2020.6.10

noteはじめました!

note『好奇心のタネ」

 

 

 

ここの、アメブロをどういう使い方をするか、模索中です。

このまま、残しておきます。

 

noteは私の中で散らばっている言葉をかき集めて、何となくで終わらせていた事を、ちゃんと文章にして、自分の中から吐き出す所です。

 

承認欲求ももちろんある。日記ですむものを誰でも見れるようにするのだから。

私の中のテーマをちゃんと提示して、完結させて手放したいんです。

 

自分だけでは足りない。どこの誰か分からないけど、反応無くても気になってくれたりへーと思ったり新しい気付きや発見が芽生えてくれたら、この上に無いくらい私は嬉しい。伝えられただけ、感情を少し刺激出来たら、私の承認欲求は今のところ満たされる。

 

また、自分の発した言葉に責任を持ちたいので、ネット上の名前も辞めた。

 

SNS世代で本名を明かさず、ネット上のもう一人の自分として、言葉を発言し、学生の頃はコミュニティーをつくり、ライブ参戦や好きなアーティストのオフ会、好きな趣味を楽しんでいたけど。

 

でも、もう良いかな。

もう1人の自分は、自分であり、今は重なった。別じゃない。一緒。

 

 

 

20代に「自分とは」を探求して、好奇心のまま行動して、

興味のタネをいっぱい拾った。

行きたい所、呼ばれているように感じた所には、その感覚がなくならないうちに行った。会いたい人もそう。「会いたい!」って思ったらどこでも、行動範囲の制限なしに会いに行った。

そのことで、人から色んな多種多様なタネを頂いた。

次は育てる事をして行きたいな。

 

あと『自分とは』を悶々と自分の中で溜め込んで、そのまま放ったらかしにしないでnoteは向き合う場です。人が見ようと見まいが、自分の中の思想を形に残す場です。

人の目を気にせず素直に自由にそのまま、自分の為に残しておく場とさせて頂きます。

 

よかったら☆

会津駒ケ岳登山10/2朝5:30 
日の出
静かな朝でした。
風も全然なくて

まっかっかの半熟卵






まだ続きます。
次へ③へ→
時間がたってしまいましたが。笑
記録として残します。

[10/1会津駒ケ岳に登りました。]
何だかんだで、今年は山に一緒に登ってくれる人に恵まれて楽しく登山をしていましたが、
久しぶり!(2年ぶり)の単独登山。
会津駒ケ岳は1度登ったことあるし、その時も一人だったし。でも。その時は私は前日に登って山小屋泊で翌日山頂待ち合わせで(笑)下山は2人でしました。だから、始めから最後までは、はじめて。
自然をなめたら命を落とすこともあるし、何が起こるかわからないので、油断禁物!
一歩一歩熊鈴付けて、慎重に歩きました。

電車とバスで今回は行きました。
朝から真っ青な秋晴れに、恵まれました。


登山口から登りはじめの階段。11:50start
この頃色づきはじめてました。
あと少し。
15:00駒の小屋着
会津駒ケ岳
木の影が好き。シマシマ
コバイケイソの群落

2年前と大きく変わっていたのは木道!
綺麗なベンチも設置されていた。
駒の小屋さんの手作り看板。字体、動物がツボ

17:30日が沈む。三日月。とグラデーション。

そして、会駒ミラクルおこる!!!笑
素敵な事が起こっちゃった!!

*次へ(パート2)続く→
今年は、お休みが平日に頂けるので
暖かい時期は1ヶ月に1つ山に登ってます!!

7月9日~10日 至仏山(2228m)
8月6日~7日   燕岳(2763m)
9月25日    両神山(1723m)

予定
10月     会津駒ケ岳()
10月     谷川岳()
11月           粟ヶ岳()    

今年はお陰さまで
本当、お天気に恵まれていて
毎回「幸せー◎」って言葉がこぼれる。
そのお陰なのかはわならないけど
日常生活でも、
いま幸せだ。
って、ふっと。思う。

山繋がりのご縁も増えて、本当に嬉しい。
もともと仲良くしてくれている友達も、尾瀬に興味もってくれたり、一緒に行きたいとかも言ってくれるし。凄く嬉しい。

至仏山
至仏山 山ノ鼻~上りました。
あと少しで、至仏山山頂◎


小至仏から尾瀬ヶ原を一望
至仏山~小至仏間で雲がなくなり青空が:-)

燕岳


朝焼け


両神山





至仏山、燕岳では高山植物もいっぱい咲いていて、本当幸せでした~◎
植物の写真はインスタの方にあげてます!


74年前に戦争が終わった。
テレビで流れたもの、アニメ、学校での少しやった平和学習。資料館。修学旅行。船の中での「折り鶴プロジェクト」の戦争の語り部さんのお話。キューバでのカストロの話。
その時その時に、戦争を感じる。
小学生の時に、戦争の調べ学習でおじいちゃんの資料?辞典みたいな分厚い本?勲章?アルバム?みたいなのを借りて、学校に持っていったら、先生が貴重な物を見せてくれてありがとう。と感謝されたのを覚えている。
その時お母さんに言われて、知ったけど。指は知っていたけどあまり気にしてなかったし。知ったからどうにかなった事じゃないけど。別にふーん( ・-・)位だったけど。
私のおじいちゃんは戦争に行って、ドンパチして数多くの中で何十人しか生き残れなかった中の1人だった。
銃弾で右か左か覚えてないけど、片目がなくて、義眼だったらしい。言われても見た目普通だったら全然実感なかった。あと目と同じ方の指が何本かなかった。あんまり見なかったし。そういえばそうだったかも。位な記憶。思い出したら、ご飯食べるの下手くそだったかも。手隠してたかも。でも、障害者だったんだよ。と言われてもあんまり。
私の中でのおじいちゃんの記憶は
見守ってくれてたり、何かとお祝いがあると色々とご挨拶してくれたり。公民館で歌謡祭みたいなので、演歌熱唱してたり。写真でみると笑顔で抱っこしてくれていたり、外の畑でなんかいつも野菜とか花とかしてた位しか覚えていない。私が7才くらいに糖尿病で亡くなった。よくお母さんと入院していたとき、お見舞いについていった。でも、おじいちゃんと言葉を交わした記憶がない。
お母さんに聞くと、いっさい戦争の話は口に出さなかったと。たまにお酒ばっかのんで。と思ったときもあったとか。
何にも語らずに死んじゃった。と。
今ふっと思う。
私が聞いたら話してくれたのかな?
なんて言いあらわしたらいいのか、分からないけど。私が想像なんて出来ないし、気持ちを寄せることも出来ない計り知れない体験をして、痛いのか、苦しいのか、よく分からないけど刻まれていたんだな。と思う。
でもね。今だから思うけど、おじいちゃん思い出したら聞きたかったな。もっと、戦争の話とかじゃなくて話したかったな。

凄く昔のお話。って感覚あるけどまだ74年前の話なんだよ。ひいじいちゃんとかひいひいじいちゃんの話じゃないんだよ。繰り返したら絶対だめ。
体験はしたくないし、すべての痛みを受け止めて共感するなんて絶対無理だけど、戦争の話聞くと、凄くギューって縮こまる。知ること聞くこと、いろんな人の体験。自分がしてない体験を知ることは本当大切にしたい。
戦争。て思ったらおじいちゃんを思い出しました。今夜夢に出てきたら、語りたいな~◎
おじいちゃんとなら、今夜はお酒付き合うよ