昼休み、ケモ耳を生やしためえがクラスの女の子に囲まれている。
「めえちゃん、その耳どうしたのー?」
「うふふ、いいでしょー」
「本物みたい……動いている……」
「自動聴覚機能が付いたコンピューターでね、音がする方に動くんだー」
 めえが平然と嘘を言っている。いや、本当のことを言われても問題なのだが。
 クラスの女の子たちは興味深々とめえとおしゃべりしている。
「ちょっと、私も付けてみたいなぁ」
「だーめー。ごめんね、これ結構高いんだぁ」
 それはそうだ。外せるのなら、コノハは口から心臓が飛び出るほど驚くだろう。
 しかし、それにしてもめえは楽しそうだ。友達がたくさんできて、転校してきてよかったのかもしれない。高校までは義務教育として、強制的に大人数と出会う空間で生活をさせられる。しかし、働き始めると職種によってはごく限られた人間としか接しない仕事もある。子供の頃はわからない。しかし、大人になって振り返った時、学校という空間がいかに特殊で貴重な出会いの場であったのかを知ることになる。
 めえは神社で働いている。営業でもないので、人と接する機会は例えばお守りを売るなど、一瞬で少ない。同年代の話し相手を作るのは難しいだろう。
 コノハはみんなと和気藹藹としているめえを見て、優しく微笑んだ。

「うーん……」
「どうしたん? テンリ」
「いやさ、わたしの救いの無い体質に救いの手が差し伸べられようとしているんだけど、どうしようかなと」
「えーっと、どういうこと?」
「前にビーストトランスに行った時に、店長が検診してくれるって言っていたやん。あの連絡が来たんやけど、徹底的に体を調べられるみたいで、受けるなら二週間ほど学校を休まないとあかんのよね……夏休み中だったらよかったのに」
 そういえば、そんなことを言っていた。
「いいやん。行ってくれば。テンリが嫌な体質がそれで治るんやったら二週間なんてあっと言う間よ。授業もそんなに進まないやろうし」
「そう前向きに言ってもらえると嬉しいなぁ。しかし、親にはどう言えばいいのか……」
 親に内緒で二週間学校に休むわけにはいかない。テンリの言い草からして、親にはまだ体質のことは言っていないのだろう。確かにこれは大きな問題である。
「うーん……難しいね。でも、絶対行った方がいいよ」
「うん、前向きな意見をありがとう」
 テンリはコノハに微笑んだ。テンリは何か吹っ切れたような顔をしていた。

 すっかりしっぽ+ケモ耳で定着しためえ。めえと過ごす不思議な学校生活ももう一ヶ月が過ぎようとしていた。持ち前の明るさでクラスに溶け込んだめえがある日の昼休み、コノハに言ってきた。
「コノハ、今日は〝ケモ日〟かも……」
「〝ケモ日〟?」
 めえから聞く初めての言葉だった。
「うん……さっきから体が……すごく……ムズムズする……〝ケモ日〟はヒトの姿じゃなくて、動物の姿で過ごさなきゃならない日なの……憑きモノ筋の子らはみんな、そんな日があるの」
「そうなんだ……ど、どうしよう」
 急にめえに打ち明けられ、少しテンパるコノハ。
「いつ変身しちゃうかわからないから……変身したら外に出して」
「わ、わかった」
 後二時間、何も起こらないことを願いたい。授業中にめえの変身が急に始まってしまったらどうしようかと思うと、まともに授業を聞いていられない気がする。
「それじゃ、そろそろ、昼休み終わるし、教室入ろうか」
「う、うん」
 めえが体をぎこちなく動かす。コノハはめえの歩きやすいスピードで一緒に教室に向かった。
「はいぃぃぃぃーん!!」
 その時、高校生にもなってバタバタと廊下を走り回るこの学年一の厄介者が走って来た。
「ふんぎゃぁ!」
「きゃぁぁっ!」
 あろうことか、その厄介者は廊下に放置されていた雑巾に足を取られ、後ろからめえに体当たりをかました!!
「あうっ、あんっ、だめぇっ!」
 めえが艶っぽい声を漏らす。
「め、めえ!」
 体当たりをされた刺激で変身が始まった!
「め、めえ、堪えて」
「ハァハァ……あぐぅう」
 いつも自由に動物からヒトに、ヒトから動物に変身するめえ。しかし、今日は変身のコントロールができないようだ。
 スカート中からすごい勢いでしっぽが伸びた。目を細め、はぁはぁと苦しそうな息を漏らすめえ。びくんと体が震えると、頭のてっぺん、髪の間から耳が、フェネックの大きな耳がむくむくと生え始めた。
 これは……どうしようもできない。みんなが……廊下にいるみんながこちらを見ている。
「め、めえ、外に行くで」
 コノハは廊下で押し倒されたまま獣化していくめえの肩に手を掛けた。
「いやあぁぁっ!」
 その瞬間、めえがビクビクと震え、鼻の周りからヒゲが生え、鼻先を先頭に顔が突き出し、マズルが伸びた。
「うっ……」
 ちょっとした刺激でもめえを獣化させてしまう。どうしたらいいのか。
 コノハが迷っている間にめえは息を荒げて獣化していく。首筋をクリーム色の獣毛が覆っていく。
「はうぅっ!?」
 めえの手足の関節が逆に曲がり始めた。同時に体が縮んでいき、着ている制服がゆるくなる。事態が急速に起こり過ぎてコノハは付いていけない。ただ、めえの隣でおろおろしてしまう。
「はぁはぁ……」
 めえがドンドン小さくなる……最後には着ていた制服がめえの体全体を覆い被せた。
 フルトランスしてしまった……みんなの目の前で……
「ふにゅ~スッキリしたぁ」
 めえが動物の姿となって廊下に脱げた制服の下から這い出て来る。めえ自身は堪えていたものを解放したので、スッキリした顔をしている。
「う、うそっ……」
「お、おい、人が狐に……」
「お前、ちょっと、俺のほっぺた抓れ……イテテ、痛ぇよ! 痛ぇってことは、あれはまじか……」
 周りがざわつくのを感じた。それもそうだ、ヒトがキツネに変身するなんて普通考えられない。
「コノハ、めえ……」
「めえ、しゃべったあかん!!」
 めえはちょこんとその場にお座りし、スッキリした顔から一転、不安そうな顔色に変わった。
「キツネがシャベッタアアァァアァァァ――!!!」
 事を引き起こした厄介者が奇声を発した。
 周りが引いていくのが分かる。冷たい空気。
 めえがくるくると周囲を見渡した後、怯えたような顔で助けを求めるようにコノハを見上げてくる。
「キツキツサマ……」
 誰かがぽつりと言った。
「そう言えば、転校生はあの狐塚神社の」
「狐塚って、キツキツサマに憑かれている娘がいるって聞いたことが」
「狐塚奇譚知ってる……最後って……死ぬまで体中が動くたびに痛む呪法をかけられるっていう……」
「あの子、キツキツサマに憑かれているの?」
「やべぇ……俺、見ちまった! やべぇよ、やべぇ! なにされるかわからない」
 たった一人の呟きが連鎖して恐怖が膨拡する。みんな、めえを畏怖している。
「や……やだ、そんな目で見ないで……怖くない……めえは怖くないよ……ね、ねぇ!」
「や、やめろ……こっち見るなああぁぁぁー!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、何でもしますから許して」
「謝らないで……めえに謝らないで……ヤメテ、やめてよぉ……」
 めえがふるふると小さな体を震わせて弁解する。しかし、めえがしゃべるたび、誰かと視線を合わすたび、みんなの恐怖が高まっていくのが感じられた。
 めえが獣化し始めた時に、一目散に外に連れ出せばよかった。一瞬の迷いでめえを救えなかった……
「コノハ……コノハああぁぁぁー!!」
 めえが縋るような叫び声でコノハの名前を呼ぶ。
「大丈夫……大丈夫だよ、めえ。私は、めえの友達やから」
「ぐすっ、ぐすっ、コノハぁ……」
 小さな震えるめえの体を腕に抱く。周りの視線なんか気にしていられない。今はめえを、めえの繊細な心を守らなければならない。
 人外はいつの時代も迫害されてきた。もし彼・彼女らがヒトの形を取ることがなければここまで畏怖の目で見られることもなかっただろう。ヒトは己の姿に近しい、しかし、異なる存在に異常なまでの拒否反応を示す。それは同属嫌悪にも似た衝動。恐らく、動物の本能として、同じニッチ(生態的地位)を奪われることを恐れているのだろう。自然界では同じニッチにある動物同士は餌を巡り競合し、時には相手の種を絶滅させることがある。ヒトは本能的に感じるのだろう。もしかしたら、彼らに滅ぼされるかもしれないと――