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2016-02-12 18:59:00

3年

テーマ:ヒロヨのこと



昨年から私の「ジュニマネ日記」を読み始めた母に
「もうヒロヨちゃんのお墓の写真を
毎日毎日ブログに載せるのはやめなさい」
「お墓に毎日行くのはいいけど、もう写真はやめなさい」
と、実家に帰った時だったか、私はたしなめられた。

いつまでも私がそんなことをしていては
ヒロヨが成仏できないと思っているのか、
世の中の人々はお墓の写真なんか見たくないのだから、
もうやめた方がいいと思っているのか…
まあ、たぶんその両方だろう。

娘が「いつまでも親友のお墓の写真をブログに載せる
気味の悪い人」と世間から思われるのが
母には辛いのかもしれない。

ヒロヨのお墓を作ってくれたヒロヨのお姉さんに
毎朝感謝しながら、私はお花の水を替え、
手を合わせて、目を閉じて、
あらゆる人の顔を思い浮かべて
「ありがとう瞑想」をする。

忙しくてお墓に行けない日が続くと、
霊園の近くを通るたびに、
心の中で手を合わせる。

私がヒロヨのお墓に行かなくなって
ヒロヨのことを忘れて暮らす日が1日でもあったら
ヒロヨも私のことを忘れてしまうのじゃないかと
私は不安になる。

もしも私がヒロヨより先に死んでいたら、
ヒロヨはきっと同じように
たぶん毎日私のお墓に来たのだろうと思う。

でも、もしも私が本当にヒロヨより先に死んでいたら、
その後ヒロヨに何かあった時に
リオを守ることができなかったわけだから、
やっぱり私はヒロヨのためにも
こうして生かされているのだろうと思う。

世の中に起こるすべてのことは、
きっといつかの良いことのために起こっている。

ヒロヨは自分でも知らないうちに命をかけて、
リオを守ったのだろうと思う。

だけどやっぱり
私は今でもヒロヨに会いたい。

あの笑い声を聞きたい。

一緒に思い出話しをしたい。










会えなくなって、3年。

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2015-12-04 18:48:03

裏庭の池

テーマ:私のこと


ものすごく眠い時に文章を書くと、
だんだん朦朧としてきて、自分が何を書いているのか、
何を書きたいのかもわからなくなり、
それを翌朝読んでみると、
自分でも驚くほど意味不明だったりする。

そんな状態になるのはだいたい真夜中で、
急いで終わらせたい書き仕事の途中とか、
ワインを飲んだ後にブログを書き始めた時なんかだ。

それが今日の遅めの午後、オフィスで
コンピュータに向かい、クライアントのために
弁護士に宛ててメールを書いている時、
しかも自分では眠いなんて思っていなかった時に、
一瞬スペースアウトしてしまったのか、
私は「えーーっ?!」と、声を出してしまうほど
変なことを書いていた。

その弁護士に私は、
「彼のために手紙を書いてくださいませんか?」と
依頼事項を書いていたつもりだったのだが、
いったい私の頭の中で何が起こったのか…

ボーっとしながらタイプを打ち込み続け、
ハタと我に返って文章を読み返してみると、
そこにはなんと、

「彼のために裏庭に池を作ってもらえませんか?」と
まったく思いもよらないことが書いてあった。

これ誰が書いたのー?!
…と叫ばずにはいられない言葉。

だってその時私は、裏庭のことだって、
池のことだって、これっぽっちも考えていなかった。

それまでだって一度も、池を欲しいなんて望んだことも、
クライアントと池の話をしたこともなく、
裏庭の池に関する本も記事も読んだことはなかった。

そこにいた皆は「何かに取り憑かれたんじゃないの」と笑った。
あとでその話をジュニアにすると、
「自分で気づいていないかもしれないけど、
もしかしたら潜在意識の中で千尋は、家の小さな裏庭に、
池を欲しいと思ってるのかもしれないよ」と爆笑しながら言った。

そのメールのスクリーンショット
(あまりにもウケたので写真に残した)をサシャに送ってみたら、
彼女は私から英文の校正を頼まれたのだと思い、
「スペルが一箇所だけ間違ってたけど、あとは大丈夫」と返事をくれた。

「ねえ、本当にあとは大丈夫なの?」と、思わず電話して聞くと
サシャは「あ、そうか。裏庭はワンワードね」と言う。

そこ?そこなの?

「裏庭に池を作ることに対しては、何も思わなかったの?」と
あまりのおかしさに涙ぐみながら聞くと、
「この弁護士は、造園のビジネスもしてるの?」と聞き返すサシャ。

私はお腹を抱えて笑いながら
「本当は、彼のために手紙を書いてくださいって、
そう書くつもりだったのよ~~」と教えたら、
サシャも「やだ~~、変だと思ったよ~~」と大爆笑。

ヒーヒー言いながら、涙流して笑いながらも、
人間の脳の不思議に畏怖の念を覚え、
こんなにも意味不明な文章を書いてしまった自分に
なんだか少し空恐ろしいものを感じた。















裏庭に池…。

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2015-11-12 18:16:18

あなたにしか聞こえない

テーマ:美しきひとびと


ヒロヨの眠る霊園に行くたびに
いつも目についていたこのお墓。

テッド・マカレナと書いてあるので、
私は毎回「ヘ~イ、マ~カレナ♩」という、あの
陽気な振り付けの歌を思い出していたのだけど、

あの歌とは関係なく、あまりに聞き覚えのある名前だったし、
しかもその墓標に書いてある言葉が私にはとても気になった。

一般的な墓標の言葉には「Beloved Wife and Mother」とか
「Forever in our Hearts」などがある。

でも、テッド・マカレナの墓標には、
「SO SOFTLY ONLY YOU CAN HEAR」と書かれている。

「そのかすかな音は、あなたにしか聞こえない」
…それとも、「あなただけに聞こえる、かすかな声」

どちらにしても、墓標に刻むほどの深い意味があるとしたら
それはテッド・マカレナの言葉なのだろうか。
それともテッド・マカレナの遺族から彼への言葉なのだろうか。

そのお墓の前を通るたびに私はその言葉を読み、
30代で亡くなったテッド・マカレナは何者だったのだろうと
見知らぬ人に想いを馳せるのだけど、
霊園を出ればそのことはもうキレイさっぱり頭から消え去る。

ある夜、ふと「テッド・マカレナ」のことを思い出した私は、
ついにその名前をグーグルで検索してみた。
彼はハワイではとても有名なゴルファーだった。

その名前に聞き覚えがあったのは、
テッド・マカレナというゴルフコースがあるからだった。

生まれたのは、墓標にあったのと同じ1934年6月14日、
34歳の若さで亡くなったのは、1968年9月13日。
彼はジュニアのお父さんと同じ年代に、同じ学校を卒業している。

さっそくジュニアのお父さんにテッド・マカレナのことを聞いた。

「有名なゴルファーだったのよ」と言うと、
お父さんはテッドについていろいろ話し始めた。
でも、「SO SOFTLY ONLY YOU CAN HEAR」という言葉の意味は
お父さんも知らなかった。

グリーンの上で、白いゴルフボールをじっと見つめながら、
テッドは彼だけに聞こえる音を聞いたのだろうか。









ポチ…っと。

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2015-07-13 21:24:52

アンクル・ロジャー

テーマ:美しきひとびと


アンクル・ロジャーは、コアロハウクレレのパパさんと親しくて、
しょっちゅうコアロハの工場に入り浸っていた。
だからジュニアにとっても私にとっても
コアロハの工場が、アンクル・ロジャーとの出会いの場だった。

フェイスブックで繋がって以来、
アンクル・ロジャーは私が掲載する家族写真に
いつもユーモアのあるコメントを残してくれた。

お父さんのフェイスブックにも、
ジュニアのフェイスブックにも、
いつもアンクル・ロジャーのコメントがあった。

アンクル・ロジャーが、私の「ジュニマネ日記」を
グーグルで変な英語に翻訳して
読んでくれていたのも知っている。

アンクル・ロジャーはジュニアのお父さんや、
ブライアン・トレンティーノや、
うちの健と同じ学校の出身だからか、
いつも『ケンチャン、ケンチャン」と、
健のことも気にかけてくれていた。

彼は郵便局の職員だったけれど、
ハワイアンミュージックが大好きで、
自ら作詞作曲することも多かったと聞いていた。

カントリー・コンフォートが歌った「Rainy Day Song」を
アンクル・ロジャーが作詞作曲したということは、
昨夜アンクル・ロジャーの訃報を聞いた後、初めて知った。

いつもいつも笑顔しか見たことのない人が
突然いなくなってしまうことの深い悲しみを
私はまた思い出した。

アンクル・ロジャーと最後に会って挨拶を交わしたのは
コアロハ・パパの70歳のバースデーパーティーだったか、
それとも去年のウクレレ・フェスティバルだったか。

その時何を話したのかも、
私はもう忘れてしまった。

アンクル・ロジャーとは、
もうすぐ開催されるコアロハの20周年パーティーで
またいつものように会えるものだと私は思っていた。

「今度会ったら聞いてみよう」と思っていた
アンクル・ロジャーのストーリーを、
私はもう聞くことができない。

アンクル・ロジャーに「いつもありがとう」と
お礼を言うことすら、私にはできなかった。

私が管理しているお父さんのフェイスブックにも
アンクル・ロジャーはコメントを書き込んでくれていたのに
返事すらできないままに、彼は逝ってしまった。

「大事なことを後回しにしてはいけない」

それは知っていたつもりなのに、
私はまたいつものように
日々の忙しさにかまけていたのだった。

ああ~、アンクル・ロジャーはいつも楽しくて
朗らかで、いい人だったなあ~と、今さら思う。

アンクル・ロジャーは今頃ユーホリアの中で、
彼が愛したハワイアンミュージック界の
先に旅立った大御所たちに会っているのかもしれない。

アンクル・ロジャー、
今までたくさんの笑顔をありがとう。


ありがとう。









また会う日まで。

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2015-06-12 17:51:02

生まれ変わり

テーマ:ヒロヨのこと



これまでに私は、
たくさんの人が書いた死生観についての
いろいろな文章を読んできた。

輪廻転生を信じる人、信じない人、
まるで見てきたかのようにその仕組みを語る人、
さまざまな信仰や、宗教や、宇宙観や、学識や臨床例。

死んでみなければわからないことだから、
生きている間は誰にも真実はわからない。

臨死体験を経た人や、霊感のある人、
ヒプノセラピーで前世が見えた人など、
「見える」人には、本当に見えるのかもしれない。

でも私には、まったく見えない。

ヒロヨが亡くなってから数日間、
金縛りにあったり、不思議な夢を見たり、
「見える人」から話を聞いたりしたけど、
本当のところは今もわからない。

ヒロヨの魂は、大きな光の中に帰って行って、
私たちを包み込んでいるのかもしれない。

私たちが思い続ける限り、
ヒロヨは私たちの中に生きている。
目を閉じればその笑顔が浮かぶし、
耳をすませば、なつかしい声が聞こえる。

動物にも、花にも、風にも、人間にも、
すべてのものに、神が宿っているという、
その神はもしかしたら、
光の中に帰って行った魂たちなのかもしれない。

それともこの世に魂なんてなくて、
死んでしまった後には、
ただ「無」があるだけなのか。

私は魂の存在を信じているし、
深い縁のあった人たちとは、死んでしまった後でも
いつかきっとまた会えるような気がするのだけれど、

それはいつなのか。

どんなきっかけで生まれ変わって、
どんなふうに次に出会うのか。

もしも、サシャから生まれたブルックリンに
ヒロヨの魂が宿っているとしたらどうなのだろう?

みんなと一緒にいるのが大好きだったヒロヨが、
早くまたみんなと一緒にいられるようにと
急いでブルックリンに生まれ変わってきたとしたら?

私たちがあんまり会いたがるものだから、
「しょうがないねえ」と思ったヒロヨの魂が
ブルックリンに入って生まれてきたのだとしたら?

先週、海で波待ちをしながらそう思いついた時、
私は子供みたいに涙があふれて止まらなかった。

泣きながら波に乗り、泣きながらまたパドリングをして、
「ブーちゃんはヒロヨなの?」と、遠くの海に問いかけた。

もしそうだったら素敵だけど、
真実は誰にもわからない。

ヒロヨの魂のかけらは、ブルックリンに入っていたり、
昨日お墓に供えた花に入っていたり、
いつか生まれるリオの子供に入っていたり、
今吹き過ぎて行った風にも入っていたりするのかもしれない。

それとも、ヒロヨは私が死ぬのを待っていて、
光の中で迎えてくれるのだろうか?
また生まれ変わって一緒の時代を生きるのだろうか?

人間って不思議で、
魂って不思議で、
縁って不思議で、


やっぱり人生ってすばらしい。

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2015-06-10 18:57:18

隣の部屋

テーマ:ヒロヨのこと


死なんて、まったく何でもないのです。
何に値するものでもありません。
私はただ、するりと隣の部屋に移動しただけ。
何も起こってはいないのです。
すべては元のまま。
私は私のままで、あなたはあなたのまま、
そして共に過ごした愛情いっぱいの人生も、
変わらずにそのまま。
お互いにとって相手がどんな存在であったかも、
ずっとそのまま。
私をいつもの名前で呼んでください。
いつも通りの気楽さで、私の話をしてください。
声のトーンを変えることなく。
無理に厳粛で悲愴的な空気を漂わせることもなく。
いつも一緒におもしろい冗談を言っては笑っていたように、
笑ってください。
楽しく遊んで、微笑んで、私のことを思って、
私のために祈ってください。
いつもそうだったように、
私の名前を日常の会話に出してください。
亡霊の影をその上に見ることなく、
苦しまずに、私のことを話題にしてください。
人生の意味は、永遠に変わりません。
ずっと同じまま。
そこにあるのは絶対的な継続。
こんな死なんていうものは、
きっと無視できる程度の事故でしょう?
私の姿が見えないからといって、
忘れ去られることはないでしょう?
私はただ、少しの間、この角を曲がった先の
ほんのすぐ近くで、あなたを待っているだけ。
何もかもすべて良好です。

*****

ヘンリー・スコット・ホランドのこの詩を読んだ時、
なんだか胸がいっぱいになって、
するりと隣の部屋に移動した宏代が
私に語りかけているような気がして、
私は簡単に日本語に訳してみた。



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2015-06-06 19:24:08

出産

テーマ:子供たちのこと


29年前、私は長女サシャを
ワシントンDCの病院で出産した。

私はまだまだうんと若かったのだけれども、
いきなり血圧が上がったことも原因のひとつで、
かなりの難産になった。

入院から39時間後、初めての赤ちゃんを産んだ感動や
生まれたてのサシャのかわいさを愛でる間もなく
一瞬胸に抱いたサシャを看護婦さんに渡して
胃液を嘔吐してしまうほど私は弱っていたので、
そのまま集中治療室送りとなったのだった。

4日後、私の退院と同時に前夫は仕事に戻り、
疲労と痛みと空腹に苛まれながらの育児が始まった。

私たちが暮らしていたDC郊外はあまりにも遠かったので、
日本の母には助けに来てもらえなかった。
そして当時40歳の義母は、フルタイムの学校教師として
まだバリバリ働いていたので、
彼女が手伝いに来てくれることもなかった。

母が日本から送ってくれた「はじめての赤ちゃん」という
図解の育児本だけを頼りに、私はサシャを必死で育てた。

そして愛しい愛しいサシャの顔を見つめながら
「この子がいつか赤ちゃんを産む時が来たら、
世界のどこにいても、私はきっと助けに行く」と心に誓った。

長男ケンが生まれたのは、ハワイだった。
その時は母が日本から来てくれて、
まだ2歳半だったサシャの面倒をはじめ、
炊事、洗濯、掃除と、何もかも手伝ってくれた。

だから母が日本に帰ってしまった後、
マタニティーブルーに見舞われた私は、
母への感謝の気持ちと寂しさでいっぱいになり、
めそめそ泣いたりしたものだった。

そして「やっぱりサシャが赤ちゃんを産む時には
ぜったい私がずっと側にいて助けてあげよう」と
再び心に誓ったのだった。

私が3人目のサリーナを高齢出産した直後には、
ジュニアが出張でハワイを離れても、
もう18歳のサシャや15歳のケンがいたし、
ヒロヨやオフィスのみんなも手伝ってくれたので
どちらかといえば余裕の育児となった。

私は、ジュニアによく似たサリーナの顔を見ながら
「この子が赤ちゃんを産む時まで、
私は生きているのかしら…」と弱気になり、
「ああ、でもこの子が出産する時には、
きっと私に代わってサシャが一緒にいてくれるよね」と
いきなり他力本願路線に切り替えて思うのだった。

「でもせめていつかサシャが赤ちゃんを産む時には、
私が側にいて腰をさすったりして支えてあげよう。
授乳でおなかが空いた時に、すぐ食べられるようにしてあげよう」
…と、私は誓いを新たにした。

そして今年6月1日、ついにその「いつか」が来て、
私はサシャの出産に立ち会うことができた。

サシャがハワイにいてくれて良かった。
健康な赤ちゃんが生まれてくれて良かった。
安産で良かった。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。







おめでとう。

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2015-05-06 17:24:05

由美ちゃん

テーマ:美しきひとびと


私が初めて由美ちゃんと出会ったのは、
サシャとケンが通ったワイキキのプリスクールだった。

他に日本人のお母さんはいなかったし、
ちょうど由美ちゃんのふたりの愛息たちが
サシャとケンと同い年だったので、
同年代の私たちはすぐに仲良くなった。

私にとって由美ちゃんは、
ハワイで初めての日本人のママ友だった。

私たちはよく由美ちゃんのコンドで一緒に夕飯を食べ、
そこで一緒に子供たちに宿題をさせたり
時には子供たち抜きでクラブへ踊りに行ったりもした。

手抜きママの私たちは簡単にスパゲティを茹でて、
子供たちの好きなマッシュルームスープをソースにした。
そんなふうに一緒に夕飯の準備をするのも楽しかったし、
私たちはとにかくよく笑い、おしゃべりをした。

そういえば由美ちゃんが作るカリフラワーの天プラが
私にはすごく斬新で、とってもおいしかった。

赤い口紅がよく似合う由美ちゃんは、
目のぱっちりした美人で、いつも華やかだった。
そして大阪出身の彼女は話もおもしろくて、
私たちは会うたびに、本当に涙が出るほど笑ったものだった。

ヒロヨがハワイに引っ越して来るまでの1年ほどだろうか、
由美ちゃんは私のハワイの親友だった。

その後由美ちゃんの仕事も私の仕事も忙しくなり、
私たちはあまり一緒の時間を過ごすこともなくなり、
子供たちの学校も変わり、
そのうちに由美ちゃんは
カリフォルニアに引っ越してしまった。

それから私たちは2回ほど会う機会があったけれど
長い長い間、それぞれの人生をそれぞれに過ごした。

昨日6年ぶりに由美ちゃんに会い、
一緒にヒロヨのお墓参りに行ったり、
朝ごはんに行ったりして、短い時間を共にした時、
ふたりで大笑いした日々を思い出して
私はなんだか胸がいっぱいになった。

過ぎて行った若い日々。
小さかった子供たち。
笑い転げていた日々。

次に会えるのはいつだろう。

カリフォルニアからベガスに引っ越す由美ちゃんに
私はきっと会いに行こう。

若い頃を振り返って懐かしむだけではなく、
一緒に新しい時間を過ごそう。








由美ちゃん、ずっと元気でいてね。

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2015-04-28 18:03:19

大根臭

テーマ:私のこと


今日、サシャを自宅まで送った後で、
私はクライアントの店へ
ミーティングに行くことになっていた。

私のクルマの中には、サシャが持っていた煮物の
大根の匂いがモヤ~ンと漂っていた。

クライアントのお店は、バレーパーキングオンリーなので、
サーフボードのワックスや砂で汚れた私のクルマも
玄関前で私が降りると、駐車場係が停めてきてくれる。

こんな時、ダイコンの匂いはあまりよろしくない。

ハワイのローカルは、もちろん日系人も多いから
大根の匂いにはある程度慣れているかもしれないが、
私が降りたクルマの運転席に乗る駐車場係は、
この匂いを嗅いだら間違いなく、私を疑うだろう。

私は大根の煮物をちょっと恨みつつ、
クルマの窓を全開にしてクライアントのお店に向かった。

そういえば、ずいぶん前にガールズナイトで出かけた時に
友人のひとりが日本の「松前漬け」という
切り干し大根や昆布やスルメをふんだんに使った
かなり香り高い食べ物を持ってきてくれたことがあった。

「おいしいから持って帰ってね」と、
友人はみんなにふるまうつもりでそれを持って来てくれたのだが、
何しろ夜はまだ始まったばかりだったから、
みんなの分の漬物をそのまま後部座席に残し、
私たちは駐車場係にクルマを預けて出かけた。

楽しい時間を過ごした後、
駐車場係が私のクルマを店の玄関前まで回してくれた時、
その若いお兄ちゃんは、
なぜか恥ずかしそうにうつむき加減で
私のためにドアを開けてくれた。

クルマの窓は全開になっていたが、
車内はものすごい匂いに満ちていた。

あの時駐車場係のお兄ちゃんは、
松前漬けの大根のあの匂いを、いったい何だと思っただろう。

どんな顔をして、クルマの窓を全開にしたのだろう。
気の毒なことしちゃったなあと、また思い出して笑う。







ぷぷぷ。

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2015-04-23 20:16:18

カオル

テーマ:美しきひとびと


高校生の3年間、同じクラスで
ずっと仲よく遊んだ親友が私には4人いた。
ヒロヨと、カオルと、ミユキと、ナオコだった。
4人とも私のことを「ちーろ」と呼んだ。

面倒見の良いヒロヨは、
みんなから「おかあさん」と呼ばれていた。

ミユキはエキゾチックな美少女で、
いつも両思いの彼がいた。

5人の中でたぶん一番真面目だったナオコは
すらっと背の高い美人で、
高校時代からの彼と結婚して、今でも一緒にいる。

カオルと私は、どういうわけかふたり揃って
先生に怒られることが多かった。

高校時代というのは、
今思い出しても赤面するような恥ずかしいことや
不器用で辛いことや悲しいこと、
無意味に突っ張っていたことなんかがたくさんあったけど、
4人の親友たちの存在に、私はいつもとても救われていた。

卒業後も、私とヒロヨはそのまま無二の親友となって
ずっとずっと一緒に生きて来たのだけど、
カオルとミユキとナオコとは、もうほとんど会うこともなく、
私たちはまったく違う道を歩いて来た。

これは、私がサシャを妊娠中に
日本に2週間帰国した時に集まった私たち。
5人揃ったのは、この時が最後だったかもしれない。




ヒロヨが急逝した年、私が名古屋に行った時に
カオルとミユキとナオコが会いに来てくれた。
なん年ぶりかでやっとみんな揃ったのに、
そこにヒロヨがいないことがものすごく残念だった。

それから2年経って、先週カオルがハワイに来てくれた。
一緒にヒロヨのお墓参りに行き、
一緒に思い出話をして、
お互いに知らなかったお互いの年月を知った。

かっこ悪くて眩しくて切なかったあの若い時間を
毎日共有していた親友同士だから、
私たちは何年会わなくても、
すぐ元どおりの親友として話しができる。

小顔でかわいくてモテモテの
ティーンエイジャーだったカオルの
口癖や歩き方、笑い声は、
すっかり大人になったカオルにそのまま残っている。
何年経っても人ってそんなに変わらないし
心の真ん中にあるものは同じなのだろう。

これからは毎年会おうね、と約束して
カオルは明日、名古屋に帰ル。






そういえば、私たちはカオルのことを「かーる」と呼び、
ナオコは「なーこ」で、ミユキは「みーき」。
そしてヒロヨはやっぱり「おかあさん」だった。

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