タカハシ(斉藤マッチュ)がベッドで目を覚ますと、頭に斧が突き刺さっていた。自分が死んでいるであろうことだけを認識すると、とりあえずタカハシは煙草に火をつけた。誰にやられたのか、見当もつかなかった。
すると、モジモジしながら若い女(川田智美)が現れた。どうやら、昨日何処かの居酒屋でひっかけてそのままこのラブホテルでセックスした女のようだった。タカハシは、そういうことを割とやってしまう方だ。
彼女は、タカハシの気持ちを確かめると、それで自分で付き合ってくれるのか?と聞いて来た。付き合うも何も自分はもう死んでるというと、彼女はそんなこと一向に気にしていないようだった。

同じラブホテルの部屋、備え付けのカラオケで中村雅俊の「恋人も濡れる街角」を歌っている亀山(亀山浩史:うさぎストライプ)。妻ののぞみ(森岡望:青年団)は、そんな夫を呆れ顔で見ている。亀山は葬儀屋で働いており、のぞみの叔母が亡くなったのでこれから夫婦で通夜に向かうところだった。
叔母は一人者で、のぞみ以外の近い親族はのぞみの妹・かずみ(すがやかずみ:野鳩)だけだから、葬儀の段取りは専門家の亀山がやることになりそうだった。
亀山は、ラブホテルに忍び込んではカップルの男客を手斧で惨殺するというサイコパスな夢を何度も見ていた。今もまたその話を始めてのぞみにうんざりされているが、いつもとちょっと違うのは先日見た夢の舞台になったのが、まさにこのラブホテルだったということだ。
そろそろ通夜の時間だというのに、亀山はのぞみを抱こうとした。

今しがたタカハシの名前を知ったばかりだというのに、彼女は早くもラブラブ・モード全開でタカハシを退かせている。警戒心がなさ過ぎというか、ただの天然キャラというか、タカハシは思わず知らない男にホイホイついて行かない方がいいと自分のことは棚に置いて忠告してしまう始末だ。
彼女は、とにかくタカハシのことを知りたがった。タカハシは、自分の地元がこの辺りだということを話した。近くには海と、創業30年ということだけで有名だが実は大して美味くもないパン屋と、しけた水族館がある。
彼女は海が見たいと言い出したので、タカハシは食事に行く予定を変更して、彼女を海に連れて行く。そもそも、死んだ人間は空腹になるのかと女に聞かれて、タカハシも首を捻った。

亀山とのぞみが叔母の家に到着すると、部屋中叔母の衣装で溢れていた。一人暮らしの上に突然亡くなったため、すべてが手つかずの状態で、かずみは途方に暮れていた。まだ、死亡届も埋葬許可証の申請もしていないという。仕方なく、事務的なことは亀山が引き受けた。
姉妹は自分たちの近況や叔母について話すが、そもそもあまり話すこともない。オクテで考え方が硬いかずえは、いまだ独身で恋人もいない。

タカハシと女は、そのままラブホテルで暮らし始める。彼女は、タカハシの家に行ってみたいと拗ねるのだが、何もない家だし、どうせやることなど同じだ。それに、いつ自分が消えてなくなるかも分からないのだ。
彼女は、自分が死ぬまで一緒にいてくれというが、こののほほんとした女は長生きして大往生しそうな感じだった。
タカハシが煙草を買いに行くというので、女はチョコのアイスも買って来てと頼んだ。タカハシは面倒臭そうに部屋から出て行った。
女が一人でいると、何処から入って来たのか男が立っていた。男は、手に斧を持っていた。相手の男はいないのか?と聞くので、出かけていると彼女は答えた。男が近づいてくるので、怖がって彼女が騒ぐと男がいつの間にか部屋から消えた。

亀山は戻って来なかった。どうやら、疲れて上で寝ているようだった。のぞみは、叔母の持ち物を整理しながら夫のサイコパスな夢のことをかずえに話した。
すると、いつの間にやって来たのか昔の知り合いが部屋にいた。以前居酒屋で会って成り行きで関係を持ってしまったヤマシタキヨシという男だった。この男は、叔母とも知り合いだったのか。のぞみは特に不思議に思うこともなく、久しぶりの再会を懐かしがるが、ヤマシタとの会話は微妙に噛み合わなかった。ヤマシタは、冷蔵庫にアイスが入っていないか?と聞いて、部屋を出て行った。
かずみは、ヤマシタが出て行くと姉を叱責した。行きずりの男と関係を持つなんて信じられないとかずみは言うが、のぞみは世間ではよくあることなのだと言い訳した。だから、妹はいつまで経っても恋人一人できないのだと思いながら。

部屋に戻ったタカハシは女にアイスを渡すが、チョコじゃないと文句を言われた。その後、彼女は部屋に突然現れた男の話をした。

亀山は、何度も何度も人を殺す夢を見ていた。ところが、いつまで経っても目覚めることができない。彼は、そのうち自分が夢を見ているのか、それともこれが現実なのか混乱を来たし始める。
気づくと、例のラブホテルの一室にいた。彼は、マイクを取ると「恋人も濡れる街角」を歌い出した。いつの間にか現れたのぞみに邪魔されるが、この曲を歌わないと夢から覚めないんだと言って彼は歌い続けた。

そのまま、女とタカハシはずっと付き合い続けた。10年が経ち、20年が過ぎ、30年になっても二人の関係は続いた。周囲がどう思っていようが、彼女は一向に気にもせず、結構幸せそうだった。
ところが、その彼女も死んでしまった。タカハシが予想した通り、結構しょうもない死に方だった。

亀山が死んでしばらく経つが、かずみが聞いても、のぞみには再婚する気がないようだった。のぞみは、死にはしたが今でも夫が自分の傍にいるのを感じるから、全然寂しくないのだと笑った。
そういえば、生前叔母も似たようなことを言って周囲を戸惑わせたものだった。叔母は結婚もしなかったが、自分には付き合っている男がいるのだと言っていた。のぞみもかずえも、当時それが叔母の妄想だと思っていたのだが、今ののぞみは叔母の言った言葉を信じることができた。

一人ラブホテルの部屋でタカハシが服を着ていると、何処から入って来たのか全身血まみれの姿で亀山が入って来た。彼の右手には血のりがべったりと付着した斧が握られている。
亀山は斧を差し出すと、これで自分を殺してくれと言った。そうすれば、自分は夢から覚めることができると彼は言った。
タカハシは、一度は斧を受け取ったが結局はやる気になれず斧を返して部屋を出て行った。やりたければ、自分でやれと。
仕方なく、亀山は自分の頭に斧を叩きつけた…。

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配布された「空想科学」リーフレットで大池容子は、演劇の嘘があまり好きではなかったが今回は最初から嘘をついてみようと思ったと書いている。その言葉に、僕は「おっ!」と思った。もちろん、言葉の真意は大池本人にしか分からないが、彼女の言葉に自分の抱えている劇作的な壁を一つ乗り越えてみようという意志を感じたからである。

「演劇の嘘」あるいは「フィクショナリズム」をどう捉えるかは人それぞれだと思うが、ドラマ的な虚構を創造することを「嘘をつく」と表現する彼女の意識が、ある種の精神的な枷になっているように僕は感じていたからだ。
ただ、僕が思うに、物語を創作するというのは規模の大小はあれど、ひとつの世界を構築することである。その物語世界の中に登場する人物たちにとっては、まぎれもない現実な訳で、その物語的リアルを構築することは、あながち嘘と言いきれないのではないか?
本作『空想科学』における亀山の夢同様に、嘘と本当、虚構と現実の壁など、実は曖昧模糊としたものだ。自分の立ち位置と意識をどちらの側に置くか、ただそれだけのことに過ぎない。
その意味でも、今回の新作は大池演劇にとって「Break on through to the other side」になる可能性を秘めた舞台になったと思う。ジム・モリソンの書いたドアーズの歌詞じゃないけど。

とにかく、僕が感心したのは脚本の良さである。作劇としてはなかなか凝った構成だし、時空を越えて行き来する物語には、彼女の作家的センスの一端を見る思いがした。
それを60分の尺でコンパクトに畳みかけ、しかも何の物語的破綻もなく、シャープかつ簡潔に描き切ったところに構成の妙を感じる。
問題は、脚本の良さを演劇として活かし切れていないところである。

これだけ凝縮された脚本であるから、それをどう見せるか演出的な手腕が当然問われて来る。肝になるのは、テンポとリズム感、そして役者たちの演劇的求心力である。然るに、この舞台ではその部分がいささか弱く感じられた。
たとえば、亀山が最初にカラオケで「恋人も濡れる街角」を歌う場面。個人的には無駄なくらいに上手く熱唱すべきところだと思うのだが、それを何の表情もなく、ただ立って淡々と上手くもない歌唱を聴かせるだけというのが物足りない。その周囲で踊る四人の役者たちの動きもぎこちなく、舞台が弛緩してしまう。
ここは、過剰なくらいにアッパーな演出で突き抜けてしまった方が、演劇的には面白いのではないか?

斉藤マッチュの人を食ったような演技には、この舞台を牽引する力があったように思う。また、相手役の川田智美も科白回しにややぎこちなさを感じるものの、なかなかに魅力的だった。ただ、大きな声でしゃべると、途端に演技が単調に映るのが気になった。
個人的に一番不満だったのが、亀山浩史の表情とリズム感に乏しい演技である。彼が登場すると、舞台的な温度が下がって行くように見えてしまった。

あと、これは好みの問題かもしれないけど、僕はエンディングにもちょっと不満を持った。
ここは、タカハシが「おやすみ」とか「いい夢を」と言った逆説的科白と共に斧を振りおろして舞台が暗転する終幕の方が、相応しかったのではないか?

いずれにしても、『空想科学』は大池とうさぎストライプの飛躍を予感させる作品であった。
次の公演が誠に楽しみである。