我が国はシビリアン・コントロールが機能していない

シビリアン・コントロールは有事における軍の統制と、一般に受け止められているが、むしろ、抑止の観点からは、平時における、的確な安全保障政策の策定の方が重要である

現状の戦略環境のパラダイムシフトを踏まえれば、弾道ミサイル等攻撃的戦力保有による抑止を可能にする、憲法改正が必要である

しかし、平和神話が蔓延し、戦略環境の現実を見た議論はない

シビリアン・コントロールの前提は、政治の軍事に対する理解である

軍事をめぐる、戦略環境の変化の現実を踏まえた議論がなされないのであれば、シビリアン・コントロールは機能していないということである

我が国がいくら、民主主義の制度を取り入れても、いくら、シビリアン・コントロールの制度を作っても、戦略環境の変化の現実を見て、我が国の安全を確保しうる、安全保障政策を立案していかなければ、民主主義もシビリアン・コントロールも機能していないに等しい

憲法改正についての議論は、政府側からリードすることは、現実的には簡単ではない

先だって、統幕長が、自衛隊明記に感謝と述べただけで批判されるような状況である

本来は、憲法遵守を前提に、憲法改正の必要性について政府がリードできることが望ましいし、それが立憲主義の本来の姿であろうが、我が国は議論がタブー化している

危険な状態である

シビリアン・コントロールを受ける、専門家集団からのリードは現実的に困難で、シビリアン・コントロールをする側は、戦略環境変化の現実を見ない

これに歴史戦が加わり、現実が益々、議論されなくなることすら危惧される

しかしながら、現実を見なければ、必ず、失敗に終る

自然の法則であろう

今、シビリアン・コントロールが問われている

憲法改正がマストな状況に至った今、憲法改正をしないことは、シビリアン・コントロールをする側が義務を果たさないということである

従来、シビリアン・コントロールというと、コントロールされる側の問題という受け止め方が一般的だが、今は、むしろ、コントロールする側の問題である

戦略環境のパラダイムシフトの現実を見て、憲法改正することが、現状において求められているシビリアン・コントロールである

政治はシビリアン・コントロールの本来の責任を果たすべきである

統制する側の責任を果たす必要がある

それはシビリアン・コントロールのみならず、より根本的な、国民に対する、民主主義の義務を果たすことである