高知は
昨夜から、雨ですね
残念…ショック!
運動会が順延となりました

☆ここからは
南国市戦跡記事のつづきとなります

琴平山トーチカ一号

桜花  高知戦争遺跡
破壊されたコンクリート片

桜花  高知戦争遺跡
写真右手の台座は?

桜花  高知戦争遺跡
唯一原型を留めている
(掃除前はたっぷり堆積物が乗っていた)

桜花  高知戦争遺跡
天板に鉄筋が数箇所あるのだが…

桜花  高知戦争遺跡
切断面を見るに機械的に切られた様子

爆破前に処理されたと思われます

この台座、残念ながら用途は不明…
(ひきつづき調査は続行します)


このトーチカには
二門の砲が横2列入っていました


桜花  高知戦争遺跡
南側の一門はこちらの土佐湾、太平洋側を守備



桜花  高知戦争遺跡
北側の一門はこちらを

桜花  高知戦争遺跡
アップにすると中央に
高知龍馬空港の管制塔が…

立地から考えるに…
この砲、高知海軍の空港を狙い
空港占領目的の上陸してきた米軍に対して
砲火する予定だったと思われます


桜花  高知戦争遺跡
無事に調査を終えて帰り道

戦時下、沢山の兵士もここを幾度も通った…

平和の今、考えるに

その心境は計り知れません…
                    
琴平山 トーチカ1号記事 
                            おわり








昨日は朝から財務省へ
無事に、アジア・太平洋戦争時に高知県に存在した
浦戸海軍航空隊基地及び
郷土部隊、歩兵第44連隊関連の
情報開示が済みました

それから
四国シンポ用の原稿を
無事にDさんにお渡し出来ました

と言っても
簡単な箇条書き報告書と地図となりますが…

発表のシミュレーションもまだでしていない…
こんなゆっくりしていて大丈夫なんでしょうか?
我ながら
いつもこんなオットリ刀で
ホントにもう…って感じです

どうして?
一言で言えば
やっていることが多すぎだから…
一日が短すぎる…

☆さてこの先は
高知県南国市の戦跡つづき記事となります

琴平山の頂上から東に尾根伝いを歩くと
前回の交通壕を横切り
このトーチカ跡に到着します
桜花  高知戦争遺跡
ここを琴平山 トーチカ1号としました
戦後、
進駐軍に爆破処理されて
現在はこの様な状態になっています。

山斜面を掘り取り、窪地にしてそこにトーチカが造られました。
(写真は下から上に見上げています)

桜花  高知戦争遺跡
(こちらは上から下に見下ろしています)
トーチカ跡に広範囲に若木が生えてきています。
木のおかげで写真には写りにくいですが
写真右下に台座が残っています。

桜花  高知戦争遺跡
上写真のアップローアングルとなります。
木の下には
沢山のコンクリート破片化した残骸が散乱しています

現在の神主さんは
当時は子供で、日本兵が駐屯していた時に
このトーチカの中に入り
砲も実際に触らせてもらったそうです

                         つづきます…

昨日もとってもいい天気スマイルくん

久礼の大正市場へ行きました
凄い…!
市内の日曜市より、いっぱいの人出
なんと年に一度のカツオ市が開かれていました
イベントや屋台が沢山ありました


☆ここからは
前号、高知県南国市 琴平山の戦跡つづき記事となります。

先日紹介した弾薬壕を出て、尾根に戻り東に
ゆるく下ると左手に大変大きな石碑があります

桜花  高知戦争遺跡
この「表忠碑」高さは4mに近いです
右横に
陸軍大将 一戸兵衛書(いちのへ ひょうえ
1855年~1931年)とあります

この方は青森県出身にて
軍歴1877年~1919年
西南戦争 日清戦争 日露戦争を体験されています

この表忠碑がいつ頃、建立されたのかは
まだ確認出来ていませんので、後日の課題とします

さらに東に進むと尾根は下りを増しますが
道なり直ぐに
この交通壕をまたぎます


桜花  高知戦争遺跡
写真では解りづらいですが
この交通壕かなりの深さがある(現在でも軽く2m超える、戦争当時は恐らく3mは超えてたであろうと推測します)と同時に堆積物も多いです
軍の規定通りに
爆風圧から逃れるため屈曲し、深く掘り込まれています

桜花  高知戦争遺跡
落ち葉も多いですが…

桜花  高知戦争遺跡
木の根も凄いです。
この交通壕はトーチカへ繋がっていますし、勿論弾薬壕へも
結局は各方面へ伸びています
この要塞と化した山にはこの様な壕が
沢山戦跡として残っています
                            つづきます…。

昨日は晴れて、とってもいい天気!
仕事場の窓から見える外の木々の新緑若葉が風に揺れて
美しい!風があのトトロの猫バスの様に見えます
気分も爽快です

ここからは
南国市 琴平山戦争遺跡関連の記事となります

さて前回の御神馬を過ぎて、東方面の奥に行くと
右手に澱んだ直径約6m程の池があります
その池から少し東に行き南側を注意して見ると
不自然に木々が途切れて下る踏み跡があり
追うと、直ぐにこの、弾薬庫の入り口壕が見つかります。

桜花  高知戦争遺跡
この周辺にある
高さと横幅各2m級のものと比較すると
やや小ぶりとなりますが
しっかりとした特徴があります。
(内部からの風が感じられます)

桜花  高知戦争遺跡

入り口直ぐに天井の崩落がありますが
最近に崩れたものではありません

桜花  高知戦争遺跡

内部の丁度中間地点あたりで
防爆風隔壁が存在しています
この壁が、この壕の最大特徴です

桜花  高知戦争遺跡

右に90度折れてから
壁をかわして、また直線となり
(しかし、この天井壁にある大きな石…
よく落ちずに…まるで浮いている様に見える…凄い)

桜花  高知戦争遺跡

北側の開口部に繋がります。

東西に走る尾根の下を
南北に貫通させた壕です
南に向いた開口を持つ壕は大変珍しく
何故なら、眼下に広がる南側は土佐湾にて
連合国軍の艦砲射撃を受けると直撃弾が当たる可能性があり
大変キケンです。

そのため、内部には爆風が直接抜けて多大な被害を出さないように
防爆壁を存在させたと思われますが、その効果は…

次回はこの壕の東にある物につづきます。


昨日は休みでした
新しい職場は休みが多くて
嬉しい限りです

☆ここからは
高知県南国市 琴平山戦争遺跡記事となります

この山の頂上には琴平神社があります

桜花  高知戦争遺跡
海の神様ですので、漁業関係の方達や
自分もサーフィンをするので
初詣は勿論のこと、時折り寄らせて頂き、安全祈願をしています

お正月には沢山の人出があり、とても賑やかになります
子供の時に
、よく連れてきてもらいました
その、お祭りの規模は自分の子供だった頃と殆んど変わりません

(とても嬉しかった、下記の御神馬も小さかった手で
一杯ペタペタした思い出があります!)

その時のままで、時代が止まった様な感じにて
懐かしくて
何度行っても、昔を思い出しては
こっそり、独りでホロッしょぼんとなっています

桜花  高知戦争遺跡
本堂の横には
御神馬があります
この馬は太平洋戦争中には既にありました

金属物資枯渇にて
このブロンズ像も連れて行かれそうになります

神主さんに無断で倒されて
供出されそうになりました
それを知った神主さんは引っ張って行くのを止めました
桜花  高知戦争遺跡
(倒されて耳が折れてしまいました
セメントで修復されていますが
その傷が現在でも、生々しく残っています…)


この大変
神聖な場所ですが…実は…

アジア・太平洋戦争戦時下において

この山蓮の全体が要塞と化していました

戦争末期に、本土決戦、四国防衛のために
この南国市南岸には大きな部隊が配属され展開していました


                                             
                               つづきます…

一昨日は
家の裏に生えた雑草を、ブーンと草刈り機で
カットして…

って、いつも、思うんですが
やっぱり2stエンジンは素晴らしい!

う~ん…しかし、最近はエコブームで
数年前に、新車部門において
2輪界から2stは姿を消しました。
(レーサーは別)

でも、考えてみるに
あの2st機構は無駄な動きがない
単純機構で合理性にとんだ計量メカニズム
但し、耐久性と燃費と排ガスは度外視…
(ポップ吉村はここが嫌いだった?)

その分
吹き抜ける様で突き上げる様なハイパワー!
(当たり前と言えばその通り、4stの二倍、動くからね)
かからなくなったエンジンも
2stなら、なんとかかかるんじゃないみたいな感じがするし

例えるなら
ほっとけない、じゃじゃ馬チックな彼女みたいな感じ…

話が、それすぎました。
それで、あの草刈り機のエンジン
空冷単気筒で、結構回る!
真夏の運転でも、ほとんど熱ダレしない(空冷なのに!)
こちらの、ボデーのほうが、ちゃがまります。

先日は草刈機エンジンに
普段使っている、オイルのホンダのGR2が途中で無くなって
さて困った…。
探しても、どうしてもないので
KDX250RとCRM250ARに使っている
ヤマハの高い2stオイルを
草刈機に混合して使ってみたところ
これが、ビックリ!
なんと、回転がスムーズでエンジン音が間違いなく静かになりました。

う~ん、正直驚き!ここまで変わるとは!
4stエンジンにおいて、高級オイルの違いは歴然ですが
2stエンジンもなかなかです!
また一つ、勉強になりました!

☆ここからは戦跡トーチカのつづき記事となります。

『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究


桜花  高知戦争遺跡

このトーチカには下記の図と同じ仕様で
内部にはまさしく、野砲が入っていました。
桜花  高知戦争遺跡

この野砲が火を噴くことが無くて本当に良かったです!
連合国軍にむけて
撃つ様な事態になれば、もうこの後免も、香長平野
さらに高知も壊滅状態に秒読みだったはずです。

そうなれば、現世において
南国市の仲間の4人に1人はいなかった計算になります。
当然、自分も
この場に、いないかもしれません。



南国市 野砲用トーチカ記事
                                おわり

                  
 



昨日は娘2人に
どこ行く~?

妹は空港トリム広場!オムライスのお弁当を持っての!
って、即答あり

姉はセレネ!

(私の希望、高知龍馬博と須崎方面への遊びは瞬殺されてしました)

さて、姉は最近塾も頑張っているため、セレネのプールに決定し
妹も途中から気分ノリノリで、レッツゴーとらねこ

この施設
半屋外式の温水プールと、サウナやお風呂もあります

季節を問わず、ちょくちょくいきますが
まだ、5月ですので、外はやはり寒い
そんなこと、おかまいなしに子供達はパワー全開!
たっぷり泳いで遊んで

こちらの、もう帰らない?の質問に
まだ遊ぶの返事…べーっだ!(いつものお決まり返答)

隣接するアンパンマンミュージアムは
わっさの人、子供達も一杯です!

こちらプールは空きすきで、ほとんど貸切状態です

屋内の、西日の当たるお風呂につかりながら外を眺めると
外で芝生の上をハイハイする赤ちゃんがいました
赤ちゃんは両手を一生懸命突っ張って
フラフラしながら、頑張っています!
おばあちゃんも、兄弟も応援しています
皆さん、笑顔です

なにげない光景かもしれませんが

平和の素晴らしさを、ヒシヒシと感じてジーンときます。

感謝!




今日の高知は昼から晴れて
とっても気持ちいい!
窓の外を眺めると、緑がいきいきしています!

仕事は定時に終わり
仲間と少しだべって、帰るこの余裕!
先月と大違い!精神的な苦痛から開放されて…。

☆さて、ここからは戦跡のつづき記事となります。


桜花  高知戦争遺跡

この壁面、凄いです。
川の石を石垣様にグッとはめこんでいます。
当然下から積み上げる行程ですが、大変な作業です。
いままで、トーチカ戦跡をかなり見てきましたが
この様な立派な仕上げは初めてです。


桜花  高知戦争遺跡

掃除をすれば見違えるのは
間違いありません。

                                 …つづきます。

昨日は
お天気もよく
馬路温泉に行きました。
昔ながらの、昭和の温泉でした。

デーゼルエンジンの汽車も走っていましたし
インクラインの角度35度勾配もよろしく
そのケーブルカー様の応用機構に感心しながらフヌフム

帰りはいつもの
安芸のお魚屋さんに寄って購入!

桜花  高知戦争遺跡
ここのお魚屋さん
日曜もバッチリ開いていて
お客さんも
お魚も種類もい~ぱい!
鮮度もバッチリ!
売れると直ぐに、また保冷庫から
わっさ出てくる!その勢い…凄いです!
いつも、刺身に出来る程の鯖が並んでいます。

中央卸売り市場の
お店より間違いなく、立派な品揃えと低価格です。


前病院の月末から続いた5連チャンの日勤がようやく
終わりました!
優しい皆が、ねぎらってくれました。
正直驚きました!

新たな勤務地は17時チンで終わります。
私にとって
それは凄いことです!
仕事において、現在それが一番嬉しいことです!

☆ここからは野砲トーチカ続き記事です。
桜花  高知戦争遺跡

もともと、この場所は物部川の堤防でした。
(現在も旧堤防の痕跡が、しっかりと残っています)

その堤防から
敗戦間近の四国防衛準備下において
溯上してくるであろう連合国軍を狙っていました。

あの終戦日の明くる日1945年8月16日に
手結の震洋艇が
大爆発事故を起してしまいました。

その時にここに駐屯していた兵士達は
ついに、連合国軍の攻撃が始まったと錯覚して
実際に
この野砲に砲弾、弾薬を運びこみ準備したと…

今年の3月の取材により、上記の証言を得ることができました。


                        つづきます…。