大使館 Dream (48) | Across The Border (国境を超えて)

大使館 Dream (48)

MASAは子供時代から

外国への憧れが強かった。


MASAだけでなく、

まだ海外へ簡単に行けない時代には、
海外にあこがれていた子供達は多かった。


それを単なるあこがれで終わらせるか、
それとも夢を実現するか?


「夢は捨てるな!夢だけ見るな!」


この言葉はMASAがもっとずっと後になって
世界中でいろいろな人に出会ってから
出てきた言葉。


でも、もうすでに高校時代からMASAは
実践していたとも言える。


高校生のMASAは東京にある各国の大使館へ、

ハガキを送り続けた。


「将来行きたいので、観光案内を送ってください!」


そして、ほとんどの大使館がMASAの要望に答えてくれた。


MASA: 僕の勝手な価値観で、

     送られてくる国の地図の大きさが
     「その国の器量」に思えたものです。


地図や資料には大きな差があったという。

興味のある話しである。

いったい どんな国がMASAには魅力的に思えたのか。


驚いたことに、観光案内も寂しく同封されている地図も、

一番小さかったのはアメリカだったという。


MASA: そういうわけで、どうにも当時の僕は
      アメリカが好きになれませんでした。


      アメリカ帰りの同世代の方々も、イマイチ鼻について
      好きになれなかったというのもありました。


      今思えばそれは単に「コンプレックス」であったと思います。。。


MASAにとって一番 印象的だったのは、

オーストラリア大使館から
送られてきた観光案内だったそうだ。


MASAの宝物となったその地図は
送られてきた地図の中で一番大きかった。


半畳ほどもあると思える大きさで、
今でもたまに広げてみることがあると言う。


MASA: オーストラリアの南極よりの海岸には、

     隣の町までほぼ直線ので、

     700キロ近くある直線道路がありました。


     僕が苦労して東北の田舎から

     日本橋を往復した距離と
     オーストラリアの隣町同士の距離が

     だいたい同じだったのです。

 

     それは僕にとってとてつもなく大きな衝撃であり、

     日本という国の小ささを表す

     「物指し」

     でした。

 

     僕はなんと小さな国で生きているのか!?
     

     そして僕の苦労とは地球規模で考えるといかに
     たいした事ではないか。。。!?

     という事を まざまざと見せつけられた思いがしました。


しかし、MASAはオーストラリアではなく、パリに向かう。


MASA: 僕がパリに行った理由・・・
      それは 「人と同じことが嫌だった」 それだけです。(苦笑)


まわりにはアメリカやイギリスといった英語圏へ
行ったことがある人が多かった。


英語圏以外?それでパリ?


MASA:フランスは国境を接している国が多く、
     多くの価値観を体験出来るのではないだろうか??
     と考えた事も大きいです。

 


 

     そして何よりも 

     「Across The Border」

     そう 

     【国境を超えて】

     みたかったのです!!


いよいよ次回からは痛快なMASAの海外の話し。

期待してください。



Across The Border (国境を超えて)














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