オーストリア国土の放射能汚染調査
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オーストリア環境庁は健康省とともに、チェルノブイリ原発事故以来計測してきた土壌のセシウム137量を、データバンクにまとめた。事故の影響を予測、ありうる将来のさらなる汚染により迅速・的確に対応するためである。こうして環境庁の地理情報システムを使用した詳細な現状調査が行われた。
1986年4月26日に起こったチェルノブイリの原発事故により放射能が降下したため、長期に放射能を発する物質セシウム137(半減期30年)とセシウム134(半減期2年)が今日でも土壌で計測される。この蓄積した放射能は、不幸な事故の起こった日の後の数日間(1986年4月29日から5月10日まで)の降雨によるもので、その分布は地域により異なる。
土壌のセシウム137量 (1986年5月 ) © 環境庁 |
オーストリア中の放射線早期警報システム336箇所のデータの分析により、チェルノブイリ事故直後にはすでに放射能汚染図の第一版ができあがっていた。しかしこの図は荒削りで、汚染分布も不正確な逆推論でしかなかった。 土壌の放射能汚染は それ以来さまざまな研究施設の多くの地域・放射線プロジェクトにより調査された。環境長は健康省とともに、チェルノブイリ原発事故後オーストリア中で行われたセシウム137土壌汚染の計測データをまとめた。オーストリアの土壌の放射能汚染について詳細かつすべての平面をくまなく現状調査し、起こりうる新たな放射能汚染量を迅速・的確に計測するのが目的である。このデータ及び結果は、環境庁に構築されていた全国土壌情報システム(BORIS)に統合されるべきものだった。 |
1986年4月末から5月初めにかけての降雨により土壌は地域によりさまざまな形で汚染された。10万ベクレル/㎡以上という特に高度に汚染された地域は以下のとおり: |
・ 北東からホーヘンタウエルン山までの帯状の地域:ニーダーエステライヒ州のWaldviertel地区、オーバーエステレイヒ州のMühlviertel地区、Hausruckviertel地区の一部、リンツの周辺、ウェルズの荒地、ピュルン周辺、ザルツカンマーグート、ニーダータウエルン・ホーヘンタウエルンの西からツィラーターラーアルペンまで ・ 南オーストリアの地域:コラルペ、南ケルンテン。この地帯はイタリアまで続く 計算された走査データの分析から、セシウム137の中間土壌汚染量は2万1千ベクレル/㎡であることがわかった。こうしてオーストリアはウクライナ、ベラルーシ、スカンジナビアに次ぐ中程度の汚染地域となった。 これはオーストリア国土全体にセシウム137が約1.76ぺタベクレル(1ぺタベクレル=1015ベクレル)存在するといういみである。そのうち0.19ぺタベクレルは昔の原爆実験のときのセシウムである。チェルノブイリでは70から130ぺタベクレルが放出されたと計算されるので、放出されたセシウム137のうち1.2から2.2%がオーストリアの土壌に蓄積されたことになる。 |
土壌のセシウム137量(1996年5月)
© 環境庁
降雨とセシウムの土壌濃度の関連性調べると、チェルノブイリ原発事故後数日間(1986年4月29日から5月10日)あまり雨が降らなかったところは汚染の程度が低い事が明らかになった。空中の放射線量はほぼ同程度だったにもかかわらず、この期間降雨量が多かった地域は汚染の程度が高かった。この調査で、放射能のほとんどは1986年4月29日から5月2日の間に蓄積されたことがわかった。 出典:ザルツブルグ大学地理研究所 |
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