本日の朝日新聞論壇時評に憲法改正について書いていた件については先に、「福澤諭吉はいないのか」とブログにした

ひとつ書き忘れたが、筆者は「戦後」について書いていた

我が国では、「戦後」は敗戦時から始り、まだ続いているという趣旨であった

この認識が私とは異なる

私は、「戦後」は、中国の弾道ミサイル増強による戦略環境のパラダイムシフトの中で終焉していると考える

「戦後」は、我が国が米抑止力に完全庇護できた

しかし、中国の弾道ミサイル増強により米抑止は空白化し、米海洋戦略は破綻に向かわざるを得ず、我が国が専守防衛に自制しえた、「戦後」は終わった

そのため、抑止の空白を埋めるため、我が国は憲法改正が必要である

弾道ミサイル等攻撃的戦力保有による抑止が必要であるし、また、台湾の民主主義維持の為、フルスペックの集団的自衛権が必要である

安全保障における「戦後」は終焉し、我が国は抑止力維持の為、専守防衛を捨てざるを得ない状況に至った

因みに、社会経済における「戦後」も崩れた

「最早戦後ではない」の「戦後」の後も、社会システムの公平性を基盤にした成長という「戦後」は継続したが、失われた25年に進行した、公平性劣化の中で、「戦後」は崩壊している

公平性劣化が消費停滞や少子化を誘発し継続している

戦後70年を経て、安全保障と社会経済の戦後がともに、終焉、崩壊したということである

偶然の一致により、我が国は安全保障と社会経済の戦略を一気に欠いている状況にある

危険な状況にある

論壇時評で述べられていた、憲法改正以外にやるべきことがあるとの指摘は半分は正しい

もうひとつ興味ある事実をある人から知らされた

高校の日本史の教科書、山川出版のものは、9条に関する記述で、脚注に、芦田修正等について触れているそうだ

知人によれば

憲法学者の通説、政府解釈とも異なり、芦田修正や「前項の目的を達成するため」に言及して、「自衛のための軍隊保有に含みを残した」とまで、脚注に記載

しているそうだ

びっくりした

高校の教科書の方が、朝日新聞論壇時評より、かなり、視点が広く、憲法問題を捉えている

この考え方であれば、9条1、2項を残し、3項に、「自衛権を行使する自衛隊を保有」と加えれば、矛盾はない

既にあった、芦田修正という考え方を、今回の憲法改正の際に採用し、戦力についての2項の解釈を改め、戦争の為の武力を不保持の戦力と捉え、3項に自衛権と自衛隊を明記するということである

レガシーとしての2項も残り、また、芦田修正の意義も、時を経て、価値を持ったものになり、安全保障上の必要性や歴史的な経緯も含め、整合する

芦田修正は、憲法が米抑止に暗黙に依存しているという、内在的欠陥が顕在化することを予期していたという評価になるのであろう

今憲法改正が議論されている

「世論調査は憲法改正を求めていない」と、議論を閉ざすのではなく、山川出版の教科書のように、視野を広く持ち、国際情勢の現実や、憲法の歴史的経緯も踏まえ、安全保障を確保するための憲法改正についての議論が進められるべきである

山川出版の、幅広い視野を醸成しようとする努力に感謝したい