チェルノブイリの子供達から福島の子供達へ(2/2) | さるうさぎのブログ

さるうさぎのブログ

原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

前回のお話の続きです。
ちなみに舞台となっているゴメルの町には3万7千から148万ベクレル/平方メートルのセシウム137が検出されました。
福島県飯舘村南部では1平方メートルあたり200万ベクレル以上の高濃度のセシウム137が検出されています。
チェルノブイリの強制移住基準は1平方メートルあたり55万5千ベクレル以上です。
出典:http://sankei.jp.msn.com/science/news/110407/scn11040711100001-n1.htm

チェルノブイリ事故後、このように苦しんでいる人たちがいるのは明らかではあるが、事故について統計ではいまだ測定できていない。放射能による死は10年、15年、20年以上かけて人間にしのびよるからだ。そして同じように被爆した人たちのなかで影響が出る人と出ない人がいるのはだれも説明する事ができない。確実に言えるのは、白ロシアの被爆した人たち220万人の未来がはっきりしないことだ。

・・・チェルノブイリへ観光客や学者が来るようになったのは、福島の事故が起こる前はチェルノブイリが世界で唯一の「死の地域」だったからだ。そんな学者の中の一人に、ミュンヘン・ルードヴィッヒ・マクシミリアン大学の放射生物学者・医学者、エドゥムンド・レングフェルダーがいる。
・・・レングフェルダーは高濃度に汚染された地域のうちのひとつ、ゴメルに甲状腺センターを設立し、そこで今までに甲状腺の疾患、甲状腺がんにかかった患者10万人以上を西洋の医学基準に基づいて治療した。レングフェルダーによれば、ベラルーシの人々にとって危険なのは食物摂取による継続的な被爆と外部被爆である。
・・・高濃度の放射線で命の危険を伴うのは特に子供で、子供は大人に比べて体が放射能に敏感だ。森の中で気をつけながら遊ばなければいけないこと、汚染地域の食物を口にしてはいけないことを、ベラルーシの子供達にどうやって説明したらいいのだろう。今でもきのこや果物は汚染度が高く、問題なのはそこの森でとれる果物が地域の食料の多くを占めていること、国民がコストの関係でそうした食料に頼らざるを得ないことだ。レングフェルダー「彼らは危険に目をつぶっている。飢えで死ぬより放射能で死んだほうがいい。放射能の危険性については知りたがっていない。」
・・・実際に一度禁止区域から出て家族とともに移住した人たちが、すぐに元の村へ帰ってきてしまう。それからすぐ湖で泳ぎはじめ、森できのこや果物を集め、何事も起こらなかったかのように生活を始める。理由はそこが彼らの故郷で、そこ以外の場所で死にたくないからだ。知らない場所で暮らすより、危険な禁止区域で暮らすほうが彼らにとっては安心だからだ。自分の小さな家や庭や畑をこよなく愛したお年よりや家族、農民が突然都会暮らしを余儀なくされた。社会主義国特有のコンクリートプレハブ住宅の9階から13階に移り住まなければならなかった。近所の人たちは禁止区域からきた人たちとかかわりをもちたがらなかった。被爆した者、触れてはならない者として、感染を恐れた。こうした敵対心にみちた環境で生活をはじめた人もいれば、故郷に帰った人たちもいた。放射能よりも世間の冷たい目の方が恐ろしかったからだ。
「僕達の村はきれい」とサーシャは話してくれた。「湖もあるし、大きな魚もいる。森に行けばうさぎやきつねがいる。僕はきのこやいちごを集める。そうやって僕達はいつも生きてきた。森は僕達の生活の大部分だ。森に関するしきたりがたくさんある。きゅうりやトマト、じゃがいもを食べる。僕達はどうせ汚染されているから。だから汚染された食べ物を食べたってどうってことない。」「引っ越したくないという僕の親の気持ちはわかる。原子炉の爆発の後すぐこの村にきた。そのあとのことはだれも教えてくれなかった。小さな家を建てて、生活を始めた。僕はベラルーシに留まりたい。僕の場所はここだ。僕の子供が何をしたがるかはわからないけれど、僕はここにいる。」