「まったく、くだらん阿呆共めがッ!」
 声をあげて、一際迫力を込めた声色で一喝する。
 すると目の前の連中はいかにも狼に睨まれた羊といった風に、みな揃って酔狂なほどの悲鳴を上げた。
「ひっ……ひいぃぃィィィ!!」
「もっ、申し訳ありませんでしたっ!!」
「許して下さい! どうか、いっ、命だけは……!」
 口を揃えたように命乞いの言葉らしきものを発したかと思うと、私の拳を喰らった内の男の一人が手に持っていた財布を投げ出し、一目散に走り出した。
 すると取り巻きの連中も、それにつられるように背中を向けて汗しぶきを飛び散らせながら遁走する。

「逃げろおおぉぉぉぉぉ!!!」
「ばっ、バケモンだああぁぁぁ!!!」


「……ふんっ」
 あっという間に路地から脱出した奴らは、もう日の沈みかけた赤い空の下を駆けていった。
 勿論追いかければ容易に捕まえられるが、財布は置いていったようだし、その必要もないだろう。
「……まったく、いつまでたってもこういった事は無くならんものだな」
 ああいった連中は逃げ足だけは速いとは、よく言ったものだ。
 弱き者に対しては凄みを利かせるだけ効かせておいて、自らの身が危ういと知れば矜持もなく尻尾を巻いて逃げるとは。日本男児の魂が、聞いて呆れる。
「…………っ」
 すると、隣から蚊の鳴くようなか細い声が私の耳に入ってきた。
「む……大丈夫だったか? 近頃はああいった野蛮な奴らが多いからな。お前も気をつけるのだぞ」
 道に落ちた財布を拾って軽く砂を落とすと、私は道路の隅っこで縮こまっている一人の女の子に手を差し出した。

 帰宅途中に偶然居合わせたさっきの場面。
 先ほどこの女の子が何人かの野蛮な連中どもに金をたかられていた所を発見し、私はこの正義の鉄拳で連中を粛清してやったところだ。ああいった連中を世間では〝ナンパ〟と呼ぶらしいが、か弱い女子にまで手を出すとは、何とも救い難いほどの下種共であった。
「…………あ」
「どうした? やはりどこか痛めているのか……?」
 彼女はひどく怯えた様子で私を見上げると、すぐに目を逸らした。――あやつらめ、ひょっとするとこの女の子に暴行まで加えておったのではあるまいな。
 目の前の彼女は見たところ私の通う山吹高の制服で、同じ一年生のようだ。三つ編みと丸型眼鏡といった、いかにも大人しい感じの女の子である。繊細な印象を受ける顔つきはおそらく恐怖で震えており、額や首筋には数滴の汗が滴っていた。
 ――可哀想に。余程あ奴らが恐ろしかったのであろう。
「……あ、あの……」
 すると、今にも途切れそうなか弱い声が発せられた。
「う、槍埜(うつぎの)さん……ですよね……。三組の……」
「む、その通りだが。私の事を知っているのか?」
 起こしてやろうとして、彼女の手を掴む。
「…………っ!」
 ――すると。

 バッ!

「――え?」
「……っ! ……あっ、ご……ごめんなさ……」
 彼女は一瞬掴んだ私の手を反射的といった風に振り払うと、さっきよりも怯えたような表情で後ずさり、私から距離をとった。
 ――そんな。起こそうとしてやっただけではないか。何故そうも怯えるのだ?
「あ、あの……ありがとうございました……。だ、だから……もう……」
 すると彼女は、その細い喉元から振り絞るような声で――私の心臓に突き刺さる氷柱ような言葉を発した。
「もう私に関わったり、しないで下さい……!」
「な、何?」
「あ、あの、これで……」
 すると彼女は手にした財布から札をあるだけ抜き取り、強引に私の手に握らせた。
 私が呆気にとられているうちに、彼女は怯えたような膝を震わせながらも立ち上がると、
「そ、それじゃあ……」
 とだけ言い、ついさっき不良共に向けて作った拳――私の右手を一瞬だけ見て、それっきり逃げるように私から去っていった。




 ……。


「……はぁ」
 大きくため息をつき、空を見上げる。
 ――怯えさせて、しまったのだろうか。
 それは彼女が、さっき私がこの拳で奴らを成敗してやった所を見ていたからだろうか。
「そんなつもりで助けたのでは……なかったのだがな」
 別にお礼を言って欲しくて助けた訳では勿論ない。ましてやただの勝手な自己満足や、礼の為に手を振るった訳でもない。
 むしろこういった事は過去にも何度かあったから、それなりに慣れているつもりではあった。
「……あんな風に露骨に恐れられたのも、始めてかもしれん」
 私の手に握られた、風に揺られる札の束。それは今の私自身の心情を表しているようでもあって、余計に虚しさを募らせる。

 ――私は、個人的にああいった連中が許せないと思うから手を下しただけだ。
 だのに被害者であるはずの人間からも恐れられ、要求したはずの無い礼まで握らされてしまった。
 こういった事も、まぁ慣れっこではある。『弱き者の味方となれ』という父上の教えを忠実に守って生きてきた結果の副産物だと思えば、いくらかは理不尽だとも思わない。
 しかし、それ故に――



 ――私はたまに、寂しくなる。







           13話「Lonely Girl's an Elegy(前編)」




「……はぁ……」
 次の日の朝。
 いつも通り誰もいない一番乗りの教室で席に座りながら、私は頬杖をついたまま溜息を漏らした。
 昨日の事は地味に私の中で堪えていたらしく、似合わないとは思うがずっと気持ちが沈んだままだ。
 そのせいか、昨日の稽古にも妙に気が入っていなかったように感じる。
(……やはり、ただの私の自己満足だったのだろうか)
 その自己満足で、助けた気になっていた人をも怯えさせてしまったのでは本末転倒だろう。昨日の彼女の怯えた表情が良い例だ。
 ならば、私が今まで良かれと思ってやってきた事は、その実誰かを無意味に怯えさせていたりしていたのだろうか。
 ――マイナスな思考が、頼んでもいないのに頭の中を埋め尽くす。
 そういえば、昨日勢いで受け取ってしまったお金は、やはり彼女に返さなくては駄目だろう。幸いここの高校の制服を着ていたから、調べれば恐らく分かるとは思うのだが……。
 ――不安だ。もしそうなっても、昨日の彼女は私を見て逃げ出したりしないだろうか――。
「…………」

 すると。
「あ、槍埜さん。おはよう」
 聞き覚えのある声が、教室の扉から聞こえてきた。
「今日も一番乗りかぁ。いつも早いね」
 ――前の席の私の友達、伊藤祐樹だ。
「伊藤……」
「……あれ、どうしたの槍埜さん。何か今日元気ないような感じがするけど」
 ――む、妙に鋭い奴だな、伊藤の分際で。
 少し落ち込んでいるなどと、こいつに知られるのは真っ平御免だ。私は陰鬱な気分を吹き飛ばし、明るく振舞うことにした。
「伊藤よ、誰に口を聞いているのだ。この私が落ち込んでいるわけなどないであろう。昨日は少し稽古が激しかったので、疲れているだけだ」
「へぇ……ならいいけど」
 そこで、少し伊藤をからかってみる。
「む? 今日は私の稽古の内容は聞かないのだな」
「だって、何か怖いからね……。この前の熊が云々とか」
「ああ、そういえば昨日の夕飯は熊鍋だったか……」
「いいって言ってるのに、何で話すの!?」
 まだ二人しかいない教室で、こんな取りとめも無い事を伊藤と話す。
 ――む、不思議なものだな。これだけでも、少しはさっきの沈んだ気分が晴れたような気がする。

「……少し、考えすぎだったのかも知れん、か……?」
「え? 何か言った? 槍埜さん」
「む、熊の肉は割とこってりした味わいで中々に美味だと……」
「熊の話はもういいって!」



        ■■■



 その日の放課後。
 学校が終わると、いつものように伊藤と山崎に一緒に帰るよう呼びかける。
 山崎も最初は抵抗していたが、私が何回も無理やり連れて行くうちにそれほど嫌味も言わなくなってきた。伊藤は「もう観念してるんだよ……」などと言っていたが、私には何のことだかさっぱり分からん。
「伊藤! 今日も一緒に帰るぞ!」
「は、はいはい……」
「……っ、声でけェよ」
 二人ともそう言って鞄を肩にかける。伊藤は男の癖に体が小さいせいか、心なしか鞄が大きく見えてしまうな。
 するとどこから来たのか、久遠寺が山崎の隣からひょっこりと顔を覗かせた。
「皆さんは一緒に帰宅ですか。仲のいい事ですねぇ」
「お、照。そういやぁお前一人だけ家の方向違ったもんな」
「はい、それでいて無駄に学校からも遠いんですよねぇ」
「へぇ~、久遠寺君の家にも今度行ってみたいなぁ。この間は僕の家だったし」
「何も無いところですよ、ただうるさいだけです……」
 む……こやつら私を差し置いて。
「そうだな。今度は久遠寺の家にいつか遊びに行く事にしよう。無論この四人でな」
「……何か槍埜さん乗り気だね」
「当然だ! 友達というのは、その証として相手の家に遊びに行くものなのだぞ!」
「どこ情報だよそれ。必ずしもそうとは限らねぇだろうが」
「うるさいぞ山崎。そのうちお前の家にもお邪魔するからな」
「おいやめろ! てめぇ俺ん家をぶっ壊す気か!!」
「な、何だと!? 貴様何を失礼な事を……!」
「まぁまぁお二人さん、仲が良いのは分かりますが、教室内で喧嘩など……」
「仲なんて良くねえよ! つーか俺は既に一回コイツの犠牲になったわ!!」

 山崎がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるも、久遠寺に宥められて落ち着かされたようだ。
 そんな様子を、伊藤は困ったように笑っている。
 私は――
「……くくっ」
 そこで、ふと笑った。

 ――まったく。
 こんな雰囲気も悪くないな、と思ってしまう。







「……ねぇ、それって本当?」

 ――む?

「うん、本当らしいよ。昨日五組の高峰さんが他の高校の男子何人かからカツアゲにあったみたいなんだけど、高峰さんの友達が色々聞きまわってたもん」
 ふと、教室の隅に固まる女子達の会話が聞こえてきた。
 内容からするに、昨日私が通りがかったあの子の事だろうか?
(そうか、彼女は五組の高峰さんといったのか……。覚えておかなければ、後でお金を返しに行くのだからな)
「……えぇ~。でもその話じゃあさぁ……」
 すると、急に彼女達の視線がこちらへと注がれた気がした。

「その他校の男子を追っ払ったのって、ウチのクラスの槍埜さんって事でしょ?」

 一斉に視線が私に刺さる。
 ……む、そんな事まで広がっていたのか。慈善の為にやった事ではないとはいえ、何だかこそばゆい様な気分だな。
 まさかそんなに噂になってるとは――。


「てか正直さぁ、ありえなくない? あっちは男子が複数なんだよ?」
「だからぁ、あの人マジでヤバいんだって。前にも山崎君を一発で張り倒してたでしょ」
「ってかさぁ……そんな人がクラス委員やってるって、やっぱ怖いよねぇ。怒らせたりとかしたら終わりってカンジで……」


 ――。

 え、

 そんな。

「だからさぁ、アタシ最初から嫌な予感してたんだって。あの人女子とかとは全然喋んないし。最近は他の男子とも話してるみたいだけどさぁ、その前なんかあの暗い伊藤くんとしか話してなかったじゃん」
「それってもしかしたらさぁ、最初から友達の当てが無かったから、気が弱そうな伊藤くんから狙ってたとかありそうじゃない? あの実さぁ、裏でコキ使ってるとかありそうじゃない?」
「言えてる! まぁカツアゲされそうになってた高峰さんを助けたりとかっていうのは素直に偉いと思うけどさぁ、それだって結局自己満足でやってるんでしょ」
「どこのクラスにも一人はいるよねぇ、正義感強すぎて煙たがられる人って」


 ――あ。

 ち、違う。

 私は決して、そんなつもりじゃあ――。



(ズキン)


「――え?」

 一瞬、酷く冷たい音がした。
 彼女達の言葉が、頭の中で渦巻く。

 ――勿論、高峰さんには誤解をされてしまったかもしれない。
 しかし、あんな言い方は――







《最初から友達の当てが無かったから、気が弱そうな伊藤くんから狙ってたとかありそうじゃない?》




 ――っ!!


 い、いや――

 わ、

 私は


 そんな、違――








「あれ? どうしたの槍埜さん。ボーっとしちゃって」
「!!」
「何か、顔色悪くない?」

 伊藤が声をかけてくる。
 まずい、何か――何か返事を――




「きょ、今日は――」
「え?」

「悪いが、今日はお前達二人だけで帰ってはくれぬか? ちょっと用事を思い出してしまってな」

 ――そうだ、私は高峰さんにお金を返しに行かなくては。


「そう? 残念だなぁ。じゃあ山崎君、一緒に……」
「っ、何でわざわざお前と……ってか、別に一緒に帰らなくったっていいだろうが!」



 っ、はぁっ、

(動悸が……)

 何故だ。
 別に、あれくらいの誤解などむしろ当然だ。
 陰口を叩かれるくらい、今までに何度も受けてきたではないか。
 あの程度の悪口など、言われても何とも気にも留めていなかったではないか。
 なのに、どうしてこんなに。




 ……胸が、苦しい――? 



《気が弱そうな伊藤くんから――》



「――ッ!」


 気がつくと。

「……あっ、槍埜さん?」




 私は、何処へ行くともなく教室を飛び出していた。












――――――――――――――――――――――――――――
やっとの事で13話。
正直、槍埜さんの一人称難しいっす。
あと、遅くなって申し訳ないです。こんな連載ペースじゃあ、楽しみにしている人がいるとも到底思えませんけども。

今回はかねてから書きたかった、槍埜さんの精神面での話。
ちょっとだけ長くなりそうだったので、前後編に分ける事に。
相も変わらずキャラの心情変化が苦手です。

槍埜さんは、普段強がってる分、裏には脆いものがあるんです。
作中でも書いておりますが、別に陰口を叩かれたぐらいでショックを受けるような人じゃあありません。
ただ、一つの言葉が自分の中で引っかかってしまったんです。

それを含めて、後編で書きたいと思います。
五話での伏線も回収するために。


13話……5032文字