12月3日、「NHKカップ」(フィギュアスケート)をTV観戦したあと、たまたま合わせたTBS系列チャンネルで放送されていたTV番組、『報道特集』を途中から観た。チラッと観た時に、この日の特集で「クラブきっず」の問題を取り上げていることに気がついたからである。


 さて、まずは「クラブきっず」とは何なのかということについて述べておかねばなるまい。この「クラブきっず」(以下「クラブ」)というのは、ある個人が運営していたWEBサイト(ホームページ)の名称である。内容について簡単に触れておくと、要するに、「子ども」や「子どもの死体」の実写画像を掲載しているサイトである。問題は、画像の入手方法と、掲載の主旨である。あれこれ言いわけじみた文言が並んでいたりするが、それが言いわけであるということを感じさせる部分が多々ある。俺が考えるに、結局のところ、「子ども」と「死体」に対して、ある種の「嗜好」ともいえそうな関心を寄せている者であるらしかった。


 そして、画像の多くは海外のサイトなどから無断転載しているようであったが、国内のものもあった。今回の番組で特に問題とされていたのは、その国内のものの中でも、事故や病気などで我が子などを失った人々が開設したサイトなどから、その子どもの生前の写真の画像などを無断で転載したことである。単なる無断転載でも問題があるわけだが、よりによって先に述べたようなサイトで、しかも「クラブ」の管理者がしている「言いわけ」にあるような「追悼」の意思とは程遠いように感ぜられる文章付きで掲載されていたということであるらしかった。また、別の意味で重要な無断掲載もあった。それは、自身の職場での立場を悪用し、児童生徒の水着姿などを撮影し、それを掲載していたことである。こちらにも「文章」が付けられていた。


 すでに察している人もいると思うが、この「クラブ」の管理者は、現役の小学校教諭だったのである。現在は都内の小学校に籍を置いているというが、11月末から謹慎しているらしい。問題の画像を撮影したのは、「ある島」に赴任していた頃であるらしく、その学校では行事の写真撮影を担当していたという話であった。そしてパソコンに関する授業の担当でもあり、さらには教職員に対して、パソコンや生徒指導上のルールやマナーなどなどを指導するといったことも担当していたというのである。


 話を続ける前に、ひとつ言っておきたいことがある。それは『報道特集』の報道姿勢や手法についてである。先に述べた「ある島」を取材した際に、水着姿を無断掲載された児童を探すためなのか、児童生徒に直接それらを見せて取材していた。その中の児童が画像を見て発した言葉からすると、知っている誰かであるらしかった。つまり、その子は本人ではなく本人の知人であるということになる。先に述べたような文章付きのものを見せていたのだとしたら、まさに二次被害を誘発するような安易な愚行だと思える。


 また、「ある島」や「管理者の自宅から職場までの追跡」の映像では風景にぼかしを入れるなどしていたが、見せてはいけないと思うのならば映像は無しにするべきである。ぼかしは言いわけに過ぎない。中途半端にぼかしたところで、わかる人にはわかるということを、報道関係者は取材を通して十分に知っているはずだからである。そして、どこの島なのかがわかれば、二次被害の危険性は増大するわけである。そのことと必要性を天秤にかけた場合、どう考えても不必要なものであり、そうしたことよりも演出上の効果を重視した愚劣な編集であると思えてならない。


 そうして探し当てたのであろう、水着姿を掲載されたと思われる本人にも画像を見せて確認を取っていたようだが、その本人と、本人以外も含めての児童生徒の保護者らに了承は得ていたのだろうか。この「ある島」の取材での一連の行為によって二次被害などが生じた場合、実質的な責任を取ることは出来ないものだと思うのだが、どのように責任を取るつもりでいるのか問いたい気もする。


 さて、「クラブ」の話に戻ることにする。俺が「クラブ」の存在を知ったのは去年の「5月5日」であった。某高校生が俺に言いつけてきたので閲覧したところ、先に述べたような内容であり、例え「追悼」だとしても死者や遺族などの意思を無視していると考えると共に、やはり「追悼」は言いわけであって、これは追悼を言いわけにして行われている死者への大々的な冒涜であると考えて憤慨した俺は、管理者がコンテンツの整理をほのめかすようなことを書いていたので、あとで「やっていない」などと言わせないためにもサイト全体を丸ごと保存しておいたのであるが、結局は具体的に何かをする前にインターネットへも接続出来ない環境となり、今にいたっていた。


 ちなみに、この時に話をしていた者(国外在住)に憤り(?)を伝えたところ、そのサイトを見せろというので見せた。その最中の会話で、その者は、掲載画像について「盗撮」か「どこかの先生」ではないかというようなことを言っていた。この時点ではそれを断定することは出来ないと考えた俺は、他の形での入手の可能性を語ったのだが、結果として、小学校教諭であることが今回判明したわけである。


 やや話が逸れたか。さて、この日の『報道特集』が放送される十数時間前だったと思うが、俺は偶然にも、この「クラブきっず」について考え事をしていた。ファイルの整理などをしている最中に、「クラブ」を丸ごと保存してあったフォルダを見つけたからである。そして、以前とは違って今はブログを運営しているので、そこで「クラブ」のことを取り上げようかどうしようかと考えていたのである。取り上げた場合、見るべきではないかも知れない人にも、閲覧させるきっかけを増やしてしまうかも知れないといったことを懸念し、取り上げるか否か、取り上げるとしたらどういう形にするかということを検討する必要性があると判断したからであった。また、保存していたデータの古さも気になり、現状を確認してから判断するべきかといったことも考えていた。


 しかし、「クラブ」の管理者が侮辱罪で警視庁に告訴され、児童ポルノ処罰法違反で告発されたということで複数のニュース番組などでも報じられているのと、「クラブ」の管理者が『報道特集』の直撃取材を受けた翌日には「クラブ」の全てを削除したらしいということから、この記事を掲載することにしたのである。


 この度、「クラブ」の管理者が告訴されたということは、とりあえず結構なことであると思う。しかし、侮辱罪はともかく、児童ポルノ処罰法違反はどうなのだろうか。こうした法律の適用は、あまり安易に判断されてはならない性質をはらんでいる。そうしたことを考えると、この「クラブ」のような事例を想定した個別の法なり何なりを考えたほうがよいのではないかと思えてくる。適用に慎重であらねばならない性質を多く含んでいる児童ポルノ処罰法よりも、範囲を絞って、死者の尊厳や遺族の感情に配慮することを求める別の法整備を国に訴えたほうがよいのではないかというのが、俺の提案である。


 ひとつ書き添えておく。例え俺がどれほど不快に思うものであろうとも、行動を伴わない嗜好をもつこと自体は、基本的には処罰されるべきではないだろうと考える。しかしながら、「嗜好」に限らず例え「善意」であろうとも、それが何らかの行動を伴うものである場合には、相手が例え死者であろうとも、あるいは死者であれば尚更、その尊厳などに配慮しなければならない。対象者が私人であれば尚更である。死者への配慮は、その死者の生前に関わった人々への配慮にも繋がりうる。


 俺は、例えばこの「クラブ」のようなものを調べるなどする際に、遺体の画像を目にすることがあるが、それがいかなる状態にある遺体であろうとも、気持ち悪いなどとは思わない。そういう感覚で見ることは死者に対して極めて無礼であると考えるからである。望んでそのような姿になったわけではないであろうと思える遺体がほとんどである上に、もはや自分ではどうしようもないのである。むしろ、そのような遺体の画像を、自らの嗜好のため、あるいは独善的な意思のもとに安易に公開している者や、それを閲覧して侮辱するようなことをする者や喜ぶような者にこそ、吐き気を催しかねないほどの憤りを感じる。


 先ほど、俺は憤慨したと書いた。去年のその時点で俺を最も憤慨させたのは、水着などもさることながら、それ以上に遺体の扱いの酷さであった。事故などの遺体の画像などもそうだが、時期的なこともあり、あのスマトラ沖での地震による大津波の被害児童の遺体などの画像と、管理者によってつけられた文章に激しい憤りを覚えたのである。俺は津波被害者の嘆きの声や困窮をいくつも伝え聞いていたため、尚更だったのである。しかも、管理者による記述が本当であったならば、なんとわざわざ現地で撮影してきたというのである。追悼を目的として、わざわざ現地まで行って遺体を撮影してくるなどということがあるだろうか。そうしたことなども含めて、管理者に対して、感覚的には確信に近いというような疑いと、激しい憤りを感じたのである。


 この事件を報じた番組のうちのいくつかでは、キャスターやコメンテーターが「クラブ」の管理者が現役の小学校教諭であったということなどから、辞職すべきだといったことを言って騒いでいたが、今さら何を騒いでいるのかと感じる。例えば俺のように、こうした問題に注目してきた者からしてみれば、ずっと以前から、そして今も、「子ども」に関わる職業に、そうした性質を持った者たちが「積極的な実行意思を伴って」就いていたり就こうとしているといったことが多々あるということを、確信といってもよさそうなほどに認識しており、そうした現状を憂慮し続けてきたからである。そして、感じ取ろうとすれば日々のニュースからも感じ取れそうなこうしたことを、考えることすらせずに放置してきた「大人」にも問題があると感じる。


 さて、「クラブ」の管理者は、六年ほど前の神奈川県警不祥事問題に関連して辞めた本部長の息子だそうだが、この県警本部長経験者の息子にして教職に就いた人物の評判は、校長や同僚などには「真面目」などといわれて良好であったらしい。しかし、生徒たちの間では必ずしもそうではなかったらしい。いつも思うことだが、生徒はこういうことをよく知っているものであるし、卒業後に他者に語るといったこともあり、寝ぼけた教職員などが考える以上に、教職員の姿というものは広範囲に伝えられているものなのである。こんなことを言わねばならぬというのも馬鹿馬鹿しいが、そういうことにも留意しながら教職員を見たほうがよいのではないかと言っておきたい。


 先ほどは考えることすらせずに放置してきた「大人」にも問題があるとし、次には教職員よりも生徒のほうがよく知っていると書いた。では「クラブ」についてはどうだったのか。現在の赴任先である都内の小学校では、当初は校長や教職員も「真面目」だと考えていたかも知れない。いや、それは後付けで、実は何も考えていなかったのかも知れない。しかし6月14日の時点で著作権法違反容疑で家宅捜索が入って翌日には校長が報告を受け、8月14日から17日にかけての愛知県警による事情聴取に際しては、校長は毎日報告を受けていたといい、そして9月5日には教育委員会が事情聴取を行い、同10日には警察から事情聴取、さらに書類送検までされていたにも関わらず、その後も11月30日まで教壇に立ち続けていたというのでは、どのように言いわけしても通じないだろう。


 3日に『報道特集』を観た数時間前、NHK教育で放送されていた『人間大学』の再放送で、11月23日に亡くなった灰谷健次郎氏の話を聞きながら、灰谷氏の死を惜しんでいた。昔も今も、教育関係者に「不心得者」はいるものであり、昔は良かったのだとは言わないが、灰谷氏のような人物が世を去る中で、「クラブ」の管理者のような人物がどんどん増殖していると思うと、様々な思いが入り混じった複雑な心境となる。


 そろそろこの記事を書き終える。当初考えていたより長くなったような気がするが、まあよかろう。ところで、保存してあるサイトのファイルは、サムネイルや背景画像など細かいものも合わせて1660ファイルに及ぶ。保存したフォルダの日付けは2005年の5月5日。役に立つのかどうかわからないが、もしも、告訴に際しての会見を行っていた片山徒有氏などが求めるのであれば、データを提供したいと考えている。ただ、保存されているパソコンだけではCD-Rなどに書き込むことが出来ないようなので、別の手段が必要である。また、サイトに記載されていた「言いわけ」などについて、それが「言いわけ」だと判断した点はどこなのかということも役に立つのであれば、それも添えようと考えている。



追記:
 12月5日、日本テレビ系列の番組『ザ・ワイド』を観た。やりやがった。他の局でもやっているのだろうか。当該教諭の実名報道の問題は置いておくとして、もっと問題なのは「ある島」も実名だってことだ。すでに『報道特集』の映像で察しがついていた者もいるようだが、それはそれ。問題は、どこの島の小学校に通う生徒の画像なのかということがわかる情報がTVで公表されたということだ。こういうことにどういう問題があるかがわからないのか。いや、そんなことはお構い無しのイエローじみた番組だというだけなのだろうな。どこの局も、サイトの画像をぼかしてうつしてるが、何の意味があるんだ。「心無い文章」だと言いながらその文章をを何度も何度も映し出して読み上げて何になるんだ。「心無い」のはあんたらも一緒だよ。なんだかんだと正当性を主張する「言いわけ」をしていたが、そんなのは、同じく「言いわけ」を並べたてていた当該教諭と同じ穴のムジナじゃねえか。こんなやり方を社会正義だと思って観てるやつらも目ぇ覚ませ。同じような性質のことをやっていながら、「正義」だの「報道の自由」の名のもとに通用してしまっている分、批難されて処罰される当該教諭らよりも性質(たち)が悪いってことに気がつけよな。