教室で最後列の席というのは、本来授業中の居眠りが常習犯となっている生徒が憧れる絶好のポジションだ。教壇に立つ先生から見つかりづらいというメリットがあるため、少々の事では注意される事も無い。
 加えてその最後列の端――窓際の席とあっては、春の陽気な気候と温かさががじんわりと常に降り注いできて、自然と心地よい眠気が誘発されるという、まさに四十ある席の中でも一、二を争うベストポジションなのだ。
 入学から最初の一ヶ月くらいの期間は担任教師が生徒の名前を覚えやすい事も相まって、席順は基本的に出席番号順となることが多い。
 その点、クラスの出席番号が一番最後である彼はポジション的に恵まれていたと言える――のだが。
「はぁ……」
 そんな恵まれた机に座っている筈の山崎啓介は何故か、まるで床に沈んでいくかのような重い溜息を朝から絶え間なく絞り出していた。
「何で俺が……あんな奴らと……」
 目に入るのは教室の対角線上。出席番号一番と二番の席に座る、身長に明らかなギャップのある二人の生徒。片や中学の時に山崎が苛めていた根暗な少年「伊藤祐樹」、片や学年中から注目を浴びているクラス委員にして先日山崎を張り手で吹き飛ばした張本人「槍埜凛」である。
 二人の席は互いに前と後ろ。

「それでな伊藤、私は言ったのだ。『暴力を振りかざして弱い者に金をせびるとは何事か! そんなに金が欲しいのなら働けばよかろう!』と。ついでに一睨みもしてやれば、連中は脱兎の如く逃げ出していったぞ!」
「そ、そうなんだ。帰り道にカツアゲの現場に出くわしたまでは分かるけど、そこで立ち向かっちゃうなんてすごいね……」
「何を言う。誇り高き槍埜の者であれば、道を踏み外した連中に更生の道標を示す事ぐらい当然なのだぞ」
「へ、へぇ」
「ふむ……ところで伊藤よ、そういうお前は今までにカツアゲの被害などに遭ったことは無いのか?」
「え? うー……ん、多分無いと思うけど、何で?」
「いや、何分見た目としても気の弱そうなお前の事だ。もしそういったことで困っているのであれば、いっそ私が一対一で稽古をつけ、その細い腕に筋肉の一つもつけてやろうと思ったのだが」
「い、いいよ別に! 槍埜さんの〝稽古〟って何か怖そうだし」
「うむ。まぁ最低でも『重さ100kgの岩を背負って断崖絶壁を登る』くらいの事はやってもらうつもりだがな」
「そんな事が出来る人間なんているわけないよ!」
「? 100kgくらい、普通に出来るだろう。私は300kgを十往復が日課だぞ?」
「……え?」

 不思議そうな表情で首をかしげる凛と、青ざめた顔で目を逸らす祐樹。
 周囲から孤立したような二席は、その中でだけミスマッチな雰囲気を放っていた。
「……何を話してんだ……?」
 そしてその二人と強制的に「友達」という事にされ、挙句昨日は一緒に帰らされた山崎啓介。さっきから二人が何かを話している事は見えるが、最も距離が遠い席同士であることと、休み時間の教室中の喧騒が相まって話している内容までは聞こえない。
(つーか伊藤の奴、ある意味すげぇな……。なんであの槍埜と会話ができてんだ?)
 数日前に起きた「山崎、クラス委員長に吹っ飛ばされる事件」も生徒達の噂の間では次第に影を潜めてきたものの、本人は未だに消える事の無い恐怖感を心に抱えたままだった。というより山崎にとっては、あの物静かな伊藤祐樹が誰かと話してる所自体、何だか見慣れない光景だ。
(まぁ何でもいいが……伊藤もそうだが、あの槍埜って奴にだけは近寄らないほうがいいな。俺があいつらと友達だなんて勝手に決められた事だし、絶対ぇ認めねぇからな)
 そう強く、心の中で誓う山崎。
 もし先ほどの二人の会話が山崎の耳に入っていたら、その決意はより強固なものとなっていたことだろう。

 キーン……コーン……

「おっ」
 すると、黒板の上に位置するスピーカーから終業のチャイムが鳴り出した。壁に掛かった時計はまだ十二時過ぎを指しているが、今週は三社面談期間の為に学校は午前中で終わるのだ。
 教室中の生徒達はチャイムを受けて一斉に鞄に教科書を詰め込むと、周りの生徒達とそれぞれ雑談を交わしながら帰りの支度を始めた。
「よっ……と」
 教室の端の席に座る山崎も、他と同じように鞄を取って立ち上がる。
「そういや今日は家誰もいねぇんだったな……昼メシはどっか外で食ってくか」


     ■■■


 学校から歩いて三分とかからない位置に立つハンバーガーショップ。その日は時間帯が昼時だった事も相まって、常連となっている山崎が店に入る頃にはすでに昼休みのサラリーマンなどで店内はごった返していた。
 春先の涼しい時期だというのにも関わらず、レジに注文をしようと並ぶ人々は二列に分かれて何人もの人波を作っている。店の中もそうとう混んでいるようで、店に足を踏み入れた山崎は一瞬躊躇した。
(あ……そういえば有効期限が今日までのチーズバーガーセットの割引券あったっけ)
 しかし、ポケットの中で丸まったクーポン券の存在をふと思い出すと、一瞬渋った顔をしながらも注文待ちの列に身を投げる。
「……まぁ、いいか。別に急いでるわけでもねぇしな」
 レジはカウンターに二つあり、店員がそれぞれ忙しそうに次から次へと客の注文をさばいていた。

「いらっしゃいませぇ~! ご注文はお決まりでしょうか?」
 五分ほど待った後、ようやくレジに山崎の順番が来た。
 お姉さんの爽やかな営業スマイルを堪能しながら、制服のポケットに入った財布とクーポン券に手を伸ばす。既に注文は決まっている為、カウンターの上に乗せられたメニュー表には目をくれない。
 店員に聞き返されないよう、できるだけはっきりと注文を言う。
「チーズバーガーセット一つ」
 すると。
「あの、チーズバーガーセット一つ下さい」
 すぐ隣の列で、何だか聞き覚えがある声が山崎とダブった。
(! え……? この声……)
 微妙に予感を感じつつ、目線だけ隣の列へと流す。
 するとそこには。
「……あ……山崎君?」
 心なしか少し気まずそうに、財布を片手に構えたクラスメートが立っていた。

     *

「い、伊藤!?」
 思わず店内で素っ頓狂な声をあげてしまう。
「あ、やっぱり山崎君……」
 隣の列の伊藤は、何故だか気恥ずかしそうに視線を下げた。
 何だよ、なんでこんな所にいるんだコイツ? ……いやまぁ、バーガーショップに誰がいたからって別に不思議はねぇけどさ。それにしたってタイミングってもんがあるだろーが!
 すると伊藤はどこかぎこちない笑顔で、俺に話しかけてきた。
「や……山崎君もチーズバーガーセット? 僕もなんだ」
「あぁ……そうかよ」
 思わずそっけない感じで返事をする。いや、俺はいつもはフィレオフィッシュか照り焼きなんだが、何でこいつ「お揃いだなぁ」みたいな感じで言ってんだよ、腹立つなぁ。別に今日チーズバーガーセットにしたのは単にクーポン券があったから……。
「……あ」
 そこで、財布の中に挟まっていたクーポン券の事に気づく。
 危ねぇ危ねぇ、支払いの前に渡さないと駄目だったんだ。慌てて目の前のレジ係にしわのついた券を渡す。
「ク、クーポン券いいすか」
 すると。
「あ、そうだすみません、クーポン券あるんでしたっ」
 隣の伊藤も、俺と全く同じタイミングで同じ割引券をレジに出しやがった。
「…………」
「山崎君もその券持ってたんだ」
「……そうだよ」
 うわっ、なんだこれ! 何でこんな奴と同じ店で同じ注文して同じクーポン券出さなきゃいけねぇんだよ! 理由はねーけどこいつと同じって事が無性にムカつく! 何で今日こいつとこんなにシンクロすんだよ!!
「……お客様、チーズバーガーセットのお飲み物は何になさいますか?」
 すると目の前の店員が、俺の顔を覗き込むようにそう聞いてきた。そうか、最初に言っとくの忘れてた。
「じゃあ……コーラで」
 同時に隣で聞こえてきた声。
「あ、飲み物はコーラでお願いします」
「いい加減にしろ!」
「お、お客様!?」
 はっ、つい大声出しちまった――ってか、何でお前もコーラなんだよ! その俺と同じやつ注文すんのやめろ! お前はオレンジジュースでも飲んでりゃいいんだよ!!
「……すいません! 追加でチキンナゲット下さい!」
 こいつと何から何まで同じってのはとにかく嫌だ。そう考えた俺は殆ど反射的にメニューから目に入ってきた品名を頼んだ。
 ……畜生、何なんだ今日は。

「……やっぱ混んでんなぁ」
 昼時だからか、見慣れた店の中はいつもよりも人で溢れていた。テーブルもカウンターも見る限りは殆どが埋まっているようで、番号札を貰っても座る場所も無い状態だ。
「まいったな……どっか空くまで待つしかねぇか」
「そうだね、テーブルでもカウンターでもどっちでもいいけど。山崎くんはどっちがいい?」
「いや、別に座れればどこでも……って、ん?」
 あれ? 何かいつのまにか隣に人が?
 焦って振り向くと、俺のすぐ隣には当たり前のように番号札を持った伊藤が立っていた。
「……うわっ! おい伊藤、何で居んだよ!」
「え、あ、いや、せっかくだから山崎君と一緒に食べたいなって……」
「ふざけんな! 何で俺がお前なんかと!」
「あ……ご、ごめんね。迷惑だった?」
「……!」
 俺が少し大きめの声で拒絶すると、伊藤は心なしかすこしだけ悲しそうな表情を顔に浮かべた。
 ……なんだよ、別に俺となんか一緒に食べなくたっていいだろ。
「め、迷惑だよ! だから早くどっかに――」
 すると。

 ガタッ

 すぐ目の前のカウンターで、サラリーマンらしき男二人が席を立った。
 つまり、席が空いた。
 しかし、出て行ったのは二人。
「…………」
「…………」
 当然席が二つ分空いた事になる。
「……っ」
 何でこうなる! これはあれか!? 俺にこいつと隣の席に座れって天からの意思表示か? 大体二人とか一番中途半端すぎるだろ! ここは普通に一人とか、せめて三人抜けてくれればこいつと一席分間を空けて座れたというのに!!
「……あ、席空いたね」
「……~っ!」
 何なんだ。何なんだよ今日は本当に。厄日か。
「……お前も座れば」
 謎の力としか思えない偶然の数々にいい加減嘆息をつきながら、俺は半ば諦めたようにそう口にする。
「う、うん!」
 伊藤は何故か嬉しそうに、空いた席へと先に座った。



 何だ?
 何がそんなに嬉しいんだ? こいつは。


 ――っつーか……。


(あれ……?)

 何でこいつの事、こんなに嫌ってんだっけ? 俺。




 続く


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 久しぶりすぎる更新。
 久しぶりすぎて各種設定忘れてるって方。すんません。
 うーん、何か今回祐樹が女々しい。

 今回は途中から山崎視点で書かせて頂きました。一人称はキャラの性格によって書き方が変化していくので、こういうキャラのは初めて。……そして何か苦手。
 っつーか、不自然になるなら最初から一人称で書けよってツッコミ。その通りでございます。

 作中では祐樹も山崎もコーラを頼んでますが、私は大体ウーロン茶です。炭酸系って飲めないわけじゃないけどそんなに好きでもないんだよなぁ……。
 高校生って事あるごとにコーラ飲んでるようなイメージあるから、今回はコーラで統一。……まぁ私も高校生ではありますけど。
 ってか、オレンジジュースはねーよ山崎。でも祐樹の性格考えたらないわけじゃないのか?(偏見)

 こんな中途半端な所で次回にまたぐなよってツッコミ。その通りでございます。


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