「はぁ……」
 僕は思わず、机に頬杖をついたまま嘆息する。
 すぐ後ろの席には昨日の騒動をものともしないご機嫌よさげな槍埜さんが座り、心なしか教室中の視線は全て僕達二人に集約されているようにも思えた。
 彼女の強引な宣言によって、勝手に「友達」にされてしまった僕、伊藤祐樹。今はそれを喜ぶとか悲しむとかそれ以前の問題として、周囲からの目がただ痛い。
 ただでさえ周りから異端として扱われていた槍埜さんに、もともと暗い性格で友人のいなかった僕。そんな二人が友達になったなんて噂が流れれば、自然とそこに向けられる目だって違ってくるだろう。
「…………」
 ふと、顔ごと振り向いて後ろの槍埜さんを眺める。
 すると彼女は遠足に行く前夜の小学生のような笑顔を爛々と浮かべており、元から綺麗なその顔に更に美しさを灯らせていた。
「む、どうした伊藤。さっそく友達の私になにか相談か?」
 そんな事をどこか嬉々とした様子で言ってくる槍埜さん。
「い、いや、違うよ」
「何だ、心配事ではないのか。……そうか、ならよい」
 すると、一瞬槍埜さんの表情が少しだけ沈んだような気がした。
「(? ……何か残念そうだなぁ)」
 いや、まぁいま心配事があるとすれば、それはひとえに槍埜さんが原因の事なんだけどね。
 それにしても、どうして朝からこんなに無駄にテンション高いんだろう、この人は。


「……それにしてもさぁ、どういうつもりなんだろうね、あの二人」
「――!」
 ふと、そんな囁き声が教室の隅から耳に入ってきた。
 見ると、女子や男子の複数のグループが一様にこちらを見ながらひそひそと囁きあっている。
「なんか、槍埜がいきなり伊藤のことを友達だとか言い始めたみたいだぜ?」
「えぇ? それっておかしくない? なんであの槍埜さんが根暗な伊藤なんかと?」
「いや知んねーけどさ、もしかしたら何か裏があるんじゃねぇの? だって友達になるっつったって、どう考えてもおかしい組み合わせだし」
「……っていうかぁ、むしろ可哀想なのは伊藤じゃない? アイツきっとこれから槍埜さんにいいように使われるに決まってるよ。席だって隣な訳だし。そうでもなきゃ槍埜さんあんな事したりしないって」
 数人のかたまりの間に飛び交う話題が、否が応でも耳に流れ込んでくる。あっちも声はひそめているらしく途切れ途切れにしか聞こえないが、それでも大体言っている事は掴めた。
 ――ああ、これだから嫌だったんだ。
 なまじ槍埜さんみたいな個性の強い人がこんな形で友達になられるんだから、こうなるに決まっていた。変な噂が立つのは寧ろ必然だったのかもしれない。
 でも、どうしよう。だからと言って、今さっきなったばかりの友達という関係を破棄してもらうよう槍埜さんに頼むのか? ……いや、流石にそんな事はできないか。
「…………」
 すると、目の前の槍埜さんがいつの間にか、視線を深く落として唇を固く結んでいた事に気づいた。いつもの凛とした表情とはまったく違う、まるで鈍痛を我慢するような顔つきだ。
「? ……槍埜さん?」
 その表情を見て、ふと思う。
 もしかしたらさっきのクラスの囁き声が彼女にも聞こえてしまっていたのだろうか、と。
 だとしたら――きっと辛いのは槍埜さんのほうかもしれない。彼女は自分から僕と友達になると言ってきたのに、それを何か裏があるのかと勘ぐられては心外もいい所だろう。こんな風に落ち込んでしまうのも無理はない。
 実際こうして槍埜さんを見ていても、裏にある計算なんてものは仄かにも感じられない。まだこの人の事は何も分からないけど、不思議とそういったものは彼女には無さそうに思える。何の根拠もない話だけど、何故かそういう人じゃないという事だけは何となく分かる。
 ……自分で迷惑がっておいて、どうしたんだろう、僕は。

「…………ええい」
 すると、槍埜さんは苛ついたように一言だけ言葉を漏らした。

 バンッ!!

「……!!」
 唐突に、机を思い切り叩いた衝撃音が教室中に反響した。
 槍埜さんが、両手の平を机に叩きつけながらいきなり立ち上がったのだ。
「……!」
 クラスにいる人全員が、一斉に息を呑んだように静まり返る。特にその中でもさっき僕達の事を色々と話していた人たちは顔を一瞬で青くし、凍りついたように直立していた。
 皆視線は、無言のまま急に立ち上がった槍埜さんの姿に当てられていた。
「一体何だお前達は! さっきからごそごそと女々しいぞ! 言いたい事があるならはっきりと言えっ!」
 槍埜さんは背を伸ばしながら、剣幕激しくよく通る大きな声で教室中に呼びかけた。
「…………」
 しかし、誰もその声には反応する事も無く、更に一層身を縮こめるばかり。まぁ、当然だろう。
 唖然とする僕を尻目に、彼女は呆れたように大きく溜息を吐いた。細く鋭い目で辺りを一通り一瞥すると、腰に両手を当てて長い髪を揺らし、いつもの仁王立ちのポーズになると――。
 そのまま大きく息を吸い込み、教室中に響く声で、言った。

「お前達……そんなに伊藤と友達になりたいのなら、自分で言えばよかろう!」



(…………え)
 僕は反射的に、心の中にありったけの疑問符が浮かんだ。
 その、思いっきり的外れな彼女の言動に。言い切ってやったと言わんばかりの凛とした表情に。
 ――恐らく、クラス中の誰もが、心中を大量の疑問符で満たした筈だろう。
「(槍埜さん! それは……あなたの勘違いだよ!)」
 僕は言葉には出さずに、全力でツッコんだ。

「……む、そういえば、今日はクラス委員は委員会室に集合だったな。すっかり忘れておった」
 辺りの完全に冷え切った雰囲気をまるで感じられていないといった様子の槍埜さんは、そう言うといきなり自分の机を離れ、颯爽と教室の入り口に歩いていった。
「じゃあ伊藤よ。私はしばし席をはずすぞ」
 最後に僕に向かって片手を上げると、それっきり風のように教室から姿を消した。


「……なにあれ、怖かったぁ。いきなり机叩くなんて、脅し?」
「ってかアイツ勘違いしすぎだろ。誰があんな無口野郎と……」

 あぁ槍埜さん。あなたのせいで、教室からの視線が更に痛くなりました。
 机に突っ伏しながら、この理不尽に心の中で涙を流す僕だった。








                *



 ああ。

 こんな形でしか自分を隠せない私は。

 ――何と弱いのだろう。




                *




 続く



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今回はちょっとクッション的な話だったかもしれません。
でも、ここも一応重要な伏線です。
聞こえてなかった訳じゃないんだよ。

5話文字数 2506文字