99%の事情。 | ちゃらんぽらん日記。

99%の事情。

では早速ですが、なぜ私がアスペルガー症候群99%なのかをお話したいと思います。
なげーぜ。すげーなげーぜ。
ドン引き覚悟で参りましょう!!そうしましょう!!
あっちではなんか書ける空気ではなかった気がして(空気読めないくせに)
ではどーぞ。


私は22才の時に自分がASの疑いがあることが分かりました。
それは高校時代の友人がミクシィ(かな?)でASと告白したのがきっかけです。
そのまえまでも、自分は他の人とは違うと思ってはいました。
でもアーティストだからかな?
的なむしろ人と違うことが誇らしく思っていました。あっ今もですね。はははっ。

そして気になった私はその友人と食事に行き、いろいろ話を聞きました。
度肝抜かれました。私も同じ経験をしていたのです。
空気が読めないとかだったかな?よくASとは?とかの内容そのものですね。

うんうんうんうん言ってて首が疲れました。それほどうなずいていたのです。
その時、友人も診断前でした。なので確定ではありません。
その診断を待ってもしASだったら自分も診断書をもらいに行く!!と他人任せな私でした。

しかし気になってしまいました。
パソコンで簡易的に調べられるものがありますよね。
それつかってみました。
36点ぐらいだったかな?
最高40点くらいいきました。

あー可能性高いな。と思った私。
そしてすぐに忘れました(ちゃらんぽらん)

数ヶ月が過ぎ、友人のASが確定しました。

ってなわけで私も診断書をもらうことにしました。
自分を分析することは大好きです。
接客業が大好きだったことから「人と関わるためには自分を知っとかないとね☆」
ってな感じで(ひどい)

しかしこの伊豆(実家住みでした)で、どーしたら貰えるのか全くわかりませんでした。
なので伊豆の友達に聞こう!と思いふみさんに聞いたのです。
ふみさんの父は学校教諭(私とも仲がいいのです)、そこに月1でカウンセリングに来ている臨床心理士さんがいました。運がいい私。
その臨床心理士さんはASに対して専門分野のようでして、その人に見てもらうのが一番だという結果になりました。
そっからトントン拍子です。
臨床心理士さんに会いました。
ふみさんの父から私の事を聞いていてくれて、すぐに分かりました。
事前に自分が他人と違うとことかを箇条書きにしていました。
ちょっと引用してみます。
こんなんです。

「1 電話がとても苦手。
3年前から仕事で電話応対をするようになったのですが、なかなか相手の声が読
み取れません。
メモを使っていてもぜんぜん聞いている声が違うために自分で取ったメモなのに
理解ができない。
 周りで大きな声でしゃべっている人がいると全く電話の声が聞こえない。
 何度も聞いて怒られた事が多々ある。

2 驚き方がひどい
 ちょっとしたことなのに吃驚して大きな声をあげてしまう。集中していると周
りが見えなくなるため。

3 一度に2つ以上の事ができない。
 話をしながら仕事をする、それが簡単そうで全くできない。会話がはじまると
仕事に集中できないので手がとまってしまう。しかも仕事がとまったのに気づか
なく人に指摘されるまで気づかない。

4 おちつきがない。
 話をしながら仕事はできないが、何かに触れていたり箸袋をいじったり簡単な
絵を描いたりしないと落ち着かない。小さい頃は常に毛が生えて障り心地がよい
キーホルダーを触っていた。触っていないとおちつかなかった。そのためにキー
ホルダーはすぐに禿げた。

5 興味があるものとないものに差が激しい。
 興味がないものは例え真剣に話をきいていてもすぐに忘れてしまう。
 そして興味がないのか人の顔と名前がすぐに覚えられない。覚えた後も名前を
間違える事が多々ある。

6 へんに記憶があるところがある。
 なぜか風景などで会話を覚えている。ある道に行くと思い出す記憶があったり
する。

7 思ったことをさらっといってしまう。
 自分のことが嫌いな人に対して「私のこと嫌いですもんね」など言うか言いま
いか思う前に相手に言ってしまい。大変失礼な事をしてしまうことがある。

8 手に持っているものは無くす。
 手に持った鞄、傘、物、はかなりの確率で無くす。電車などに大雨が降ってい
るにも関わらず傘を無くす事が多々あった。これに関してはショルダーやリュッ
クなど大きな鞄を持ちあまり手で持たないようにしていた。

9 相手が喋っているのに出し抜けて答えてしまう。
 最近は注意して少なくなってはいるが昔は常にそうだった。

10 空気が読めない。
 相手との言葉のキャッチボールがどうしてもうまくいかない。こういわれたら
こう返す。それがなかなか判断ができない。

11 間接的な言葉が通じない。
 遠回しに伝えたとしても私に伝わらず、相手を困らせてしまう。
 また冗談だと頭では認識していてもまさか・・・と思ってしまう。

12 音に敏感。
 なにか音がすると気になってみずにはいられない。そのため挙動不審。

13 メモがありえないほど細かい
 パソコンのソフトのあるやり方をメモするためにパソコン電源からメモしない
と覚えられない。
メモを簡単に省略したりすると教えてもらった事ができない。なので常に人の3
倍以上のメモは取る。


14 度が過ぎる挨拶
「ありがとうございました。」「すみません」など何度も言ってしまう。相手が
返事をしない場合「まさかつたわっていないんじゃ・・・」と思い結果として言
い過ぎてまた相手を怒らせてしまう。

15 応用がきかない。
 以前働いていた仕事はマニュアルはもちろん当たり前に覚えるのですがほとん
どの物に応用しなければならず毎回それができないため上司に怒られていました
。マニュアル通りはメモで何とかなるのですが応用は不得意です。

16 先端恐怖症
小さい頃からどうしても鉛筆の先や尖った物を向けられるのがダメで、夜寝ると
きも目を何かに覆っていないとねむれなくなります。目をつむっただけで鉛筆が
ふりそそいでくるように見えるからです。

17 大まかの事を理解していない。
小学生の頃から親に「今日学校どうだった?」と多々聞かれてきたが、「学校だ
った」と必ず答えていた。
どう?の意味がよくわからなく親もおもしろ半分で毎回その言葉を出していたが
、私は今でもあまり理解していない。


他にもあるかもしれませんが今の所わかる限りを書き込みました。今度病院にい
くときに主治医にも聞いてみようと考えていますが、よろしくおねがいします。」

なげーなーおいおい。
コレを印刷して渡しておきました。
そして会いに行きアスペルガー症候群チェックみたいなテストをしました。
結果、臨床心理士は99%アスペルガー症候群。
と言っていただけました。

私は確信がありました。おーけおーけ!!
よし!!後は診断書を貰うだけ。

この診断書が厄介な事になりました。

診断書をもらうには成人だと専門の医師の元になんだかテストをしなければならない。
そしてその医師は東京の病院にいること。
成人だと専門医がぜんぜん居ないもんで予約が半年待ちがざらなこと。
診断には親のカウンセリングか母子手帳が必要な事。


家に帰り母子手帳を探しました。
無くなってました。引っ越す際に間違って捨ててしまった模様。

そーなると後は親のカウンセリングです。
子どもの頃どんな子どもだったのかを聞くそうなんですが。

これが厄介だったのです。

私は母が38才、父が40才の頃の子どもです。

兄が6才違いで一人居ますが、正直、結構古い頭の持ち主の親です。
ASなんて「なにそれ?おいしいの?」レベルです。
今となってはアスペルガーという言葉が知れ渡ってきましたが、戦後生まれた両親は知ろうともしませんでした。
私は親に自分がASの可能性がある。だから診断書がほしい。
そのためには一緒に病院に行ってほしい。と言いました。

母は言いました。
「あんたがASだったらみんなASだよ」
父は無言です。

しまったー。理解できないようだー。

いろいろ話ましたが全く信じちゃくれません。
ネットの情報をコピーして渡しましたが全く読んでくれませんでした。その辺にほってあったんです。

そーですよね。いきなり自分の子どもが「ぼく障害をもってるから一緒に診断書をもらおうぜ☆」
って言ってるわけですから、ビビりますよね。
「たしかにあんたは変わった子だったよ。スカートなんて着やしなかったしね」
「だけどそんな子ども無数にいるでしょーはははー」

うーんポジティブな親だ。
さすが私の親だ。
敵は強いぞ!!

そんなとき偶然にもNHKでASの事情的なものがやっていました。
それを一緒に見ようと言ったのは父。
これは父に託そう!!

一緒に見ました。
その番組はASの成人男性が会社でうまくなじめず一人黙々と作業をし、休憩時は寝てるというような感じでした。(ごめんなさいあまり深く覚えていない)


それを見て母はいいました。
母「あんたとちがうじゃない」
私「私とこの人は症状がちがうんだよ。ってか私の社会生活知らんでしょ。」
母「何?あんた一人ぽっちなの?」
私「昼休み寝てはいないけど」
母「だったらみーんなASじゃない」

だめだー理解できないようだー。

父に聞いてみました。今まで無言の父に。
なんかいろいろ話しました。
これはいけるんではないかと望みは出ました。
しかし残念!!
最終的には母と同じ回答です!!無念!!

ってなわけであきらめました。それ以降、森永家ではASの事はださない事にしました。
しょうがないとおもうんです。多分曲げられないだろう。
そんな親もASじゃないかと思う私。

私も小さい頃から自分の友達の事、学校の事、仕事の事、何一つ深く話す事はしませんでした。
「学校どーだった?」と聞かれれば「学校だった」という子です。
それが当たり前でした。コミュニケーションが苦手なんですね。
あと母は口がもろくそ軽かったので、周りに私の事が知れ渡ることも嫌。というのもあります。
だから友達の名前もあんまり知りません。知ってるのホント数人。


でも普通はもっといろいろ話すんですね。
恋バナとかで盛り上がったり、自分の一人の友達について深く話し合ったり。
知らんかったわー。

ASにたいしては理解がありませんが。
私はこの親に感謝もしています。当たり前です!!
何不自由なく育てていただき(現在進行系)19歳の時に内臓疾患で入退院を繰り返した時期も養ってもらっていました。
土下座の勢いで感謝です。
産んでくれたしね。それ大事よ。
ただ天の邪鬼の私は面と向かってそんなこといわねぇよ。だからブログでいうのです。まぁブログ知らないけど。


長くなりました。ってなわけで私は診断書を貰う事が非常に難しいです。
聞いてみた所、親の理解がなければ、きちんとした診断書を貰うのが難しいそうなんです。

これでも結構真剣に考えました。どうしたら理解してくれるか。試行錯誤は繰り返しました。

はっ!!こんな記事だして大丈夫か?おろおろ。これでもまじめなんですが、記事を読み返すと不真面目、どーしよー。どーする事もできねー。

でも99%の確率でASです。だからアスペルガーと自己分析し、またいろいろ自分を模索していこうとおもっています。分析大好きーーー!!
そんなわたしですが、読んでいただきありがとうございます。そんなここまで読んでくれた方にも感謝です。ありがとうございます。
このつたないブログこれからもよろしくお願いします。

あと句読点を学ぼう!!

以上。こんな感じに99%です。
いつかは診断書を手に入れたいと思っています。医療もどんどん変わって来てるしね。
それではまたお会いしましょー。グッナイ!!