9月2日、やれやれ。
帰国しました。
8月はほぼパリの自宅に座ることができないくらい荷物の整理やらに追われ、山のようにある荷物を150キロまで減らしてどうやって持って帰るかに苦悩した。
結局大量のものをパリ在住者に売りさばいたり、まだまだ着れるような服も全部近所のモスクへ寄付したり、どうしても持って帰りたいものは来年までの期限付きで義母宅におかせてもらう事にした。直近でいるものだけ150キロに纏めて持って帰ってきた。それでも超過料金支払う羽目になったけど、又買う手間や金額を考えるとマシだった(?)

マレーシアを経由して、早朝から夜中のフライトの間、いつものマレーシアのおばちゃんと娘らに会いにいった。ちょうどハリラヤで人がいっぱい出入りする中、親戚の家で仮眠させてもらって、ごはんを食べさせてもらった。このおばちゃんに今回JHAが入荷した礼拝マットやムクナなどの物品を仕入れてもらった。相変わらず頼りになる。
子供達もキャッキャ良いながらマレーシアでの数時間を楽しんだ。長男が初めて使った単語で、「ヒカル、コントン」(Hikaru content) 「ヒカルは嬉しいよ!」という意味だ。自分の気持ちを表現できるようになった事に、私達も嬉しくなった。「ヒカルが嬉しいから、お母さんも嬉しいよ。」といったらニッコリしてくれた。
それでも日本の普通の2歳半に比べたら言葉は遅いかもしれない。フランス語と日本語でどちらかというと話すのはフランス語の方が多いが、やはり混乱する分遅くなってしまうのだろうか。よくミックスの子供は言葉が遅かったりする事もある、と聞いた事がある。日本の保育所にはいってからのことを考えるとちょっと不安だけど、フランス語も忘れてしまうのだろうか。

マレーシアを夜中にでて、子供も2人とも6時間良く寝てくれて、パリーマレーシア間よりは楽に関空に到着できた。アルハムドリッラー。
到着すると母が迎えにきてくれていた。150キロ分の荷物10個+2人乗りバギーを見て、「車に全部はいるんかいな?」と何度も言う。ホンマに。。。
なんとか人間も含めて押し込んだら全部入った。

パリから見つけた天王寺区のアパートに向う。
写真と近辺に保育所があるか、と天王寺駅10分圏内を条件に探したアパート。内装だけ母に確認してもらって、気に入ったと言ったので即決めたアパートである。家賃は少々高いが、家の前に公園もあって、駅近なので良しとする。天王寺だとこれ以上は望めないと不動産屋さんもゆっていた。布団や冷蔵庫などはすでに母がある程度揃えてくれていたので、すぐに生活できる準備はできていて、その日からここで寝る事にした。南向きで毎日明るすぎるくらい明るい。朝はラジオ体操をする年寄りが前の公園で集まる。通天閣やハルカスビルも見える。

携帯、ネット、家電確保し、区役所への届け出も全部住ませ、なんとか生活をスタートする事ができた。協会へ通うのは子連れでちょっと大変なこともあるけど、なんとか保育所さえ見つかってくれれば解消するが、やはりこの辺の保育所はどこも満員で、入れる所などない。主人の仕事が始まるまでにはなんとかしないと、仕事にいくどころでは無くなる。

はや3週間がたとうとしているが、今後の協会のあり方や運営方法を見直さなければならないなど課題は多々ある。協会と子供、主人、家のことのバランスを考える事も大きな課題である。

いずれにせよ、設立当初の初心に戻って協会のするべき事を全うしたい。
我々のボスは常にアッラーである。

アッラーのご加護とお力添えが常に我々にありますように。
全てが容易になり、日本のイスラムやムスリムの役に立てますように。
アッラーは偉大であり、かれの意思なしに何事も成立せず、かれが全てである。
預言者モハメッド様に平安あれ、アッラーに栄光あれ、全能であるアッラーに感謝します。アーミン。