ジュニマネ回想記
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ヒロヨの夢


昨夜、ひさしぶりにヒロヨの夢を見た。

 

私が「ひ〜り〜!」と大きな声で

隣の部屋にいるヒロヨを呼ぶと、

ヒロヨは「は〜い〜?」と

いつもの声で答えてくれた。

 

ああ、やっぱりヒロヨは生きていたんだ、

だったら早くお給料のチェックを

プリントアウトしてあげなくちゃ、と思い

さっそく隣の部屋に行きその話をした途端、

「ダ〜メ!そんなことせんでもええわ!」と

私はヒロヨに叱られた。

 

夢の中のヒロヨは、変わらない名古屋弁。

 

「なんで〜?いいがね〜!」と

私も名古屋弁で抗議しながら

やっと会えたうれしさのあまり

ぎゅーーっとヒロヨを抱きしめた瞬間、

「あ!ダメだ!抱きしめたら

ヒロヨがいなくなる!」と気付き、

大声で「わーーーっ!ヒロヨー!」と

すごい顔で泣き叫んだ。

 

ヒロヨは「な〜に〜、その顔〜!?」と

のけぞって笑った。

私はその首に必死でつかまって

「わーーーーーー!行かないでー!」と

はりさけそうな心で号泣した。

 

と同時に、涙を流しながら目が覚めた。

 

ああ、やっぱり抱きしめたら

目が覚めてしまうんだ。

もっと何か語り合えば良かった。

…暗闇の中でそう思いながら、

私はベッドでひとりさめざめと泣いた。

 

ちょうどあとひと月で7年にもなるのに

いつまでも、いつまでも、ヒロヨが恋しい。


ヒロヨも私に会いたくなって

夢に出て来てくれたのだろうか。


そう思うことにしよう。

老猫

 

原田は19歳半。

よく、超高齢猫だね、と言われる。

 

一昨日、原田はコーヒーテーブルに飛び乗ろうとして

計算を間違えたのか失敗して床に落ちた。

 

原田なりにこりゃカッコ悪いと思ったのか、

何事もなかったかのようにヨタヨタ歩き回っていたところを

私が抱っこしてソファの上に置いてあげた。

 

そのあと、原田は平気な顔をしてソファから飛び降りて

どこかに行ってしまった。

ネコプライドが傷ついたのかのかもしれない。

 

私がコンピュータの前に座っていると、

階段の方から、ダンッダンッダンッダンッ…ニャー!

と、明らかに原田が転げ落ちる音が聞こえた。

 

びっくりして椅子から飛び上がって階段に行くと、

踊り場で原田がヨタヨタ立ち上がるところだった。

 

どこか折れているんじゃないかとチェックしたけれど、

下ろせ〜とばかりにモゾモゾ動き回るので

2階のバスルームにある原田のトイレまで連れて行った。

 

私はネットで色々調べて、

高齢猫はよく階段から落ちることや

後ろ足から弱ること、

急激に健康を害してしまうことなどを読んだ。

 

ヒロヨの愛猫だった原田の叔母グレちゃんは

昨年腎臓を悪くして血尿を出し、急激に弱ったと聞いた。

グレちゃんをかわいがってくれていたアンドレアは

獣医さんに言われるまま、苦しまなくてもいいようにと

19歳のグレちゃんを安楽死させた。

 

ジュニアは、愛犬2匹を安楽死させたことがあるので、

原田も苦しむようなことになったら

それを考えてあげたほうがいいと言う。

 

そうか…。

でも私にはまだそんなこと考えられない。

 

だって原田にはまだ食欲があり、

水もよく飲むし、トイレにも自分で行ける。

 

階段にはもう登れないようにバリケードをして、

猫トイレも下に運んだ。

 

お気に入りのコーヒーテーブルに飛び乗らなくてもいいように

コーヒーテーブルの下に大きめの猫ベッドを置いた。

 

が、原田は猫ベッドには目もくれず

相変わらずコーヒーテーブルに飛び乗って寝ている。

 

私は、原田が天命を全うできるように

できる限り生かしてあげたい。

 

大嫌いな獣医さんに連れて行ったら

それだけで死んでしまうかもしれない原田なので

できる限り原田の城であるところの我が家で

穏やかな余生を送らせてあげたいなあと願う。

 

ガンバレ、原田。

目指せ猫又。

 

 

三毒の記憶

 

あなたの脳は、

一体どうなってしまったのか。

 

話したことも、聞いたことも、

一瞬のうちに消えてしまう。

 

捻じ曲げて思い込んだことに対する

怒りの感情だけをしつこく覚えていて、

 

誰がなんと説明しようとも

一切聞く耳を持たない。

 

何に対して腹を立てているのかは

もうすっかり忘れてしまっているのに、

大事な人のことを 執拗に恨む。

 

どんなに精進して人間性を高めても、

脳の病気は人格をすっかり変えてしまうのか。

 

それとも元々の人間性が、

ここに来て露呈されてしまったのか。

 

理性が消えてしまった時、

人は煩悩だけに支配されるのか。

 

貪欲、怒り、愚癡、

その三毒が、

あなたの口から絶え間なく湧き溢れる。

 

そうかと思えばある日突然

怒ることさえも忘れて

犬と戯れて笑顔になったりもする。

 

ああ、良かったと周りが胸をなでおろせば、

あなたはその翌日また怒りの感情に飲み込まれる。

 

いつその呪縛から解き放たれるのか、

それは誰にもわからない。

 

だけどそれでもきっと

あなたの脳がこの病気に冒されたことには

何か深い意味があるはずだ。

 

私たちの理解を超えた次元へと

あなたの脳細胞が消えて行くことを

私たちは静かに受け入れて、

固く閉ざされたあなたの心に 

そっと寄り添っていたい。

 

誰とも目を合わせようとしないあなたの目を

私たちはいつもじっと見つめて、

やさしく微笑んでいよう。

 

人生は、 美しくて

人生は、すばらしい。

 

諸行無常で、儚くて、少し哀しくて、

でもしぶとくて、そう簡単には諦めない。

あなたの脳には、宇宙が息づいている。

 

そして魂の記憶は、きっと消えない。

宮京さん

 

前にも書いたことだけど、

私の母方の祖父は、宮大工だった。

 

私が覚えている祖父「美濃のおじいちゃん」は、

落語家の林家ナントカみたいな風貌で

私は彼が何をしている人なのか

よく知らないまま育った。

 

ただ、皆が「ザイショ」と呼んでいた母の実家を

近所の人は「宮京さん」と呼んでいたことを

私はなんとなく覚えている。

 

祖父の名前は京一さんで、

京一さんは宮大工だったから

「宮京さん」なのだと知ったのは

ずっと後のことだった。

 

その宮京さんの工場の写真を、

先日美濃を訪れた際に私は撮った。

 

私が子供の頃からちっとも変わらない

驚異的になつかしいこの工場は、

実は「建具工事専門」「室内工事施工」の

株式会社だったのだと、写真を見て知った。

 

祖父には、私が知る限りでも18人ぐらいの孫がいたから

離れた街に住む私や妹や兄のことを

祖父はあまりよく知らなかっただろうなと思う。

 

一度、新興住宅地に引っ越した私たちのところに

美濃のおじいちゃんが遊びにきたことを覚えている。

 

「ハウジングセンター」という

新興住宅地ならではの場所に

私はおじいちゃんと一緒に行った。

 

そこには小鳥を売るお店があったからだ。

 

当時まだ小学生だった私は、

大事なペットのセキセイインコを死なせたばかりで

是非とも祖父には新しいインコのヒナを買って欲しいと

小学生なりに計算して、田舎から遊びにきた祖父を

ペットショップへ連れて行ったのだ。

 

めったに会うことのない孫娘に

小鳥のヒナぐらい買ってくれるだろうと

私はタカをくくっていたのかもしれない。

 

しかし山の里から来た祖父にとって、

小鳥のヒナが一羽500円もするなんて、

おそらく考えられないことだったのだと思う。

 

祖父は「手乗りインコを買ってください」と

おねだりする私に「ダメだ。高い」と、

一言バッサリ。

 

生きている祖父の思い出は

それが最後だった。

祖父と二人でお出かけするなんていうのも、

おそらく最初で最後のことだった。

 

母にとって美濃のおじいちゃんは

どんな父親だったのだろう。

 

母の花嫁道具のタンスや三面鏡は

美濃のおじいちゃんが作ったのだと聞いたことがある。

 

いいなあ、手に職を持つ大工さん。

かっこいいなあ、宮大工。

懐かしいなあ、美濃のおじいちゃん。

 

線路

 

山の中の小さな無人駅の近くで

熱い線路に耳をつけて

遠くから来る列車の音が

聞こえるかどうか

仲良しの竹中ミホちゃんと二人、

おそるおそる試してみた夏の日。

 

あれは本当にあったことだったのか、

それとも

名古屋の下町の小さな子供部屋で

冒険に憧れる小学生二人が

夢見ていただけのことだったのか、

 

何十年も過ぎた今では

もう分からなくなってしまった。

 

美濃のおばあちゃんの駅まで

子供だけで名鉄電車に乗って行ったのは

雲雀がけたたましく鳴きながら空へ垂直に飛び上がる

菜の花満開の春だったような気もするし、

長良川で泳いだ夏のことだったような気もするし、

干し柿が吊るされた山小屋の近くで

栗を拾った秋だったような気もする。

 

そうかと思えば、子供だけで行ったことなど

一度もなかったような気さえする。

 

遥かな記憶は陽炎のように

線路のずっと向こうで揺れている。

 

つぶらなタレ目が可愛かったミホちゃんは

今、どこでどうしているのだろう。

 

名鉄電車の赤いパノラマカーって、

今でも走っているのかしら。

 

遠ざかって行く幼い日々が

ふと見え隠れした、7月。

 

私を祖父母のお墓まで案内してくれた

美濃に住む従兄弟の痛みが

早くなくなってくれますようにと祈りながら

今も山の中にある、あの線路のことを想う。

 

どうか元気でいてください。

 

 

シングル

 

カレと娘が日本に行ったので、

私は2週間ほど、

ひとりで暮らすことになった。

 

でも猫の原田がいるので、

正確に言えばひとりといっぴき。

 

原田のエサや水や猫トイレの世話、

ときどき原田のブラッシングをする他は、

家にいる時間を自分のために使える。

 

娘の送迎も、食料の買い出しも、お弁当の準備も、

コーヒーデートもムービーナイトもなく、

ひとりぶんの洗濯と、好きな時間の掃除と、

何の気兼ねもなく夜中に電気つけての読書。

 

「いつ帰ってくるの?」と聞かれないと思って、

初日はさっそく8時過ぎまでオフィスにいた。

 

どこかに出かけてもすぐに

「もう家に帰ろうよ」と言う娘がいないのをいいことに

昨夜はチヨちゃんと2人、

レストランでいつもより長くおしゃべりをした。

 

私ひとりで好きなように片付けができる!

このチャンスに思いっきり断捨離だー!と

私はけっこう張り切っていたんだけど、

 

なんだろう、このぐうたら具合。

 

つい携帯でインスタのチェックをして

そのままダラダラと時間を過ごしてしまう。

 

メールチェックをしながら、

コンピュータの前でうたた寝してしまう。

 

もう午前2時なのに、まだシャワーも浴びていない。

ひとり分の洗濯もしていない。

 

このやる気のなさは、なんだろう。

 

そうそう、部屋の片付け。

せめて整理整頓から始めよう。

いらないものは寄付しよう。

 

コンマリは、どこからスタートしろって言ってたっけ。

ああ、クロゼットだ。パンパンのクロゼット。

明日はクロゼットの中の洋服を全部出そう。

 

うーん、でも明日の朝、起きられるのかな。

そうだ、起きたらまず、サーフィンだ…

 

……ハッ、また寝落ちしていた!

 

そんなシングルライフ3日目。

19歳

 

今年の4月で19歳になった原田。

 

見た目はあまり変わらないような気がするけれど、

耳が聴こえなくなったので

以前はあんなにビビっていた掃除機の音にも

「原田〜!ごは〜ん!」という大好きな声にも

全然反応しなくなった。

 

でも、誰かが玄関のドアを開け閉めする振動や

帰って来てから灯す部屋の明かりには敏感で、

ちゃんと階段を駆け下りて迎えてくれる。

 

それに原田はあいかわらず食いしん坊で、

私たちと一緒に食卓についておねだりをする。

 

猫の19歳って、人間で言えば何歳なのかなと

調べてみたら「超高齢」で「92歳」と書いてあった。

 

だけど原田のようなタイプの猫は、

平均寿命が15〜20歳だというし、

ギネスの記録に残る最長寿命の猫は38歳、

人間なら170歳まで生きたとあった。

 

うちの原田もまだまだ頑張れそうな予感。

目指せ、ギネスの記録更新!

おままごと

 

おままごとで遊んでいた時のこと、覚えてる?

 

私が幼少時代を過ごした家は、

名古屋の下町の小さな小さな借家だったのだけど、

幼かった私には、とても広い敷地のような気がした。

 

おそらく今見たら驚くほど狭かったはずの

小型トラックを停めるスペースとか、

「ジョリ隠し」をして遊んだ建材置き場、

住み込みの「若い衆」が寝泊まりしていた

本当に小さな離れの部屋。

 

無理やり建て増した2階の子供部屋から出入りした

多分めっちゃめちゃ狭かった洗濯物干し場も、

その頃の私にとっては広々とした「屋上」だった。

 

家の裏には野原があり、

シロツメクサがたくさん咲いていたのを覚えている。

でもその野原も大人になってから見れば

きっと四畳半のように狭かったはずだ。

 

私が妹や幼馴染のヒロミちゃんと一緒に

おままごとをして遊んだのはどこだったのか。

 

それはきっと、若草幼稚園の園庭や、

洗濯物干し場や、建材置き場や、

ヒロミちゃんちの庭や、シロツメクサの野原。

 

お母さんごっこのお母さんは、

いつも台所で何か料理をしていた。

 

泥団子を作ったり、雑草を刻んだり、

葉っぱのお皿に野花を乗せたりして

素朴な遊びを楽しんでいたはず。

 

だけどサシャがまだ小さかった時、

お友達とお母さんごっこをしていたサシャは

「じゃ、お母さんはオフィスに行ってくるわね」と

子供役のお友達に言うと、

ブリーフケースのようなバッグを片手に

とっとと仕事に出かけてしまった。

 

お友達は「エーーー!ごはんはー?!」と驚いていた。

 

私はそんなサシャたちの姿を見て

「あ、あれは私のマネなのか!」と少し反省し、

だけどキャリアウーマンになったお母さんごっこをする娘を、

ちょっと誇らしく思った。

 

お墓

 

もう何ヶ月か前になるけれど、

私はジュニアと2人でオータ家のお墓参りに行った。

それはジュニアのお父さんが買ったお墓で、

そこにはお父さんの両親と

お父さんの妹とそのご主人の遺灰が入っている。

 

本当だったらお父さんの妹とそのご主人は、

違うお墓に入るはずだったのではないかと思うけど、

お父さんの妹は50代の若さで亡くなったので

とりあえずお父さんが、

オータ家のお墓に入れることにしたのだろう。

そして、ずいぶん経ってから亡くなった彼女のご主人も、

そのまま同じお墓に入れてあげたのではないかと思う。

 

お墓のプレートには、あと四人分、

名前が入るようになっている。

一つは、お父さん。

もう一つはお母さん。

後の二つは、ジュニアと…

独身を貫きつつあるジュニアのお姉さん、かな?

 

私は、このお墓には多分入らないだろうと思う。

あまり好きではない地域にあるこの霊園にも

私は入りたいと思えない。

 

私は、できれば海に遺灰を撒いて欲しい。

 

でも、

 

遺していく子供たちのために

ヒロヨと同じニッチに入れてもらうのもいいかな、

なんて思うこともある。

 

稲盛和夫さんが京セラ社員のお墓というのを作ったと聞いた時、

このハワイに身寄りのないスタッフのために、

メディアエトセトラ社員のお墓を作るのもいいかな、

そこに入りたい人には入ってもらって、

私の子孫にお花を供えてもらえればいいかな、

と、そんなことも考えていた。

 

そしてそういうことを考えるときに、

いつか自分がジュニアと一緒の

オータ家のお墓に入るということは

あまり私の頭になかった気がする。

 

肉体がなくなった後の魂は、

どちらにしてもそのお墓にずっといるわけではなく、

自由に光の中に存在できるのであれば、

お墓がどこにあっても関係ないのかもしれない。

 

人は生まれてくるときも1人なら

死んでいくときも1人なのだという

そんな言葉をふと思い出した。

 

そして、オータ家のお墓のプレートを

ジュニアと一緒に見つめながら

無性に泣きたい気分になったあの日。

 

同じお墓に入らないということが

なんだかとても悲しいことのように思えた。

 

人生100年の時代だから、

まだそんなこと考えなくてもいいのだと思う自分と

誰にも迷惑をかけないように終活始めなくちゃと

そんな風に思う自分がいるのも確か。

 

ねえ、死んだらどうなるの?

お墓にお花を供えてもらうとわかるの?

それともそんなこと関係ないの?

ねえ、このニッチに1人でいるのは寂しいの?

それとも、やっぱりここにはいないの?

 

…そうやって、今朝もヒロヨの遺影に向かって

なんども問いかけてみたけど、

答えは死ぬまでわからない。

過去

 

もう過ぎ去ったことだから「過去」なのだ。

今、ここでどんなに恨んでも悔しがっても

過去に起きてしまったことは変えられない。

 

そこから私たちは何かを学べたかもしれないし、

ただただ嫌な思いをしただけで

何も学ぶことなどなかったのかもしれない。

 

それでもその辛いことがあったおかげで

きっといつか何か良いことが必ずあるはずだと信じて、

それが自分のための良いことではなかったとしても

誰かのためになる良いことが絶対にあるのだと信じて、

とにかく朝目が覚めたら、ベッドの中で微笑んでみよう。

 

起きたらバスルームの鏡の中の自分に向かって、

ニーッと笑いかけてみよう。

 

苦い思いがふつふつと浮かんでくるよりも先に

とりあえず口角を上げてしまえば、

今日もこっちの勝ちだと思って、

まずは笑顔で始めよう。

 

だけど、どうしてもダメな日には

思い切り泣いてもいいのではないかと思う。

 

あぁ、今日は負けちゃったよと

泣いて、泣いて、泣き終わったらまた笑おう。

 

湧いてくる喜怒哀楽の情念を一つ一つ手にとって

人生っておもしろいな、と楽しもう。

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