痛い。
 コバトは地面に倒れたまま、何とか繋ぎ止めた意識を保つことに心血を注いでいた。
 腹の辺りの違和感が、酷く身体の芯まで突き刺さるような痛みを与える。
 ぼやける視界を必死に探り、痛烈な痛みを歯を食いしばって耐えるが、それもいつまで続けられるか分からないほど身体がダメージを受けているのは分かっていた。
 下にできた自分の赤い血溜まりが、背中の服にべったりと張り付き、夏場の汗のような不快感を感じる。
 けど、そんな事は言ってられないほど事態が切迫しているのも、コバトはその震える頭で感じ取っていた。

 ワイが倒れとって、どうするんや――……!

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「――ん?」
 ガンドラは、急に遠くから強い気配を感じた。
 さっき倒した筈の奴とはまた違う、途切れそうな程か弱い鼓動。
 遠くの、深い暗闇の中から。
「何だ、生きてやがったのか」
 暗闇に声を放ると、荒い呼吸に遮られながらも小さく声が返ってきた。
「――……当たり前や。……お前だけは止めんと、ワイは死んでも死に切れん……!」
「ヘッ! バカな野郎だなァ。そのまま死んだフリでもしとけば、助かってたかも知れなかったのによォ」
「……バカはお前や。それじゃあ街のモンが皆死んでまうやろ……」
 体中から地に血を滴らせ、何とか口を動かす。
 しかし。

 無常にも、ガンドラの隣から地面が崩れる音が響き渡った。

「〝地岩砲
オーガ
〟……」
 崩れる地面から現れたのは、目を見張らんばかりの巨大な大砲。
「――……!!」
 口を開き愕然とするコバトをよそに、ガンドラは目を閉じてこう言い、次の瞬間全身に力を込めた。
「そういう考えを――〝バカ〟っつうんだよ……!!」

 ドォンッ!!

 ガンドラの隣の〝地岩砲
オーガ
〟が咆哮を上げると、途端に周囲の空気が震撼するように激しく震えた。
 そして、その巨大な砲身から。飛鳥に放ったそれの一回り大きいサイズの、岩でできた大砲の弾が轟音を立てて発射され、コバトの眼前に一瞬で迫るかの如き勢いで接近してきた。
「――……ッ!!」
 あかん、身体が動かん。
 直感的にそう感じてしまったコバトの身体は、今まで必死で動かしてきたその膝と共に限界を迎えるように、軋む音を立てながら遂に崩れ落ちてしまった。
「くっそ……動かんかいアホがっ!」
 脇腹から滴る血で真っ赤になった自分の膝に怒鳴りつけるが、最早膝は生気を無くしたように、一歩も動こうとはしてくれない。
「く……!!」
 コバトの頭に、焦燥が募る。
 眼前まで迫る、視界を埋め尽くすほどの巨大な大砲に、圧倒される。

 ワイは、死ぬんか――。












 いや、ワイは死なん。

 死んだらアカン。

 せやったやろ。

 アイツとの約束や。

 こんな所で破るわけにはいかへんねん。


 ワイは、絶対――……!!



「死ぬわけには、いかんのやああぁぁぁーーーっっ!!!」












 ーーーーーーーーーーーーーー

 それは今から八年前。
 あるところに〝森林街〟と名を冠する小さな街、「フォレスト」があった。

「おォい、今週は野菜が安いよ!」
「はっはっは、今日も大漁だ!」
「酒足りねェなあ、もっと持ってこい!!」
「いい加減にしなよアンタ! もうこれで何杯目だい!!」
「堅ェこと言うなよ! 今日は仲間と一緒に飲みに行くんだ!」

 周りを多くの樹に囲まれたこの街に、響き渡るような人々の笑い声。
 街は小さくはあるものの活気はあり、そこに住む人間は毎日を楽しく過ごしていた。
 そんなフォレストの、街外れの一角――。


「いってぇぇー!!」
 一人の少年の叫び声が、毎日のように聞こえてくる家があった。
「何すんだこのジジイ! 人の頭をサンドバックみてーにブン殴りやがって!!」
「やかましい! またお前は近所の子供と喧嘩してきおって!! 一体何度言ったらお前は大人しくなるんじゃ!!」
「仕方ねーだろうが、先に手ェ出してきたのはあいつらなんだぞ!」
 家の中には一人の小さな傷だらけの少年と、頭から湯気を出すように怒る一人の老人。
 その二人はお互い取っ組み合うようにして、畳四畳ほどの狭い家の中で暴れ回っていた。
「そんな事は関係ないわい! お前にやられたご近所さんの子供の親が、今朝方ワシの所まで凄い形相で苦情を言いに来たんじゃぞ!? ワシは申し訳なくて平謝りじゃったわい!!」
「だっかっら! 俺はハルがいじめられてたのを守ってやったんだって! それでいじめてた奴らを仕返しにブン殴ってやっただけなんだよ!」
「だからといって殴らんでもエエじゃろうが、この悪ガキが!」
 二人はお互いの頬をつねったり殴り合ったりしながらひとしきり暴れていたが、やがて疲れてぜえぜえと肩で息をするようになると、自然に大人しくなり床に倒れ込んだ。

「はぁ……はぁ……」
「ぜぇ……ぜぇ……」
 丸太を組み合わせて作られた部屋の壁に、少年と老人の荒い息が響き渡る。
 二人は暫く微動だにしていなかったが、やがて老人よりかは体力の回復が早いのであろう少年の方が、額に汗を浮かべながらもよろよろと立ち上がった。
「くっそ、このジジイ……老いぼれのくせに……!」
 すると壁にもたれ込んだ老人の方も、顔を青くしながらも言葉を発した。
「む……老いぼれとて、お前のようなガキを粛正させるだけの力は残っとるわい……」
「粛正って何だよ!? 俺は何も悪い事はしてねーって言ってんだろうが!!」
 そう呆れるように怒鳴った少年の方は、「やってられない」とばかりにずんずんと部屋の扉の方へ歩いていった。
 木を削りだして作られた取っ手を荒々しく握ると、少年は老人の方を向かないまま言葉を発した。
「……ハルんとこ行ってくる」
「こら待たんか! まだ話は終わっとらんぞ!!」
「うっせえジジイ! てめェはせいぜい盆栽でもして、残り少ない余生を楽しんでやがれ!!」
 そう言い放つと、少年は扉を引きちぎらんばかりに強引に開け、バタンと閉めると急ぐように家を飛び出していった。
 額に溜まった汗を振り払うようにすぐさま少年は走り出したが、その場から離れきらないうちに家の中より、あの老人の怒気が混じった大声が聞こえてきた。
 その言葉は、少年の足を本能的に止めかねないものだった。

「お前は夕飯抜きじゃからな、コバトーッ!!」


 八年前。

 コバト、七歳。





          第21話 〝momory of Kobato-①「在りし日」〟




「ふぅ……」
 街の外れに位置する自宅からやっと離れ、走ってきた少年――コバトは、いつのまにか街の中心街に来ていた。
 周を見渡せば街の人々で溢れかえっていたが、通りすがる人達は揃ったように「またコバトか」と呟きながらそのまま通っていった。
 その中心にいるコバトは熱くなった身体を冷ますように、着ていたTシャツをパタパタと扇がせるが、それでは収まらないほど身体は既に火照りきっている。
 それもそうだ。頭の中の怒りにまかせるままに、ここまで走ってきたのだから。
「しかし……あのジジイにも困ったもんだな。あの老化しきったアタマはどうにも融通がきかないらしい」
 コバトは七歳という幼い年齢と、それを体現するような小さな身体つきとは裏腹に、まるで大人がするような渋いポーズで、腕を組んだままうんうんと唸っていた。
 しかし、コバトはふと当初の目的を思いつくと、すぐさま街の東――大きな時計台が見える森の奥まで、さっきまでは震えるように疲弊しきっていた足を無理矢理動かし、走っていった。


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「……着いた」
 走り始めて十分ほどで、目的地に着いた。
 そこは街の中心街とはまた離れ、周りをさらに深い樹に囲まれている孤立した土地。
 日光が真上からしか差し込まないため、他の場所に比べると若干薄暗い。
 そしてその中の眼前に佇むのは、視界いっぱいに広がる、巨大な白い〝壁〟。
「……相変わらず、でかい家だなぁ」
 だが、コバトはそう嘆息した。
 さらに視界を上げて見上げると、真っ白に塗られた巨大な時計塔が見える。
 その時計台の基盤となる屋上から下には、幾つもの上品な窓を持った部屋の壁。
 それは、全面が白塗りの大きな〝屋敷〟。
 端から端まで歩いていたら足が痛くなるほどの広さで、広大に広がる敷地の中に佇むその屋敷は、どこか外界との接触を拒むかのように周りを樹で覆いながら存在していた。
 そう、眼前に立ちはだかる白い壁は、壁ではなく〝塀〟であった。

 だが、その屋敷には一つの不自然な点があった。
 それは、〝人の気配が全く感じられない〟ということ。
 周りは薄暗いというのにどの窓からも明かりは漏れておらず、建物からは生気が感じられない程に、どこか薄気味悪ささえある。
 だがコバトはその屋敷に駆けながら歩み寄ると、すぐ近くにある部屋の、一階の窓の下まで行った。
 身長が足りないため窓の冊子には手が届かなかったが、コバトは近くの茂みの中から大きな梯子
はしご
を引っ張り出すと、それを登って窓まで進んでいった。
「よっ……と」
 窓を覗き込むと、そこには。


「よっ! ハル、相変わらず不幸そうな顔してんなぁ!」

 一人の少女が、座っていた。




 To Be Continued……