※こちらは『後編』になります。
 『前編』をお読みになった上でご覧下さい。




「……」

 ふと、涙で腫れた目尻を上げて壁を見る。
 そこに示された時刻は、もう当初予定していた午後六時を過ぎてしまっていた。
(今年も……駄目だった……か)
 またしても潤んでしまった眼を擦り、必死に涙を押し留める。

 私はせめてといった体でもう一度キッチンに足を運んだ。
 当然鼻を摘んだままで異界を抜け、冷蔵庫へ向かい、扉を開ける。


 その奥には――私が昨日こっそり買っておいた、私の誕生日を祝うためのホールケーキがあった。


「……本当は……誰かと一緒に食べたかったんだけどな……」
 冷たく冷やされたそのケーキを箱ごと奥から引っ張り出すと、まだ少し震える手で掴んで自分の部屋へと持っていく。小皿とフォークを一セットずつ一緒にテーブルに乗せると、店の人にチョコペンで書いて貰った『天子ちゃん 誕生日おめでとう!』と文字の入ったチョコレートが真ん中に乗っているのが視界に入った。
 買った時はこれが誇らしくもあったのだが――今となってはその明るい文字列がただ虚しいばかりか、白いクリームとの対比で周囲から浮いてしまっているようにも感じてしまう。
「…………」
 ナイフを淡々と使ってホールケーキを適当に六等分すると、手前の一つを皿に乗せた。
 箱に付属していた色つきのロウソクを一本取り出しておもむろにその上に刺すと、用意しておいたマッチを擦って火を灯す。

 「ぽっ」と、優しい火がロウソクに開花した。
 私はそのささやかな灯かりを楽しむように立ち上がって部屋の電気を消すと、暗闇に包まれた中で一箇所だけいじらしげに照らし出しているその光に何故だか親近感を覚えてしまい、そっと顔を近づけた。
「……きれい」
 しばらく――何分かのあいだ魅せられるようにその火を見入っていると、やがてロウソクの寿命が近づいたのか――風に揺られるようにして、火は消えてしまった。
 焦げ臭いような臭いが鼻を通ると同時に、部屋は再び暗闇に包まれる。
「……食べよっかな」
 もう一度立ち上がって部屋の電気をつけると、もう溶けかかっていたロウソクがぐにゃりとひしゃげている。それがどうも今の私に良く似ていて、どうにも妙な感情になってしまう。
「いただきます……」
 手を合わせてそう言うと、フォークで端からケーキをつつき始める。生クリームの塗装が剥がれ落ちると同時に、間に挟まれたイチゴが見えてきた。この瞬間がちょっぴり嬉しい。
「……」
 ――だけど。
「……っ」
 当初みんなと食べることを予定していたケーキである。
 一人ぼっちで食べていても、その嬉しさは半減どころかただ虚しさに変わっているだけのような気さえしてしまう。いつも食べるケーキは美味しいのに、今日のケーキはどこか味気ない。
「う……」
 ――その砂を噛むような感触に、また意図せずに涙が零れ落ちた。
 もう、何回目だろう。今日泣くのは。
「い……いけないいけない。私ったらネガティブになりすぎね。また……来年頑張れば良いじゃない。その時までにはきっとみんなと仲良くなれて、誕生日にだって誘えるようになってるわよ……」
 自分でも根拠の無い強がりだと分かっていながら、そう言わずにはいられなかった。
 虫のいい話だとはわかっているけど、こうでも言っていないといつか耐えられずに泣き伏せてしまうような気がする。

 それがただ、嫌だった。


















「しーっ、だから静かにして下さいって言ってるじゃないですか! 気付かれたらどうするんです!」
「うるせーなぁ、どだい無理なんだぜ? こいつらまで連れてきて黙らせろっていうのが……」
「いいじゃない、賑やかな方が好都合なんじゃないの?」
「それにしたって限度ってものはあるけどね……」
「なぁなぁー、お酒まだかー?」
「ちょっと黙ってなさい! アンタさっきからそればっかりじゃない!」
「ふふふっ……騒がしいわね、まったく……」





「……え?」


 何だか、外から声が聞こえるような気がする。それも恐らく十人以上が複数が集まった声だ。
 耳を済ませて壁に近づいてみると、確かに聞こえる。聞き覚えの無いものもあったが、その中には――
「……依玖?」
 聞きなれた、彼女の声も混じっていた。
「どうしたのかしら……。もしかして、今まで飲みに出てて今帰ったところだとか?」
 そう想像すると、何だか急に怒りが沸いてきた。
「あいつ……総領娘であるこの私を置いて飲みに出かけるとは良い度胸ね……。私の気も知らないで、ちょっととっちめてやろうかしら?」
 他にも声が聞こえる所を見ると、恐らくうちで二次会でもするつもりなのだろう。
 冗談じゃない。こっちはただ今一人誕生日パーティー絶賛開催中なのだ。衣玖にだって見られたら恥ずかしいし、勿論他の誰にも知られる訳にもいかない。二次会というならせめて他の所でやって貰わなくては!
 そう考えた私はとりあえずケーキ一式を机の下に隠してから、大声で壁越しに依玖に話しかけた。
「依玖? アンタこんな時間まで何やってたの! 事もあろうかアンタまで今日が何の日か忘れてるなんて……!」
「そっ、総領娘様!? お、お待ちください、その、あと少しですから……。あなた達も静かにしてください!」
「あと少しって何がよ! 言っとくけど私はいま忙しいんだから、飲むなら他でやってよね!」
「の、飲むとは……? ああっ、もう、少しは落ち着いていられないんですか!?」
 ……何だか私との会話をしつつ、うるさい連れに手を焼いているような感じだった。
 彼女も酔っているのだろうか? 第一、あんなに交友関係の広い奴だっただろうか。
「もう……しょうがないわね……!」
 私は苛立って近くの小さな窓のカーテンを開けるため、つま先で立ってカーテンの端っこを掴んだ。
 この向こうに依玖が居るはずだ。こうなったら一つ文句を言ってやらなくては気が済まない。
「う……うわわっ、総領娘様! あの、今カーテンを開けられると困るのですが……!」
「バカっ! 私の気も知らないで飲みに歩いてるアンタの方が困ったものよ! まったく、一体誰と飲みに歩いて――」
 そう言い終わる前に「シャッ」とカーテンを開ききり、外の様子を覗き込む。


 ――すると、そこには。




「あっ、総領娘さま……! ほっ、ほらっ、あなた達が静かにしないからバレちゃったじゃないですかっ! 折角の私の計画が……」
「まーまー、そんなに気にすんなよ。どっちみち演出なんて懲りすぎると失敗するってことだぜ?」
「いいじゃないそんな事どうだって。それより早く始めましょう。待ちきれないのも何人かいるみたいだから」

「……はっ、白麗の巫女……!」
 最悪なことに、例の事件のときに一悶着あった彼女を初めとして、見知った顔が何人かいた。
 ――この面子は、もしかして依玖が何か吹き込んで私を笑いものにしようとしにきたとか!?
「あっ……アンタねぇ依玖っ! 仮にも私はアンタの主なのよっ! それを一体どうやったら……!」
「お待ち下さい総領娘さま! いま登場シーンからやり直しますから! ほらあなた達、言っていた通りにしてください!」
「わーかったわかった。まぁ確かに曲がりなりにも出席させてもらう訳だし。恒例の台詞くらいは言っとかねーとな、だぜ」
「そうね、ちょっとグダグダになっちゃったけど……ほら皆。本日の主役はあちらよ~」

「な……はぁ……?」

 何だか私が置いてけぼりにされている感を受けて、状況がよく掴めない。
 ただ、彼女達は一斉に窓から顔だけ出した私のほうを見て、何かタイミングを図っているようだった。
 一体、何の合図を――

「ちょ……ちょっと……」
「はい、皆さんいきますよ!? せー……のっ!!」

 ――すると。


 私の部屋の周りから、割れんばかりの大声が一斉に聞こえてきた。














「「「「「天子ちゃん、誕生日おめでとーーーーっ!!!!」」」」」
















「…………!」



 圧巻、だった。

 何十人とも聞こえる声が、一斉に、同じ台詞を口にしたのだ。
 何の偶然か、私がずっと望んで望んで仕方がなかった、あの台詞を。



「……え?」


「あっ、霧雨さん今ちょっとズレませんでした!? ちゃんとやって下さいよ!」
「しっつれーな! 私はちゃんとタイミング合わせたぜ? そこの酔っ払い鬼とかバカ妖精とかが遅れたんじゃないのぜ?」
「どーだっていいじゃない、そんな事……。ホラ、事態が把握できていないような人が――約一名いるでしょ?」


「…………っ」

 すると、その中での一人――あの博麗の巫女が、私のほうを指差している。
「こ……これは……」
「だーかーら、聞こえなかったのかよ。『誕生日おめでとう』って言ったじゃねーか」
「お……おめ……えぇ?」
 未だに状況が良く呑み込めていないような私をよそに。

 ――突如。
 私の部屋の空間の一部が、割れるように裂けた。

「……あっ」

 それは過去に何度か見た――あの八雲紫のスキマに違いなかった。

「はぁ~い、こんばんわ」
「ゆ、紫……っ」
「あら、いつかの不良天人さんじゃない」
 すると、そのスキマから身を躍らせるように出てきた老女――あの紫が、私の前にすっと降り立った。
 見慣れたような不敵な笑みを浮かべると、眼前でくるっと扇子を舞わせる。
「ねぇ貴女、今私の事を〝老女〟って形容しなかった?」
 何て勘の良さだ。
「し、してないわよ」
「そう? 言っておくけど私は永遠の十七歳よ?」
「知らないわよ! それより……どういう事なのこれ!? まさかアンタが衣玖をそそのかして……!」
「失礼ねぇ。私はどんな悪役キャラに取られてるの……。それより、不良天人さん」
「な、何よ!?」



「――お誕生日、おめでとう」



「……なっ」
 そして、にこっと微笑んで。
 私にそう告げた。
「何を――!」
「あーそうそう。これは貴女のところの依玖さんに言われたからであって、別に私の本心からじゃないのよ? 勘違いしないでよねっ」
 すると、何故か少しわざとらしいくらいに「ぷいっ」とした仕草を取った紫。
 ――例の〝つんでれ〟とやらで少女ポイントでも稼ごうとしているのだろうか。
「……また何か失礼なこと考えてるわね?」
「ちっ……ちがっ……」
「まぁ何にせよ。私の事はいいから、そろそろ窓の外の皆さんを中に迎え入れてあげたら? せっかく貴女の誕生日パーティーに来てくれたっていうのに、寒い中放って置かれたんじゃ可哀想よ」
 そうやって紫が「ぱちん」と指を鳴らすと同時に、例のスキマが三つほど部屋に浮かび上がった。
 すると。
「きゃああああぁぁっ!!」
「なっ、何だっ!? 何事だっ!?」
 その(スキマ)から何重もの悲鳴と一緒に。
 次々に外に居た連中が放り出されるように部屋の中に、忙しなく入ってくる。

 それは――

 見慣れた依玖。
 博麗の巫女。
 箒を持った魔法使い。
 地下の鬼達。
 湖の氷精。
 竹林の医者とその兎達。
 紅魔館の吸血鬼やそのメイドまで。

 計三十人ほどの連中が、広さだけは無駄にある私の部屋に。
 一斉になだれ込んできた。


「……っ、ちょっと紫さん。もう少し安全な招待はできなかったんですか?」
「ふふっ、ごめんなさい」
 悪びれもなくそう言うと、すっと再びスキマに腰掛ける紫。
 他の連中も何とか姿勢を立て直したようで、紫に対してぶつくさと文句を言いながらもその辺の床に座っていく。
「い……依玖、これは一体どういう……」
 すると依玖は私の方に近づいてきて、にっこりとした笑顔を浮かべながら、しかしさも当然であるかのように言った。
「ですから、この方々を総領娘様の誕生日パーティーにご招待したのですよ。今日は幻想郷中の知り合いに声をかけるべく、朝早くからあっちこっちを飛び回って声をかけていたんですから」
「え……じゃあ、用事っていうのは……」
「はい、そのことです。あとは色々と登場シーンのリハーサルをやったりとかですね。大変だったんですよ? こんなに落ち着きの無い方々を纏め上げるというのも……」
「……っ」
 ――その時、私は依玖に……、依玖に感謝していた。
 私の事を想ってやっていてくれていたのか。飲みに行ってたなんて、ただの私の勘違いだったんだ。

 ――だけど。

「で、でもそれってこいつらは、みんな衣玖に言われたから来たんでしょう。それこそ宴でもする為に――」
 すると、その私の言葉を聴いて、依玖は目の前で苦しげな笑みを浮かべた。
「いいえ、総領娘様。確かに私はリハーサルの監督はやりましたし知り合いの所へと赴きましたが、それだけです。それ以外は何もしていません」
「……どういう事よ」
「ですから――。ここにいる皆さん、私に言われるまでもなく。みんな総領娘様の誕生日を祝おうとしてくれていたらしいのですよ」
「…………っ、はっ、はぁ!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
 意味が分からない。一体どうして――
「私も様々な方の所に誘いに行ったのですが、皆さん一様に『そんな事は言われなくたって分かってる。誘われなくたって行くつもりだった』と仰っていました。どうやらあの新聞屋の天狗が、今日は総領娘様のお誕生日という事で号外をバラ撒いていたというのもあったようですけどね」
「…………え」
 ――ここへ来て、私はようやく理解できた。
 ここに居るみんなは、私の誕生日を祝おうとしてくれているのか。
 それも同情や依玖に言われたからではなく、自分から。

 周りを見渡してみると、溢れるような連中はみな揃って私の方を向いていた。

「ま、アンタとは色々あったけど、そこの召使さんが『お料理ご馳走します』っていうからしょうがなくね。……あとついでに、誕生日おめでとう」
 そっぽを向いたように言う、博麗の巫女。

「あ、霊夢は金欠だから誕生日プレゼントは勘弁してやってほしいんだぜ。それじゃあコレは私からな、蒸しても焼いてもウマい、私が薦める秋のキノコ百本セットだぜ! 誕生日おめでとうな!」
 にっと笑ってぱんぱんに膨らんだ風呂敷を取り出す、魔法使い。

「咲夜、アレを」
「はい。主から、我が紅魔館の地下で熟成させたヴィンテージのワインでございます。お誕生日、おめでとうございます」
 偉そうに命令する吸血鬼と、それに従ってボトルを差し出すメイド。

「じゃあ私からは――はい、PSP3000の全カラーセットね。誕生日おめでとう」
「しっ、師匠!? それは姫様の所持品では――!」
「いいのよウドンゲ。姫ったらロクに外にも出ないでゲームばっかりやってるんだから。これくらいやって当然よ」
「そうかもしれませんが――どうして姫様は同じゲーム機を何色も持っていらっしゃるんでしょうね」
「私たちには理解できないわ」
「そうですね――あっ、お誕生日、おめでとうございます」
 手の平サイズのカラフルな機会を差し出す、竹林の医者と兎。

「なーなー霊夢ー、お酒まだかぁー? 勇戯も、酒ぇーっ」
「……ったく、お前はホント酒の事しか頭にないよなぁ萃香。まぁ私も似たようなモンではあるけどな」
「私から見れば、あんた等の方がよっぽどお似合いに見えちゃうわ……」
「おいおい妬くなよパルスィ。私の心は――ずっとお前だけのものだぜ?」
「バっ……バカな事言ってるんじゃないわよ……! ぅ……、ばか……」
「はははっ。お、天人さん。ほら、地下名物の酒蒸し温泉たまごだ。美味いんだぜ? 誕生日おめでとう」
「そーだな、誕生日おめでとーっ!」
「うう……ばか勇戯……惚れ直しちゃうじゃない……」
 地下の鬼が二人に、あと何故か顔を真っ赤に染めている橋姫。

「たんじょうびー? あっ、あたいしってるよ! じぶんがうまれたときのひにちに、ぷれぜんととかいっぱいもらったりぱーてぃーやったりするんでしょ! あたいったらてんさいね!」
「そうだな、お前にしちゃあ上出来だ」
 魔法使いにあしらわれている氷精。


 ――その皆が、私を祝ってくれていた。

「いかがですか、総領娘様。いつも皆さんと仲良くしたさそうだったので私なりに世話を焼いてみたのですが――どうあれ、皆さんには敵いませんでした」
「…………っ」

 ふと、目頭が熱くなる。鼻の奥がつーんとする。

 ああ、そうか。
 この風景が、私がずっと望み続けてきたものだったんだ。



 ありがとう、衣玖。皆。
 

「……総領娘様? どうされました?」
「何だ天人、ハラでも痛いのかー?」
「ち……違っ……」

 ぽろぽろと、私の頬を伝う熱い涙。
 私はそれを見られないように、うずくまるようにして顔を隠した。

 さっきまでの孤独な涙とは違う、寂しい涙とは違う。
 嬉しい、暖かい涙が。止め処なく溢れてきた。


「……総領娘様……」

 そんな私の様子に気付いたのか、依玖がそっと私の震える肩に手を置いてきた。
 その暖かさが伝わって、口を閉じたままでも涙がさらに溢れ出てくる。

(……あなたはもう、独りぼっちじゃありませんよ)
「…………!」
(ね、総領娘様)



「……うん……!」

 そっと耳元で囁く依玖の声を胸に染み込ませながら。
 私は乱暴に、服の袖で涙を拭う。


 そして――この光景を二度と忘れないようにしっかりと見納めながら、立ち上がった。


 すううぅーー……っ

 思い切り、息を吸い込んで。







「――よぉーっし、アンタ達にもやっと私の偉大さが理解できたようねっ! いいわっ、今日はこれから一晩中飲み明かすわよっ!!」

「「「「「おおーーっ!!!」」」」」








 今日は今までの中で、最高の誕生日だ。




 ~END~