松田直樹選手
8月4日13:06に松本山雅FC・松田直樹選手が34歳の若さで他界されました。
正直非常にショックで残念な思いで一杯です。
とりたてて贔屓にしてる選手だったかと問われれば決してそうではなかったと思うけど、やっぱり松本山雅FCに初めて来てくれたW杯戦士という事で自分の中では特別な選手でした。
ただ「特別な選手」で終わってしまったのが残念でなりません。
まだ山雅に来て日が浅い事もあってか、松田選手を見ても「あの松田選手」と言う想いが消えてなかったんですよね。
一挙手一投足に「あの松田が…」と思って見ていました。
本当はこれからもっと松本山雅FCでプレイし共に昇格し、松本でプレイしている事が日常となっていくはずだったのに、そして自然体で「松本の松田直樹」になっていくはずだったのに。
そう思うと悔やんでも悔やみきれません。
そんななので自分の中ではなんだかんだで元日本代表・松田直樹選手です。
松本山雅でのプレイよりマリノスや日本代表での活躍、そして6月の勝利の歌での「出しちまったぜ」とか「中田が飛ぶーぞ!中田が飛ぶーぞ!」などなどが真っ先に浮かびます。
そんな松田選手が松本に残した足跡ってなんなんでしょうね?
正直プレイ面では自分の見た試合においては絶対的ではなかった印象を持っています。
時折「やっぱり凄いな」と言うプレイは見せるものの、読みが外れた時に追いきらなかったり攻めた後の戻りが遅かったりでチームのバランスを崩す場面も少なくなかった気がします。
ただ一方で、松本の多くの人にサッカーの楽しさを教えてくれたのかなとも。
まず報道が増えた事でスタジアムに足を運ぶ人が増えたと言うのは間違いなくあるし、分かりやすく後ろから攻めあがっていく姿は自分をはじめ山雅のファンに大きな興奮を感じさせてくれました。
あと個人的な事ですが、練習から帰宅後に車が前後になったり、TMでのトイレで隣り合わせになった時は言い知れぬ感動をしてしまったものです。
巷ではマリノスを戦力外になって「終わった選手」と言う印象を持たれてるのかもしれないけど、松本山雅のファンの自分としてはまだまだ「これからの選手」だったんですよね。
おそらく松田選手自身もJ2昇格と言う明確だけど想像以上に上手くいかない目標に、苦闘しながらもマリノスの晩年には持てなかった大きなモチベーションを持って挑んでたはず。
そしてそれを松本の街と共に達成していく絵を明確に描いていたはず。
かく言う自分自身もその絵を思い描いていました。
しかしその冒険も志半ばで潰えてしまいました。
紆余曲折を経てきた松田選手のサッカー人生が「やり残した」状態で終わってしまったのが本当に残念でなりません。
本当にこれからだったのにと思わずにはいられません。
最後に松田直樹選手が第2の冒険の舞台として選んだ松本山雅FCでの勇士をアップしたいと思います。
チームカラーの緑の手袋と緑のシューズで登場したのが印象的でした
木島良輔選手とジョギング
人工芝の信州大学グランウンドでトレーニング
若手にアドバイスを送るシーン
経験を伝えようと言う意識を強く持って加入したように感じました
初の練習試合・松本大学戦のアップ
松本山雅FCのユニフォームに初めて袖を通した試合
CBでの出場でした
練習風景
チャリティマッチ・FC東京戦にて
JFL開幕 ブラウブリッツ秋田戦
JFL開幕 ブラウブリッツ秋田戦
V・ファーレン長崎戦にて
FC町田ゼルビア戦にて
右隅で横になってる人がいるのがポイントです
松田選手が所属する松本山雅FCはアウェイでバックスタンドが埋まる感じです
ホームでは約7,000人が詰め掛けます
集合写真
キャプテンマークを巻くところ
引き分けの結果に腰を下ろす松田選手