ようこそお越しくださいました。
ツカガシラと申します。
気が向いた時、日常の出来事が書き留めればと思っています。
宜しくお願いいたします。
名前は『タマ』です。
昨日拾った子猫。
名前が決まりました。『タマ』です。
結局、名前が付いて家の子に成ってしまいました。
そして今日、タマをお医者さんへ連れて行きました。
目ヤニでベタベタですから。
我が家の掛り付け獣医さんの受付のお姉さん。
「今日は誰ですか?」
私。
「今日は新患でお願いします。」
お姉さん。
「今日は何?」
我が家はこちらの病院では、チョイと顔なのでしょうか?
今まで私が持ち込んだ患者は、犬・インコ・リクガメ・ハトくらいなんですが...。
私。
「今日は子猫です。」
(ちなみに、ネコの持ち込みは私は初めてです。)
そして、同行した娘と息子が。
「昨日、拾って来たの。お父さんが!!」
「お母さんネコが死んじゃってて...。」
大きな声で、昨日の出来事を洗いざらい...。
この手の病院の待合室(近年は特に)は、言っちゃ悪いがペットボケと言いかすか、ワンちゃんネコちゃん『命』の方の社交場
みたいなもので、一瞬でタマは悲劇のヒロイン(雄だからヒーローですか?)に成ってしまいました。
でも、周りの注目を浴びたのも束の間。
タマの状態を見て、スタッフから「他の子に感染する恐れがあるので、申し訳ありませんがお車でお待ち下さい。」の指示。
潮の引くのは早いものです。(^^;
診断の結果、生後約40日。
ネコクラミジアだそうで、点眼薬と軟膏、それと飲み薬をもらって来ました。
それほど、酷くは無いからきれいに治ると思います。との事でした。
親子の迷い猫
数日前より、ご近所に親子の迷い猫が住みついていると聞いていた。
人慣れした親子で、子猫などは鳴きながら近寄ってくるほどだと。
はじめ3匹いた子猫が1匹に成り、心ある方が拾って行かれたのだろうか?
そんな話も耳にしていました。
私は毎朝、犬の三太の散歩でその辺りを歩くのだがその親子を見掛けた事が無かった。
ここ数日は、夏休みに入った娘と二人での朝の散歩。
何時もは娘しか付いてこないのに、今朝は女房と息子も遅れて合流。
そんな、散歩も帰り道。
話に聞いていた迷い猫親子を発見。
母親は横たわり、子猫は盛んにちちを吸っている。
うちの子供たちにとってはじめてみる風景。
「近寄っちゃダメだよ」と制しながらも、つい自分らも足が前に。
遠目から見たらほほえましい姿。
でも、近寄ってみたら、母親の毛は昨日来の雨でぐっしょり濡れ、口元からは赤い血が流れていた。
車にでも跳ねられたのだろうか?
道路から少し入った私有地で息絶えた母猫。
子猫は私たちの姿を見つけると、大きな声で鳴きながら近寄って来ました。
もちろん、私の足元には三太が居るのに。
このまま放って帰る事も出来ず、私は子猫を抱き上げてしまいました。
顔は目ヤニでくちゃくちゃ。
元気に泣き叫ぶだけが、救いでしょうか。
娘と息子は早速名前を色々考えています。
この先、この子はどうなるのかなァ。
抱き上げた本人が、チョイと頭を悩ませています。
やさしさ?
そんな中、先回行った車いす体験に対する各自の感想を持ち寄るのですが、私の体験で感じた事の一つに『周囲からの視線を感じなかった』と言うのがありました。
行動を共にしたメンバーとの討論でも同じく感じなかった。
もっと見られるのでは。と思っていた。という意見でした。
でも、よくよく聞いてみると。
「奇異な目で見られなかった。特別視されなかった。だから、周りの人々はやさしかった」と、言うのです。
私は「関わりを持ちたくないから。」(最悪かな?)視線をそらす。「車いすが街中を走る事が珍しくない社会に成って来たのだろうか?」(チョイとマシ)そんな感じで街ゆく人々を見ていました。
『やさしさを感じた』と『冷たさを感じた』正反対の感想。
私がひねくれてるのだろうか?
我が身を振り返って考えてみて...。
先日の体験中に盲導犬を連れた方が駅の自動改札に上手く向かえず手間取っている
姿を目撃したが、何も出来なかった自分を思い出した。
『やさしさを感じた』と言われた方々は日常的に障碍を持った方たちと接している方で、日ごろ「特別視はされたくない。ただ、何かの時は手を貸してほしい。」と聞いている。と言われてました。
「何か手伝う事は無いだろうか?」
「困ってはいないのかなァ?」
そんな思いで見守るというか、視線を送る?ってこともあると思うんだけど。
そう思う事自体が特別視なのだろうか?
見守られる視線=弱者に注がれる視線とは言えないと思うのだが?
世の中には、『平等』とか『公平』という言葉はあるものの実際の世の中は全てにおいて『上下』があり『優劣』が『強弱』が存在すると思うんです。
(人の命にも優劣があるのか?と言われそうですが、その命の維持には悲しいかな優劣や強弱がが存在する事は事実だと思う)
世の中『優』ばかり、『劣』ばかりに二分された社会では成り立たないと思う。
優劣・上下が入り混じり世の中は回ってると思う。
そうした世の中のやさしさとは???
互助があっての社会であり、やさしさじゃないだろうか???
今回の行動場所は比較的都心で公共施設の中の移動がほとんど。
人と人との関係が希薄なのでは?と思ったりもした。
やさしさって何だろう????