「にゃあぁぁーん!(ひろーい!)」
 男性に招き入れられたコノハは、家に入ってすぐ、大きな声で鳴いてしまった。
「ふふふ。どうだい? 僕の自慢のマイホームさ」
(マイホーム? すごい、やっぱお金持ちなんやなぁ)
 コノハは男性を見上げて思った。
「よいしょ。一応、足を拭かせてもらうね」
 男性はそう言って、玄関にあった綺麗な雑巾で、コノハの足を拭いた。肉球を柔らかな雑巾が撫で、少しくすぐったい。
「にゃはっ」
 くすぐったくて笑ってしまう。
「よし、キレイになった。さぁ、中においで」
「にゃー!」
 コノハは男性の後を付いて行く。すっかり警戒心はなくなっていた。
「ちょっとそこで待っててね」
 男性はそう言うと、冷蔵庫から牛乳を取り出しているようだった。
「にゃぁ~ん(は~い)」
 なんとなく猫撫で声を出してみる、ネコだけに。
(正直言うと、あんまミルクはいらんねんけどなぁ)
 ネコ扱いされている自分に少しショックを受けつつも、どう見てもネコにしか見えないので、仕方無いと諦める。
「はい、どうぞ」
 男性は高級そうなお皿にミルクを注ぎ、しゃがんでコノハの前に置いた。
(これは飲まないとあかんなぁ)
 コノハはネコの振りをするために、差し出されたミルクをペロッと舐めてみた。
「みゃぁ!!?」
 コノハはミルクを一舐めして驚いた。これは……美味しい!!
「どう? 美味しいかい? この近くにある鷲田牧場で売り出されている牛乳なんだけどね。値段も安くて、すごく美味しいんだよ」
 鷲田牧場とは、あのポニーを引き連れて街中を散歩しているマダムが経営しているあの鷲田牧場のことだろうか? コノハも変身体質になってしまってから、興味本位で一度行ったことがある。あの時は……コノハ自身が絞られてしまったが……
「みゃんみゃん(ちゃうちゃう)」
 変なことを思い出してしまい、コノハは顔を左右に振った。
(鷲田牧場の牛乳ってこんな美味しいんやなぁ、今度スーパーで見かけたら買おうかな)
 ペロペロとミルクを舐めながらコノハは思った。ミルクに夢中になっていたが、ふと男性の声が聞こえなくなったと思って横を見ると、男性はニコニコと満足そうな笑みをしていた。コノハはその微笑みを見て少し恥ずかしくなった。
 ペロペロとミルクを飲む。美味しいので、全部飲み切ってしまった。
「気に入ってもらえたみたいだね。よかったよ」
「にゃーん」
 男性はコノハが飲み終えたサラを流し場に持って行って洗った。
 コノハはその間、キョロキョロと家の中を見て回る。目の前にあるテーブルはやはり高級そうだった。
「よしよし、おいで」
 皿を洗い終わった男性がコノハを手招きする。
(……)
 どうすべきかちょっと迷ったが、流れに乗って、コノハは男性の元に歩み寄った。
「一人暮らしは寂しいよ。実家には君みたいなネコがいるんだけどね、こっちでは飼っていないから」
 男性はそう言って、コノハを抱き上げ、別室に移動した。男性はふわふわのソファーに座る。コノハは見ているだけでも気持ち良さそうだった。
「よしよし、あぁ、こうしていると実家のネコが懐かしいなぁ」
「にゃぁ……」
 コノハは男性の腕の中で幸せになっていた。
(イイニオイ……香水かな、シャンプーかな?)
 コノハは男性から漂うニオイにそんな思いを巡らせていた。
「よしよし」
 男性に頭を優しく撫でられる。すごく……すごく気持ちよかった。思わず、耳がピクピク動き、グーパーグーパーと前足が動いてしまう。
「君は美猫だね。首輪が付いていないところを見ると、ノラかい? ノラでもこんなネコがいるんだなー。うちにおしっこしに来るネコもいるけど……」
「にゃぁ~あぁ~ん~」
 コノハは男性の話を半分くらいしか聞き取れない。男性の撫でる手が首元に来る。
「ゴロゴロゴロゴロ」
 自然と喉が鳴る。気持ちイイ……
「幸せそうだね。僕も嬉しいよ」
「にゃーん」
 男性の撫でる手がしっぽにいく。
 ビクッ
 しっぽは敏感だからあまり触られたくない。しかし、男性の優しい触り方なら、何だか気持ち良かった。まるで全身マッサージに行っているみたいだ、行ったことないけど。
 男性の独り言を聞きながら、コノハは幸せな時を過ごした。

「おや、もうこんな時間か。そろそろ夕飯を作らないと」
「ふにゃぁ……」
 幸せな時間が終わった。男性はコノハをそっと床に降ろして、台所に向かった。気が付けば、窓の外は夕暮れになっていた。
(うわっ! ヤバイやん! そろそろ帰らな……でも、家の中に入ってしまったし……どないしょ……)
 このままこの家の飼い猫となってしまうのか?
(……)
 それは困る気持ちが強いが、そうなってもいいかなと思ってしまう自分もいた。非常に複雑な気持ち。
(いや、ここはやっぱ帰らなあかんやろ!)
 ネコとして流されてしまいそうなところを、ギリギリ正気に戻った。
「みゃぁー! みゃあぁぁー!」
 コノハは大きく鳴いて、窓をガリガリして、外に出してほしいアピールをしてみた。
「ん?」
 すると、男性はすぐに反応してコノハの方にやって来た。
「外に出たいのかい?」
「にゃんにゃん」
 コノハは男性に向かって首を上下に動かした。
「……。不思議だね。僕の言っている意味がわかっているみたいだ……そうだね、君には君の生活があるだろうから、窓を開けてあげるよ。僕がイキナリ君の生活を奪う権限はないからね。ありがとう。今日は楽しかったよ」
 男性はそう言って、窓を開けてくれた。
「にゃぁー!(おおきにー!)」
 コノハは振り返ってお礼を言い、少し名残り惜しいと思ったが、外に出た。
「バイバイ。また良かったらいつでも遊びに来て」
「にゃー!」
 コノハは男性の声に応えながら、服を脱いだ草むらに戻った。


「はぁ……何やってんだろ、私……」
 人に戻って、駅前に帰って来たコノハは複雑な心境を抱きながら、改札を通ろうとした。
「あれー? コノハやん?」
 その時、後ろから聞き慣れた声がする。
「あっ……」
 コノハが振り返ると、そこにはテンリがいた。
「どないしたん?」
 テンリが聞いて来る。これは、ものすごく困る質問だ。まさかネコになって男性にもふもふされてましたとは恥ずかし過ぎて死んでも言えない。
「あ、えっとあの……い、いやーね、私もたまには駅前探索してみたんよ、あははは」
「ふーん、そうなん?」
「テンリこそ、結構遅いね」
「うんー、借りるの迷いだすと止まらんからね、わたし。たはは」
 テンリが照れたように頭を掻く。なんとか話題を逸らせそうだ。
「もう帰るん?」
「うん。コノハはまだおるん?」
「ううん」
「それじゃ、帰ろうや」
 テンリが言って、コノハは先に改札に入った。
「ん? コノハ、頭に葉っぱが付いてるで」
「!」
 テンリがその葉っぱを抓んでコノハにほらと見せる。
「あ、ありがとウサギ……」
「? 何言ってるねん。コノハもCMに洗脳されたか? あはは」
 思わずどもってしまったが、何とか誤魔化せたようだ。
 この後、テンリに変身したことを気付かれないかとビクビクしながら、途中まで一緒に帰った。