H23年11月27日の

先日、愛媛大学構内にて

戦艦『大和』最後の語

八杉康夫氏の『重油の海から』講演会が

開かれました


桜花  四国高知戦争遺跡

八杉氏は広島県福山市出身の方です

まずは、親に内緒で海軍試験を受けて合格された

昭和18年に15歳で後大竹海兵団に入団し

昭和20年戦艦『大和』の乗組員となられ

大和沖縄特攻に参加する

その沖縄に向かう途中の

昭和20年4月7日、九州坊ノ岬沖南西で

アメリカ軍の空母艦載機の猛攻撃を受けて爆沈し

その時に3000人中の91%がお亡くなりになった


生きた残られた僅か9%のお1人との事でした
桜花  四国高知戦争遺跡 八杉さんは

自分のイメージしていた方とは

全く異なっていました

あの超弩級戦艦『大和』に乗り

沈没、生還された方ですから

正直に言いますと

恐ろしいくらいに厳格な方であるのではと

勝手な想像していました

しかし、それら考えは

八杉氏が登場した瞬間に一掃されました

最初の挨拶から喋り方はとても丁寧で言葉も選ばれて

優しいスマイルも多く

聴いていて時間を忘れてしまうほどに

引き付けられました


海軍に入る前の経緯から

大変解りやすく説明をされました


終始、聴衆側は、誰一人として私語をせず

聴き入りました


全てにおいて

とにかく『スマート』な方でした
桜花  四国高知戦争遺跡

八杉氏は測距員にて

大和の一番高い位置の測距儀室にての

任務にあたっており

沈没をその場所で迎えたと説明されていました


沈没直後の話も

初めて聴くことばかりで驚きました

桜花  四国高知戦争遺跡
写真中央やや左の

板網状のアンテナのすぐ下が測距儀室です


会場は200人越えでした
桜花  四国高知戦争遺跡
八杉氏は

平和がどうとか、戦争がどうのとかいう話はされず

自分と大和とのエピソードを語りつづけました


私自身はそこから

それらのことから

今の平和を

自分自身で考えてみなさいと感じました


最後には

生きているなら

意味を持ち、生きた証をもつこと

若者には

『これからの日本をおまかせしますよ!』と

元気で大きな声を出されて

笑顔で締めくくられました


感動しました

こんな心に響く講義は今までなかったと思います

聴かせていただいて本当に光栄でした


愛媛の講演会関係者の皆様お疲れさまでした

宇和島のYさん本当にお疲れさまでした

手配等、お世話になりました

厚く御礼申し上げます

ありがとうございました

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先日の11月25日

高知から幕張メッセに出張しました


その時に見た画像です
桜花  四国高知戦争遺跡
エスカレーター乗り口地面が

うねっています


桜花  四国高知戦争遺跡
階段側壁の化粧版にもズレが生じて

コーキングが切れるどころか外れています


桜花  四国高知戦争遺跡
地面の亀裂は花壇の立ち上げにもはしり

ズレている


桜花  四国高知戦争遺跡
本来は水平地盤も

現在は子供も真っ直ぐには歩けない程の傾斜段付きに

桜花  四国高知戦争遺跡
階段支柱根元のGLが上がったのではなく

周囲地盤が下がった


液状化の跡を初めて見ました

その横で平然と何事もなかったかの様に建っている

超巨大ビル群…

不思議でなりません
桜花  四国高知戦争遺跡  

街は普通に動いていました


この地も東日本大震災時は

かなり揺れたとあります

桜花  四国高知戦争遺跡

あの日から8ヶ月経った今でも

復興作業中です

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話は変わりますが

明日は四国の愛媛大学で

戦艦『大和』の最後の語り部

八杉康夫氏の講演会が13:30~開かれます

大変、貴重です

是非、聴きに行かさせて頂きます



先日、高知から東京出張にて

旧日本陸軍の

近衛師団司令部庁舎を訪れました


場所は東京都千代田区北の丸公園内にて

皇居の北側、日本武道館の南隣になります



かつては天皇と皇居を守る

陸軍近衛師団司令部の庁舎でした
桜花  四国高知戦争遺跡
重要文化財指定され

整備や管理が、大変行き届いています


桜花  四国高知戦争遺跡

煉瓦造り、スレート葺き

左右対称、ゴシック調のこの建物は

1910年(明治43年)に

陸軍技術師の設計で建てられ

天皇親衛隊である近衛師団にて

全国から選抜された兵士で構成されていました
桜花  四国高知戦争遺跡 (南正面玄関)
ここで

敗戦宣言前日の1945年(昭和20年)8月14日深夜

大事件がおこる

降状を阻止し、あくまでも徹底抗戦するために

一部の陸軍反乱将校が、クーデターを起こした

そのクーデターに同調しなかった近衛師団長に迫り

全師団に出動命令を出す様にと、脅迫した

それを拒否した師団長は射殺される


その後、偽りの師団命令が発せらた

それにより、近衛師団の一部を動かし

天皇の『終戦詔勅』を録音した

レコード盤を奪取し破棄しようと計画し

近衛歩兵連隊を動かし宮城(皇居)を一時占拠し

探し回ったが失敗に終る


レコードは皇后宮職事務室の軽金庫に

他の書類に混ぜられて保管されていたので発見されず

早朝には説得などが行われ鎮圧に向かい

部隊は撤収した


その後、レコードは放送会館に向かうが

念を入れて

正式な勅使らしい偽物をしたてつつ

本物は粗末な袋に入れられて木炭車で運ばれた


8月15日正午に玉音放送は流されたが

1時間前に反乱将校主要人物が自決

さらに、30分前には突如憲兵将校が

放送会館のスタジオ前で軍刀を抜き

放送阻止のため部屋に乱入しようとしたが失敗

取り押さえられた


こうした背景がありしも

ようやく

日本の『降状放送』は流された
桜花  四国高知戦争遺跡
(北側、建物裏側)

戦後この建物を壊す計画があがったが

1972年10月2日に国の重要文化財に指定されて

1977年より、東京国立美術館工芸館となり

現在に至っています
桜花  四国高知戦争遺跡
通気孔にも陸軍のマークが施されています

桜花  四国高知戦争遺跡

終戦告知間際の前日に

こんなことがあったとは

一般の方は知らないと思います…

ここで、こんな悲劇があったとは

現在の美術館は平和そのものであり

全く想像もできません

日本人が同じ日本人を…

戦争とはどこまでも悲しいです

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先日、高知より関東へ出張しました。
桜花  四国高知戦争遺跡 東京アクアライン『風の塔』川島人工島

(本文とは関係ございません)

さて、今回は渋谷を拠点として活動します。東京、3日目の朝一はJR山手線、通勤ラッシュの中で(って言っても、近くなので短時間)池袋に向かいます。

皆様は
池袋のサンシャイン60の存在をご存知だと思います。

しかし、60数年前にここに何があったのかを知っている人は

少ないと思います…
桜花  四国高知戦争遺跡

サンシャイン60を含む、その周辺一帯は『サンシャインシティー』と呼ばれる複合施設ですが…

その昔、ここは東京拘置所があった場所です。

その拘置所はアジア・太平洋戦争終戦直後からの一時期

別の施設として利用されました。

その名は『巣鴨プリズン』

(プリズン=刑務所)
桜花  四国高知戦争遺跡

巣鴨プリズンとは日本が戦争に負けて、米国をはじめ連合軍により一方的に、戦争犯罪人とされた人達を収監した施設にて、昭和20年11月1日~昭和33年5月30日まで、敗戦国の戦争指導者とされる方、何らかの理由で戦争犯罪に問われた人達が収監され、一部の方が、ここで絞首刑にされました。


その巣鴨プリズン跡地の一部の痕跡が、現在のサンシャイン60ビルの北東側の東池袋中央公園にあります。


桜花  四国高知戦争遺跡

公園正面入り口



桜花  四国高知戦争遺跡

この都会ビルの中での緑の木々が沢山あり、人々の憩いの場所で、とても優しい公園です。

その公園一角、周囲より一段上がった所に石碑があります。

桜花  四国高知戦争遺跡

石碑の前面には『永久平和を願って』と彫られています。

実は、この場所はA級戦犯とされた7名とB、C級戦犯とされた52名の、絞首刑が執行された処刑台跡地に建立された碑です。
最初の絞首刑執行は、戦後3年4ヶ月経った1948年12月23日、午前0時1分~35分。A級戦犯とされた東條英機元首相をはじめ7名の執行がされました。


A、B、C級戦犯とは連合国が便宜的に分類しものだそうです。

A級戦犯:戦争を遂行した国家指導者

B級戦犯:戦場で命令する立場にいた指揮官など

C級戦犯:実行した兵隊など



桜花  四国高知戦争遺跡

(公園見取り図)

左側が公園の正面入口となります(上4枚目の写真の場所)

この図での左上の縦長方形の場所が石碑がある場所です。

桜花  四国高知戦争遺跡

後面に彫られた碑文


桜花  四国高知戦争遺跡

この大都会の開発が進んだ場所に、あの戦争直後に生まれた『巣鴨プリズン』

A級戦犯で7名が死刑になりましたが、病気や衰弱で獄中死した方も7名もいます。そしてBC級では1,061名が死刑判決となっています。

A級戦犯にされた内の7人は1948年12月23日午前0時1分~35分にかけて、13階段の処刑台は4台あり、2回に分けて執行されました。


この12月23日は当時の皇太子、現在の天皇誕生日です。GHQは、この日に執行を指示し…

何故この日と決定したのでしょうか…


一方、勝戦国の連合国側に戦後、その様なA級戦犯等の罪に問われた人はいません。
1923年ワシントン軍縮会議で設置された戦時法規改正委員会において日本、イギリス、オランダ、アメリカ、フランス、イタリアが署名、定められた『交戦法規』その要旨は…

①一般住民、非戦闘員に危害を加えてはならない

②軍事目標以外を攻撃してはならない

③不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使用してはならない

④捕虜を虐待してはならない

となってます。


話は飛躍しますが、あれほどの犠牲をだした広島、長崎に投下された非人道的原子爆弾は明らかに上記、戦時国際法『交戦法規』の①②③に違反しているのに一切の処罰はなし…

原爆投下を計画し、実行を命じ、これを黙認した人間がいる、これは明らかな戦争犯罪であるのにも関わらずに…


どうなのでしょうか…

桜花  四国高知戦争遺跡
私は学校の教育で、これら『戦争の裏側』を全く習いませんでした。こういう過去に実在したことを皆様に知ってもらい…知るべきだと思います。

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そして、戦争が残した大きなもの…それが何であったのかを、真剣に考えていただきたいと思います。

戦艦『大和』
桜花  四国高知戦争遺跡  

先日、愛媛の仲間の八十島さんより封筒が届きました。

内容は講演会の案内でした

桜花  四国高知戦争遺跡

桜花  四国高知戦争遺跡
桜花  四国高知戦争遺跡  桜花  四国高知戦争遺跡













桜花  四国高知戦争遺跡  桜花  四国高知戦争遺跡

あのアジア・太平洋戦争で沈没した時に乗船していた大和の乗組員の八杉康夫さんが、目の前でお話しをされる…大変貴重で凄いことです。


H23年11月27日(日曜)13時半~

愛媛大学のホール・南加記念ホールで講演会が開かれるとのことです。

桜花  四国高知戦争遺跡
桜花  四国高知戦争遺跡  

※席の予約したら間違いなしです。皆様行きましょう!一人でも多くの方、特に子供達に聴いていただきたく思います。



私も必ず行きます!八十島さん講演企画を有難うございます。

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先日の

H23年10月26日付け

高知新聞朝刊記事『土佐あちこち』に

掲載していただきました
桜花  四国高知戦争遺跡
この記事は

私の気持ちや活動を

凝縮して非常に解りやすく説明してくれています

一人でも多くの方に昭和の戦争を知っていただきたい


谷川記者様

いつも有難うございます。感謝!

今後も頑張ります!         ペタしてね


先程

無事に関東出張から帰りました


桜花  四国高知戦争遺跡

今回は

東京~千葉の戦跡調査でした


後日、今回出張の調査記事もここで

アップしようと思います        



帰るとポストには

高知の戦争原稿ゲラが届いていました

ダメだし箇所がたくさんある…

直さなければならぬ…焦り…おばけ

        

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先日のH23年10月19日の朝刊に掲載されました

一昨日の旧海軍砲台発掘発表記者会見には

新聞社3社

TV局も3社

他、2社さんがおいでくださいました


まず私達県民の

高知新聞から
桜花  四国高知戦争遺跡
アップ↓
桜花  四国高知戦争遺跡

谷川記者様、遅くまでのお付き合い

本当に、ご苦労さまでした


つづいて

朝日新聞社さん
桜花  四国高知戦争遺跡 中島さんの記事は

ビシッとコンパクトにまとまっています


最後は

読売新聞社さん
桜花  四国高知戦争遺跡
砲台構造物と火薬壕の中までバッチリ!

内容も、とてもいいし

森本記者さんのトーク最高でした


皆様、足元や天井が大変危険な状況での

取材遂行

ご苦労さまでした


今回お世話になりました

新聞社様、TV局様

絶対怒ることのない優しい谷川記者様

また統括してくださいました

F・Y様、有難うございました


今から関東へ戦跡調査へいってきます  ペタしてね

本日H23年10月18日

今月10月3日に高知県で発掘した

旧日本海軍の構築砲台の

取材を受けました


先日、F・Yさんが各社に情報を配信した結果

TV局はNHK 高知放送 テレビ高知の3社

新聞社は

高知新聞 読売新聞 朝日新聞

ほか共同通信社 高知民放の方々が集まりました
桜花  四国高知戦争遺跡

人もいっぱい

乗り合いにしても

車もいっぱいです


桜花  四国高知戦争遺跡
目指すは砲台

そこに行くまでにも

砲台構築や爆破痕跡があるので

説明しながら向かいます


桜花  四国高知戦争遺跡

どうです、この記者さんの肩の入れ具合

みごとでしょう!

(なかなかのこの技…ただものではない)

最後の登り約30メートル弱を

皆さん足元滑りながらも、気合で上られます

大変なのがTV局のカメラさんと

大型三脚を担ぎ上げるスタッフさん

気の毒でなりません


私が先導しておりましたところ大失敗

頭弱の石を転がしてしまいました

「落!ラク!ラク!」と叫んだところ

読売新聞記者さんに直撃するところを

見事ギリギリでかわしてくれました


本当に、ごめんなさい

またよけて下さって有難うございました

もうちょっとで、おおごとになるところでした


桜花  四国高知戦争遺跡

砲台正面がその30メートルの下り急斜面のため

正面の絵を撮るとなると

急斜面の途中で

この体制に為らざるを得ない

凄い!さすがプロです

重いカメラをこの斜面で固定している

皆さん肘や膝はもちろん土が付いて

帰りはスキー場

滑り台のチャンピオンコース様になります



桜花  四国高知戦争遺跡

そこからのプロアングル写真は

こうなります



桜花  四国高知戦争遺跡

TV局各社さん

今日の会見を放映してくださいました

事前に仲の良い友達にはメールしましたが

別の、あちこちから

メールやTELが鳴りました

皆よくTVを見てるんだなと思いました

メディアの力を改めて感じました


しかし…その文字予告画面(笑)

▽あったかメニュー②ブリちまきち…なんぜよ!

まけたぜよ!


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先日は高知県で発掘した砲台の調査に行きました。



この旧海軍砲台は進駐軍に爆破処理を受けていますが、ほぼ無傷状態で見事な保存状態です。
桜花  四国高知戦争遺跡

(正面図)

コンクリート製の大規模戦争遺跡です。構築は太平洋戦争末期にて本土決戦用となります。大正時代に造られた砲台とは

全く異なる形状です。


桜花  四国高知戦争遺跡

(上からの図)

防護壁の高さも半端じゃありません。


その次に、今月の10月3日に発掘した海軍砲台の調査に行きました。この砲台も進駐軍に爆破処理されています。
桜花  四国高知戦争遺跡

左側の側壁が飛ばされ、水平天井が傾斜しています。その側壁の一部は30m下の谷底へ転落していますが、奇跡的にほぼ原型を留めています。



桜花  四国高知戦争遺跡

天井の一部も裂けていますが、このおかげで内部構造が解りました。

桜花  四国高知戦争遺跡

軍極秘資料によると、ここ海軍の砲台には、この形式の砲が設置されたとあります。



これら2つは海軍の砲台ですが、興味深いことに類似点が殆どありません。

詳細はまた後日に報告します ペタしてね