小林政広『春との旅』 | What's Entertainment ?

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映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

2010年の小林政広監督『春との旅』

35mmの夢、12inchの楽園


エグゼクティブプロデューサーは與田尚志、プロデューサーは紀伊宗之・小林直子、原作・脚本は

小林政広、アソシエイトプロデューサーは脇田さくら・小林政広、制作担当は川瀬準也、アシスタントプロデューサーは萩原直人、音楽は佐久間順平、撮影監督は高間賢治、照明は上保正道、美術は山﨑輝、編集は金子尚樹、助監督は石田和彦、音響効果は瀬谷満、装飾は鈴木隆之、衣裳は宮本まき江、ヘアメイクは小沼みどり、制作主任は棚瀬雅俊。
企画はモンキータウンプロダクション、製作は『春との旅』フィルムパートナーズ(ラテルナ、東映ビデオ、アスミック・エース、毎日新聞社、札幌駅総合開発、北海道新聞社)、助成は文化芸術振興費補助金、制作はラテルナ・モンキータウンプロダクション。
配給はティ・ジョイ、アスミク・エース。
宣伝コピーは、「生きる道、きっとある。」
日本/カラー/134分/ビスタサイズ/35mm/DTSステレオ

35mmの夢、12inchの楽園


本作は2009年4月から12月にかけて、北海道増毛町を起点にオールロケで撮影された。
また、本作はバリアフリー上映として、聴覚障害者用日本語字幕と音声ガイド付き上映も実施された。
小林政広は、この脚本を2001年の暮れに書いている。余談だが、劇中春が読んでいる文庫本は、林芙美子『放浪記』である。


中井忠男(仲代達矢)は、かつてニシン獲りの漁師だった。わがまま勝手に振る舞うこの男に兄姉弟は散々振り回されたが、その忠男も74歳。妻には先立たれ、一人娘は離婚の末に数年前自ら命を絶った。
今は北海道の漁村・増毛町で19歳になる孫娘・春(徳永えり)と二人暮らしをしているが、春が給食係として働いていた小学校が廃校になってしまう。春は東京に行くことを希望するが、忠男は足が不自由で一人暮らしは無理だった。
親戚のところに身を寄せて欲しいと頼む春の言葉にやけくそになった忠男は、怒りも露わに家を飛び出し、兄姉弟たちの元を数年ぶりに訪ねることにする。春が謝り引きとめようとしても、この偏屈な年寄りは聞く耳を持たない。
こうして、忠男と春は忠男の居候先を求めて珍道中をすることになった。

35mmの夢、12inchの楽園

最初に向かったのは、最も反りの合わない長男で婿養子の金本重男(大滝秀治)。しかし、案の定二人は口論になる。鼻息も荒く辞去しようとする忠男に、重男と恵子(菅井きん)の夫婦は、もうすぐ老人ホームに入居することを哀しげに告白した。


35mmの夢、12inchの楽園


次に訪れた弟のアパート。しかし、弟は内縁の妻である清水愛子(田中裕子)を残し、恩人の罪を被って8年前から刑務所に入っていた。毎年届く忠男への年賀状は、愛子が書いていたのだ。


35mmの夢、12inchの楽園

次に訪れたのは、宮城県鳴子温泉で旅館を営む長女の茂子(淡島千景)のところ。事情を聞いた茂子は、春を犠牲にしないで一人で生きて行くよう忠男に諭す。そして、茂子はこの旅館で働く気はないか?と春に言った。夫に先立たれた自分の跡取りとなることを前提に。
しかし、春はその申し出を断る。彼女は、忠男とずっと一緒にいたいと思い始めていた。


35mmの夢、12inchの楽園

最後に訪れたのは、不動産業で羽振りが良かった道男(柄本明)のところ。しかし、道男の自宅は更地になっており、彼は妻の明子(美保純)とマンション住まいをしていた。もう一度、不動産屋として巻き返すタイミングを虎視眈々と狙っていると強がる道男だが、彼の生活は苦しいものだった。
お気楽に生きているようにしか見えない忠男に道男は反発、兄弟はつかみ合いの喧嘩になってしまう。


35mmの夢、12inchの楽園

祖父と兄姉弟のやり取りを見ていた春は、二度と会うつもりのなかった父・津田真一(香川照之)に会ってみたくなる。母と自分を捨てた父は、今北海道で牧場を経営していた。
勇気を振り絞って、春は忠男と共にフェリーに乗った…。


35mmの夢、12inchの楽園


小林政広が人の心と真摯に向き合った日本ドメスティック映画の傑作。

それ以外に、一体どんな言葉が必要だというのだろう?
人が生きることの厳しさ、抑えようのない自我、周囲との軋轢、それでもやはり一人では生きて行けぬ絆…本作を観れば、誰しも複雑な思いが胸に去来することだろう。
この映画に登場する人々は、でありあなたなのだから…。

映画としては、極めて地味な物語である。これと言ってドラマチックな出来事も派手な展開もなく、身を焦がすような恋情も登場しない。突きつけられるのは老いであり、暴力的なまでに理不尽な運命であり、展望の見えない不確かな先行きへの不安である。
そして、その苛酷さの中でも何とか生きて行こうとする人々の営みである。そこに、心奪われる。

この風変りなロード・ムービーを支えるのは、圧倒的な役者たちの演技である。仲代達矢、大滝秀治、菅井きん、(ほとんど顔さえ判別できない)小林薫、田中裕子、これが最後の映画出演となった淡島千景、柄本明、美保純、戸田菜穂、香川照之。
そして、彼らに一歩も引けを取らない徳永えり
ただ、彼らの素晴らしい演技が光るのも、脚本が素晴らしければこそだ。


35mmの夢、12inchの楽園


本作はもちろん演出も素晴らしいが、それと同等あるいはそれ以上に脚本家・小林政広の“言葉”の力を評価すべきだろう。
「60年間、150作品に出演しました。色々な監督の作品に出ましたが、小林監督は黒澤明さんと並ぶべき天才」と語る仲代達矢は、本作の脚本を五指に入る出来栄えと惚れ込んでの出演だったそうだ。



35mmの夢、12inchの楽園

すべての登場人物たちを重層的・複眼的に見つめて、人間の優しさも醜さも立体的に描き出す小林の手腕に、舌を巻く。
物語を予定調和に陥らせることなく、忠男も春も他の登場人物たちもあまりにもリアルに映画の中で人生を生きているのだ。
彼らは、時にどうしようもなくエゴイスティックで残酷であり、次の場面では抱きしめたくなるほど愛おしく優しさに満ちている。
そこには、安易なヒューマニズムの如きものなど微塵もない。

ただ深刻なばかりではなく、小林は巧みにユーモアも溶かし込む。それは、冬だというのに女たちが窓を開けて換気するシーンに顕著だ。
そして、本作は老境を迎えてもいまだ野卑で子供じみた男たちと、凛として男たちに温かな眼差しを向ける女たちという構図で描かれる。そのいずれにも収まらないのが、春という女の子である。
それは、春が未完成の存在として描かれるからだろう。

本作の上映時間は、2時間14分である。忠男が自分の兄姉弟を訪ねるくだりを観ていると、いささか冗長かな…との思いが過ぎる。
しかし、話の軸が春と真一に移ったところで、本作にはこの時間がどうしても必要だったことが理解できる。この物語には、134分という時間が不可避なのだ。
春の家族三人それぞれの心に深く刻まれた傷、真一と忠男の関係、忠男に父性を感じる伸子、そして何よりも春がずっと抱えて来た苦しみ。その重みを映画的ピークとして描くためには。


35mmの夢、12inchの楽園
35mmの夢、12inchの楽園

随所に小林の個性である効果的な長回しが用いられるが、その白眉は真一の家を辞去して立ち寄った食堂で春と忠男が蕎麦を手繰るシーン。この場面で春に語る忠男の姿の何と映画的なことか。

物語は、「お前は一人で生きていかなくてはならない。決して、春を犠牲にしてはいけない」という茂子の言葉が楔となっている。彼女の言葉は、春との旅の終わりを縛りつけるものである。
果たして、小林政広は春の人生をどう解き放つのか?ということだ。
そして、映画は「これしかない!」というエンディングを迎える。
このエピソードで映画を結ぶところにも、映画監督としての小林の誠実さを見る思いがする。


35mmの夢、12inchの楽園

「映画は、如何に人の生に寄り添い、表現することができるか?」という問いに対するほぼパーフェクトな回答。
まさに、珠玉の一本である。