27番札所 書寫山 圓教寺

 

山号 - 書寫山

寺号/通称 -  圓教寺/西の比叡山

札所本尊 - 如意輪観音 

御開帳時期 - 1月18日

宗派 - 天台宗

住所 - 兵庫県姫路市書写2968

 

書寫山圓教寺は第二十七番霊場

ご本尊の六臂如意輪観世音菩薩は摩尼殿にお祀りされています。

西国巡礼の縁起は、花山法皇御出家の後、徳道上人が埋納したとされる宝印を摂津中山寺で掘り出し、霊場を巡拝されたことから始まります。各札所の御詠歌もこの時に詠まれました。

徳道上人(656~735)は書写山にほど近い播磨国揖保郡矢田部の里でお生まれになり、長谷寺を開創された方です。徳道上人は62歳の折(養老2年-718-)病のため一度亡くなられます。しかし冥土で閻魔大王に出会い、衆生の滅罪消滅のために三十三箇所の観音霊場を巡ることを勧められます。巡礼により人々を救うようにとの閻魔大王からの託宣を受け、起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されました。その後徳道上人は摂津の中山寺に三十三の宝印を納め亡くなられます。

それから約270年後、花山法皇は御出家されたその足で播磨国書寫山圓教寺の性空上人をお訪ねになります。そして上人のお勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人と共に三十三所霊場を巡礼したことから、貴族達の観音信仰に発展します。巡礼という形で庶民の間で一般化するのは室町時代以降といわれています。

平成30年(2018)は徳道上人が亡くなれてから数えて1300年の記念すべき年にあたります。(以上、お寺のHPより)

 

舞台造りの 摩尼殿 

 

回廊部分が舞台造りで 京都の清水寺の1/3~1/4くらい

 

摩尼殿に入って左に びんづる尊者様

 

御詠歌御朱印の墨書

 

納経軸の御朱印

第二十七番札所 書寫山 圓教寺/西の比叡山の解説

西国三十三箇所第27番は兵庫県姫路市にある圓教寺(円教寺)です。西の比叡山と称されるほどのお寺であり、比叡山、大山とともに天台の三大道場といわれるほどの立派なお寺です。

さらに、西国三十三箇所の中で最大規模のお寺になり、お寺へはロープウェイで上る形になります。昔の人はこの山の上にこれだけのお寺を立てたわけですから、やはりすごいです。966年性空上人の開基であると伝わっております。

非常に広く立派なお寺で、まさに昔にタイムスリップしたかのような場所ですよ。奥の大講堂や食堂はラストサムライ、武蔵などのロケ地になったことでも有名です。山全体がお寺です。

ご詠歌 :はるばると 登れば 書写の山おろし  松の響きも 御法(みのり)なるらむ

真言  :おんはんどめい しんたまに じんばら うん

拝観料 :500円 (ロープウェイは別途)

開門時間:8:30~17:00

(以上は、西国三十三観音霊場ガイドより)

 

朝6時から摩尼殿で朝のお勤め、宿坊の円教寺会館には20名くらいの研修生のグループも宿泊していましたが、朝のお勤めに参加したのはご住職と私の二人だけでした。

40分程度の読経の後にご住職と二人で20分程度話す事が出来ました。

四国八十八ヶ所霊場のこと、各お寺の納経所の対応の話、巡礼を重ねるのであれば「先達になる」という目的を持つのも一つの方法等、そして、納経軸の番外やお礼参り、巡礼者の宗派の本山の御朱印など、いろいろな選択肢があることを教えて戴きました。

朝食の後、出発準備をして霧雨から小雨に変わったのでビニールカカッパを着用して、再度摩尼殿の納経所へ歩いて向かっていると、清掃中の職員の方から「8時30分にならないと納経所の担当者が来ない」と教えられ、近くのベンチに座って待ちました。

 

職員の方が来られ納経帳・納経軸に御朱印を戴いた後、「朝方からの風と雷でロープウエーが運転見合わせ中だ」と言われ、宿坊の職員と電話で話された結果、お寺の車で昨日迎えに来て頂いたロープウェー乗り場まで送って頂くことになりました。

 

宿坊の円教寺会館は、お風呂・トイレは別で12畳敷きの和室に一人で朝夕の精進料理が食べられて、一泊で9180円でした。

ネットもWi-Hi環境が整っていました。

 

今日から一日に一つの霊場の巡礼記事をアップしていきます。

 

 

南無大師遍照金剛 & 南無観世音菩薩 & 合掌