5月8日(月曜)晴、気温14℃
6時14分泉大津港下船・上陸、高速道路代100円で、4番札所 槇尾山 施福寺[槇尾寺]を目指すが、ナビで設定した地点の手前で「Uターン」と「槇尾寺会館の電話番号で設定せよ」との看板があり、14kmほど廻り道をして7時18分に登山口駐車場に到着。
一つ目の失敗です、お寺の住所でナビに登録したために、大きく回り道をすることになりました。
山(坂)道を途中休憩しながら、やっと本堂に到着。
4番札所 槇尾山 施福寺[槇尾寺]
山号 槇尾山
寺号/通称 施福寺/槇尾寺
札所本尊 千手観世音
開帳時期 5月1日~15日
宗派 天台宗
住所 大阪府和泉市槇尾山町136
参拝と御朱印(1000円)を戴き、8時45分に下山をはじめ9時25分に駐車場に到着。
第四番札所 槇尾山 施福寺/槇尾寺の解説
施福寺/槇尾寺は古くは山岳寺院であり、修験道の修業の場として栄えたとされる。南北朝時代にできた寺史、槇尾山大縁起によれば、欽明天皇の時代、行満上人が創建したとしている。
しかしながら、寺の歴史の初期のものは伝説色が強く、はっきりとはしないが、9世紀に成立した日本霊異記の中で、「和泉国泉郡の血渟の山寺」とした記述は施福寺/槇尾寺のことであるとされており、このころすでに有名な寺であったことがうかがえる。
後白河上皇所縁の法華経と仏像が奉納されたことが縁起にみられ、施福寺/槇尾寺所蔵の「法華経妙音菩薩品」がそれであるとされている。
南北朝時代には南朝の拠点の一つとされたが戦渦に巻き込まれ衰退していった。その後信長によって焼き払われたが、秀吉の援助でその後復興している。
江戸時代は徳川家の援助を受けて栄え、真言宗から天台宗に改宗した。1845年の山火事で仁王門以外の伽藍を焼失し、現在のものはその後に再建されたものである。
(以上は、西国三十三ケ所巡りガイド より)
駐車場からの往復と参拝で2時間以上掛かってしまい、脹脛の筋肉に違和感「こむら返りの前兆の痙攣か?」やばいです、ほぼ一日分の体力を使い切った感じがしました。
巡礼の方は少ないようで「散歩を兼ねたハイキング風」の方が多いように感じました。
回り道をしたことと、山頂までの往復に時間が掛かってしまったことで、夕方の1番札所 那智山 青岸渡寺の納経時間に間に合うか心配です。
次は、3番札所 風猛山 粉河寺へ移動開始です。
南無大師遍照金剛 & 南無観世音菩薩 & 合掌